【平成の世にサムライを探して】第110回 建築家 隈研吾「歌舞伎座が教えてくれた伝統と『型』の力──『場所』との一体感を造り出す」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

平成の世にサムライを探して 

【平成の世にサムライを探して】第110回 建築家 隈研吾「歌舞伎座が教えてくれた伝統と『型』の力──『場所』との一体感を造り出す」

約60年ぶりに建て替えられた東京・銀座の歌舞伎座。その設計を三菱地所設計と共に担当したのが建築家の隈研吾氏である。素材にこだわり抜いた独創的な建築を国内外で手がけてきた隈氏は、5代目となる歌舞伎座の設計にどのような思いを込めたのだろうか。世界中を走り回る建築界の第一人者が、これからの建築と日本を語る。

歴史ある建物を都市とつなぎ直す

隈研吾(くまけんご)プロフィール 

1954年神奈川県生まれ。
建築家。東京大学工学部教授。
。東京大学大学院修了後、コロンビア大学に留学。
86年に空間研究所を、90年に隈研吾建築都市設計事務所を設立する。
主な作品は、「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」「那珂川町馬頭広重美術館」「梼原木橋ミュージアム」「根津美術館」など。
著書に『建築家、走る』(新潮社)などがある。

※黒字=隈研吾 氏

── 建築家としての原点をお聞かせください。

原点は、子どもの頃に住んでいた家です。戦前に建てられた古い木造平屋で、土壁がポロポロと剥がれてくるようなボロ家でした。友達の家はみな高度成長期に激増したいわゆる郊外型の新建材の建物なのに、自分の家だけが古くてボロボロなわけです。子ども心に嫌で嫌で仕方がありませんでした。

しかし、いつの日からか「建物としていけているのは、本当はわが家の方なんじゃないか」と思うようになったんです。木という伝統的な素材を使った、畳のある小さくて暮らしやすい家。その良さを生かした新しい建築を造ってみたいというのが、僕が建築家になった理由です。

子どもの頃から田舎好きだったということも仕事のスタイルに関係しているでしょうね。親戚が伊豆とか信州にいて、遊びに行くのが楽しかった。だから今でも世界のどんなところに行っても苦にならなくてワクワクするんですよ。

── アイデアはどのようにして生まれるのですか。

隈氏コミュニケーションの中から生まれることが多いですね。1990年代は、東京での仕事がほとんどなくて、東北や四国など地方での仕事ばかりでした。地方に行くと、東京と違って、現場の職人さんたちと直接対話できるんですよ。東京だと、建設会社の所長さんが間に入って、直接しゃべれない。例えば、職人さんに「こんな感じで木を使いたいのですが、できますか」とおっかなびっくり聞けば、「全然問題ないよ。普通はあんまりやらないけどな」と返してくる。そんなやり取りの中で、どんどん新しいアイデアが膨らんでいくわけです。

クライアントとの対話も重視しています。建築家の中には、自分のアイデアを主張して譲らない人もいるようですが、僕はクライアントと対話を重ねる中でヒントを得るタイプです。対話の中には、これまでの自分を超えられるようなヒントがしばしば含まれているものです。逆に、対話のプロセスを省いて、自分が好きなようにやると、結局のところ、自分が過去にやったことを反復するだけになってしまいます。課題、難題を与えられ、それを解決していく中で、自分自身も変化し、成長することができる。そう僕は思っています。

── 5代目歌舞伎座の設計を担当することになった経緯をお聞かせください。

松竹から依頼を頂いた時は、「やるとしたら大変な責務だな」と感じました。3代目歌舞伎座の設計をしたのは岡田信一郎さんで、4代目を設計したのは吉田五十八さんです。いずれも僕が昔から尊敬してきた素晴らしい建築家です。その後を継ぐのは重圧でもあるし、大変光栄なことでもありました。結局お引き受けすることにして、隈研吾建築都市設計事務所と三菱地所設計による共同設計という形でプロジェクトがスタートしました。

── コンセプトはどのように立てたのですか。

隈氏4代目はお客さんにとても愛された劇場だったので、外観も内観も基本的には4代目を踏襲してほしい──。それが松竹の要望でした。僕たちが頭を悩ませたのは、「何を踏襲すればいいのか」ということでした。覚えている4代目の壁の色は黄色っぽい白だったのですが、これは排気ガスによるもので、表面の塗料を削っていくと、もとは純白に近い色だということが分かりました。どちらを踏襲すればいいのか。考えた末に、おそらく答えはその間にあるのだろうという結論に至りました。

しかし、「間」といっても幅があります。僕たちは、施工会社の木工所の中に実物大の壁をベニヤで造って、たくさんのバリエーションを試してみて、その中から皆さんの心の中にある歌舞伎座の色に最も近いと思われる色を選びました。

決め手となったのは、硅素を使った粉体塗装という最新の技術を用いたことでした。硅素というのは、簡単に言えばガラスの粉です。これを吹き付けると、深みのある色と、漆喰のような柔らかい艶が得られるんです。また、雨が降ると自然に汚れが落ちるという性質もあります。これによって、色、テクスチャーともに、歌舞伎ファンの皆さんのイメージに近いものを再現できたと思っています。

── 構造で工夫したのはどの点ですか。

外観の構造で大きく変わったのは、東南の角に庇つきの広場を造ったことです。お客さんは、地下鉄の駅から広場に上がり、そこから直接劇場に入ることができます。僕たちはそれを、「歌舞伎座を都市とつなぎ直す」という言葉で表現しました。江戸時代、劇場は都市の一部であり、町と一体になっていました。劇場の周辺に芝居の雰囲気が充溢していて、「芝居に行く」ではなく、「芝居町に行く」という言い方もありました。僕たちはそれを再現したかった。歌舞伎座という劇場を町としっかりつなぎ直して、町全体を活性化させたい。そう考えたわけです。

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