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平成の世にサムライを探して 

【第101回】宮城県災害医療コーディネーター/石巻赤十字病院 医療社会事業部長 石井正「災害と戦ったある医師の証言──知恵を受け継ぎ 危機に立ち向かう」

東日本大震災の発生後、宮城県石巻市で唯一機能する医療機関となった石巻赤十字病院。その災害医療チームのトップとして救護活動に携わったのが、石井正氏である。一人の外科医は、なぜ災害救護の中心に身を置くこととなったのか。彼は数々の困難にどう立ち向かったのか。そして、その経験から私たちが学ぶべきものは何か──。極限の災害救護の最前線で活動した医師の言葉に、試練を知恵へと変える方法を探る。

※掲載記事および画像は2012年7月に行われたインタビューに基づく記載内容となっています。

マニュアルという「知恵」

石井正(いしいただし)プロフィール
1963年東京生まれ。
89年東北大学医学部卒業。
2002年に石巻赤十字病院外科部長に就任。07年、医療社会事業部長。
11年2月、宮城県災害医療コーディネーターを委嘱された直後、東日本大震災に遭う。
著書に『石巻災害医療の全記録』(講談社)がある。

それは訓練と見紛うような、静かで整然とした映像である。冒頭には「2011年3月11日2:46PM」と記されている。東日本大震災発生直後から数時間の院内の様子を、石巻赤十字病院のスタッフがハンディカメラで撮影したものだ。

死者およそ3200人、行方不明者およそ500人。市町村単位で見れば、あの大震災で最も甚大な被害をこうむったのが宮城県石巻市であり、市内で震災後に唯一機能していた医療機関が石巻赤十字病院であった。

石巻医療圏22万人の生死は、事実上、この病院の働きに委ねられていた。

しかし、大災害の発生直後を記録したこの貴重な映像が私たちに伝えるのは、奇妙な静寂である。取り乱す人はいない。怒号も、泣き声も、諍いの声も聞こえない。ただ、すべてのスタッフが、自分がやるべきことを確かな手取りで淡々とこなす様子だけが記録されている。

「自分が何をすべきか。必要な物品はどこにどれだけあるか。トリアージエリアをどこに設置するか。それらはすべてマニュアルに書かれていました。だから途方に暮れる人は誰もいなかったし、僕が細かな指示を出す必要もありませんでした」

石巻赤十字病院の外科医、石井正氏はそう振り返る。東日本大震災最大の被害地における救助活動の、文字通り中心にいた人物である。

阪神大震災の教訓を受けて災害医療の標準となったトリアージタッグ
阪神大震災の教訓を受けて災害医療の標準となったトリアージタッグ

「トリアージ」とは、災害時に大量に発生した負傷者を、緊急性によって振り分ける作業を意味する。命の危険が迫っている患者には赤のトリアージタッグがつけられ、重症度の順にタッグの色は黄、緑となる。黒のタッグがつけられるのは、助かる可能性が極めて低い患者、もしくは死者である。そのタッグの色ごとに設けた患者の治療スペースがトリアージエリアだ。

トリアージエリアの設置が完了したのは午後3時43分。災害発生から1時間弱でのエリア設置は、災害医療の常識から考えれば、まさに驚異的なスピードだった。そのスピードを可能にしたのが、精緻に作り込まれたマニュアルであった。

石井氏が災害時マニュアルの改訂作業に着手したのは、医療社会事業部長に就任した2007年のことである。

災害対策マニュアル
災害対策マニュアル

「宮城県沖地震は30年以内に99パーセントの確率で起こると言われていました。つまり、近い将来に必ず起こるということです。しかし、従来のマニュアルは、よくある総論的なものでした。『火事が起きたら火を消しましょう』くらいのものです。誰が、何を使って、どこの火を消すのか。それが書かれていなければマニュアルの意味はありません」

それからおよそ1年間、5、6人の有志とともに、石井氏は週に1度のマニュアル改訂会議を続け、各部門の責任者や担当者を実名で記したマニュアルを完成させた。災害発生初動時の整然たる行動は、このマニュアルの存在があってこそ実現したものである。そのマニュアルは、いわば人間が自力で備えることのできる「知恵」の一つの形であった。

3日間で避難の現状を把握する

石井氏が「緻密なマニュアルを作り上げた一外科医」という立場にとどまらず、救助活動全体の指揮を執ることになったのは、震災発生のひと月前の2月12日に、宮城県災害医療コーディネーターに任命されていたためだった。宮城県の沿岸部で災害が発生した時には、現場で災害救助活動の調整を行うこと、内陸部での災害では県庁で調整業務を行うこと。それが彼に与えられた役割だった。

石井氏災害発生後の初動体勢がほぼ完璧だったのは、残された映像が示すとおりである。しかし、その後に続いたのは、マニュアルにない「応用問題」ばかりだった。

災害発生当日に病院に搬送された患者はわずか99人。予想値の3000人を大きく下回っていたのは、市内の多くのエリアが冠水しており、かつ救急車も多数被災したため、患者を病院まで移送する機能が著しく低下したためである。しかし翌日には779人、3日目には1251人と患者は激増していった。

石巻医療圏内の沿岸部がほぼ壊滅状態だという事実も次第に明らかになっていった。

市役所から避難所のリストが届いたのは、災害発生から5日たった16日である。避難所は300カ所、避難者の数は5万人に上るとそのリストは告げていた。しかし、明確な事実はそれのみだった。避難者がどのような状態に置かれているのか、どのエリアの被害が最も深刻なのか、医療チームはどこから手をつけていけばいいのか──。それらの問いに対する答えは、自分たちで得るしかなかった。

すべての避難所を回って、避難者の状況や衛生環境を把握する「避難所アセスメント」の実施を決めた時のことを、石井氏はこう振り返る。

アセスメントシート
[アセスメントシート]
避難所の現状を把握し適切な対策を施す。石巻圏合同救護チームは、避難所の状況を把握する「避難所アセスメント」に継続的に取り組んだ。アセスメントシートに、項目ごとに◎、○、△、×の評価を書き込み、対策の指針とした

「16の医療チームで、300カ所を回って状況を把握しようと考えました。しかし、自信はありませんでした。作業がどのくらいで終わるか見当がつかなかったからです。作業が長引けば、その間にどんどん人が死んでいってしまいます」

アセスメントの作業が、結果的に3日という短期間で終わったのは、メンバーの献身的な行動によるというほかはない。このアセスメントが、その後の石巻の救援活動を支える重要な資料となった。

「現状を正確に把握し、どのような処置をすべきかを決める。これは医療の世界では当たり前のことです。このアセスメントに一つ特別な点があったとすれば、その後何カ月にもわたって継続的に記録を続けたことです」

避難所のデータが災害発生直後から時系列に沿って記録されたのは、日本の災害救護の歴史では初めてのことだった。

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