【第106回】認定NPO法人 日本紛争予防センター 事務局長/理事 瀬谷ルミ子「武装解除と平和構築のプロに聞く──紛争の起きない社会をいかに築いていくか」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

平成の世にサムライを探して 

【第106回】認定NPO法人 日本紛争予防センター 事務局長/理事 瀬谷ルミ子「武装解除と平和構築のプロに聞く──紛争の起きない社会をいかに築いていくか」

アフガニスタン、ソマリア、バルカン地域など紛争地の復興活動に携わり、世界各地の平和構築活動を支援し続けている瀬谷ルミ子氏。単に「武器を処分する」だけにとどまらない武装解除の活動や、紛争後の人材育成の重要性、紛争解決とビジネスのコラボレーションなどについて聞いた。

高校時代に直面した世界の仕組みへの疑問

瀬谷ルミ子(せやるみこ)プロフィール

1977年群馬県生まれ。
中央大学総合政策学部卒業。
英ブラッドフォード大学紛争解決学修士課程修了後、国連PKO、外務省、NGOの職員として、アフガニスタン、シエラレオネなどで武装解除と平和構築の活動に携わる。
2011年、Newsweek日本版の「世界が尊敬する日本人25人」に選出された。著書に『職業は武装解除』(朝日新聞出版)がある。

※黒字=瀬谷ルミ子 氏

── 武装解除の専門家を志すようになったきっかけについて聞かせてください。

私は子どもの頃から特に取り柄がなかったこともあって、人と同じことをやっていたのでは自分は必要とされないのではないかという不安を感じながら育ちました。

進路に悩んでいた高校3年生の時にふと目にしたのが、地元の新聞に載っていた一枚の報道写真です。それは、ルワンダの難民キャンプで、亡くなりかけているお母さんを子どもが泣きながら起こそうとしている写真でした。それを見て大きなショックを受けるとともに、いろいろな疑問が湧いてきました。どうしてこの人たちに薬や食料を届けることができないんだろう、私は自分の家でお菓子を食べながらこの写真を見ているのに、どうしてこの人たちは死んでいかなければならないんだろう、私とこの人たちの違いって何なんだろう──。そんな疑問です。それは、世界の仕組みに対する疑問だったと言っていいと思います。

その疑問の答えが知りたいということと、人がやっていないことをやらなければならないという思い。その二つが結果的に、紛争地で武装解除に関わる仕事に自分を導いたのだと思っています。

── 現在、瀬谷さんが事務局長を務めている日本紛争予防センターとは、どのような団体なのですか。

瀬谷氏の事務所に貼られた武装解除を呼びかけるポスター
瀬谷氏の事務所に貼られた武装解除を呼びかけるポスター

海外の紛争地が平和になるため、人材育成や能力強化に焦点を当てた支援を行うことを目的としたNPOです。紛争を経験した人々(加害者と被害者を含む)が安全に暮らすための社会整備や被害者ケアを主な活動としています。

例えば、争いを解決するヒントを現地の人たちとの研修でともに考えたり、内戦で親をなくした若者に職業訓練と就職の機会を提供したり、紛争被害者の心のケアを行ったりする。そして最終的には、私たちがその地域からいなくなっても、現地の人たちが自律的に社会をつくっていけるような土台をつくる。それが日本紛争予防センターの活動の目的です。

── どのような地域で活動しているのでしょうか。

現在は、ケニア、南スーダン、ソマリアに事務所を展開しています。他にもこれまで、バルカン地域やアジアのいくつかの地域で活動してきました。問題があるのに、解決策がない。そういう地域や分野に絞って活動をしているのが特徴といえますね。

問題を武力や暴力で解決しない社会を

── 武装解除活動を、専門用語では「DDR」と呼ぶそうですね。DDRとは、具体的にどのような活動なのでしょうか。

「兵士の武装解除(Disarmament)」「動員解除(Demobilization)」「社会復帰(Reintegration)」の頭文字を取ったのがDDRです。平たくいえば、元兵士から武器を回収し、兵役を解き、職業訓練や教育の機会を提供して、その人たちが一般市民として社会の中で生活できるようにサポートすること。それがDDRです。

── 武器を回収した後の活動も重要なのですね。

瀬谷氏その通りです。戦争の終結は多くの人をハッピーにしますが、ハッピーにならない人たちもいます。その集団の一つが兵士です。彼らは戦争が終わると仕事がなくなり、どうやって生き延びればいいのか分からなくなります。武器を回収しても、彼らの中に不安や不満が残っていれば、再び争いを起こすかもしれない。それを防ぐのがDDRの大きな目的です。

もっとも、DDR活動で難しい点の一つは、やはり武器を手放す交渉です。アフガニスタンでは、司令官に武器と兵士を手放してもらうための交渉に1年半近くを費やしました。内戦時代のアフガニスタンは、日本の戦国時代のようなもので、地域ごとにたくさんの司令官がいて、その下にさらに中堅の司令官がいました。彼らはそれぞれにバックグラウンドも、兵士としての待遇も異なるので、社会復帰のためのオプションをどのように提示すれば交渉がうまくいくかを個別のケースで考えなければなりませんでした。夜寝る時も、明日の交渉でどういうカードを切ろうかと毎日のように考えていたことを覚えています。

── 社会復帰のプロセスで一番難しいのは、どのような点ですか。

元兵士と一般の人たちが共存できる仕組みをつくることですね。例えば、兵士が兵役を解かれて村に帰っていった時、その村には、彼に親を殺された人がいるかもしれないわけです。その兵士は生き延びて、職業訓練を受けて就職もできるのに、親を殺された人は、お金がなくて学校に行くこともできない。そんな状態になったら、その被害者と加害者は共存していくことはできません。できるだけ、被害者と加害者の格差が生じない仕組みを考え、みんなで一緒に新しい社会をつくっていく方向にもっていくことが、何よりも難しく、また何よりも重要です。

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