【平成の世にサムライを探して】第132回 講談師 一龍斎貞水「今も昔も変わらぬ人間のあり様を伝える」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

平成の世にサムライを探して 

【平成の世にサムライを探して】第132回 講談師 一龍斎貞水「今も昔も変わらぬ人間のあり様を伝える」

江戸初期に始まり、元禄年間以降は庶民の娯楽として親しまれてきた講談。落語と並ぶその伝統話芸の世界で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されたのが一龍斎貞水氏だ。特殊演出効果を駆使した「立体怪談」や他の芸能ジャンルとのコラボレーションなど、伝統を重んじながら新しい取り組みにも積極的にチャレンジする貞水氏に、講談の魅力や語りの極意を聞いた。

人間が人間を語る古くて新しい芸

一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)プロフィール

1939年、東京都文京区生まれ。
55年、5代目一龍斎貞丈に入門。66年に真打に昇進し、6代目貞水を襲名する。
75年、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
2002年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
09年、旭日小綬章を受章。
軍記物、史談などの他、特殊な演出を使った「立体怪談」に定評がある。
著書に『心を揺さぶる語り方 ~人間国宝に話術を学ぶ~』(生活人新書)がある。

※黒字=一龍斎貞水 氏

── 講談の一番の魅力は何でしょうか?

人間が人間を語る。今に生きる人間を語る。そこじゃないでしょうかね。講談と聞くと、「古い芸能でしょう」と言う人もいるかもしれませんが、人間が人間を語って、その中に偉いやつがいたり、偉くなれないやつがいたり、いいやつがいたり、悪いやつがいたりする。その点は今も昔も変わりません。お殿様に仕えているのか、会社で働いているのか。その違いはあっても、侍だって、禄をもらって一生懸命働くわけでしょう。人間はそんなに変わらないものなんですよ。第一、聞いてくださっているお客様が、「自分たちにもこんなことがあるな」と感じられる話でなけりゃあ、誰も聞きに来てはくれません。

例えば、講談の話の中に信長、秀吉、家康が出てくる。今の社長さんにもあるでしょう。信長型、秀吉型、家康型ってのが。信長型の社長は、部下が失敗すると、お得意さんの目の前なんかで「ばかやろう」と怒鳴り倒す。秀吉や家康型は違います。失敗した部下を人がいないところに連れていって、「二度とああいう失敗をしてもらっちゃ困るぞ。二度目をやったら、もうここにはいられないぞ」と本人にだけ告げる。

信長は本能寺で光秀にやられますね。光秀ってのは、何年間も雇い手がいなくてぶらぶらしていたところを信長に拾われたわけでしょう。そうして禄高を4倍にしてもらって、2つの城の主にしてもらう。「あなた様のためなら死んでもいい。命かけて働きます」と泣いて光秀は喜ぶ。信長は「こいつはもう逆らわないだろう」と思う。じゃあ、なぜ彼は信長に背いたか。そこが講談の語りの見せどころです。

一龍斎貞水氏
一龍斎貞水氏

安土の城に家康を招く機会があった。その接待奉行に命じられたのが光秀です。その料理を見た信長は、「こんな粗末な酒肴でもって徳川殿に供すると思うか。ばか者!」と持っている鉄扇で光秀をぶつ。『安土鉄扇場』という芝居でも有名な場面です。実はこれ、宴に同席していた諸大名に対する見せしめだったんです。俺はこのくらい偉いんだぞ、と信長は示そうとしたわけです。「まさか光秀が俺に逆らうことはねえだろう」と思っているからできたことです。しかし、金をあげようが、地位をあげようが、名誉をあげようが、人はプライドを傷つけられれば必ず背く。それが人間です。信長はそこに気づかなかった。だから、腹心の部下に裏切られることになる。今と一緒ですよ。

── 16歳でこの世界に入ったそうですね。

たまたまです。高校に入った頃でしたね。あたしの生まれ育ちは湯島ですが、あの辺りでは、八百屋のせがれは八百屋になる、豆腐屋のせがれは豆腐屋になるというのが当たり前でした。だから、上の学校に行かなければならないと考えるやつはそんなにいなかったし、親の方も「学校に行くよりもうちの仕事を手伝ってくれた方がいい」ってくらいでした。あたしはたまたま上の学校に入ったけれども、校舎が赤羽にあったものだから、電車に乗って時間をかけて行かなければならない。勉強もさして面白くはない。行ってもしょうがねえや、ってんで、すぐに行かなくなっちゃった。判断はいたって早かった。

あたしのおやじは絵描きなんですが、その幼友達に、講談の大家である邑井貞吉という人がいましてね。貞吉先生に「学校がつまらない。芝居でもやりたい」と言ったところ、「君ね、『雨あられ、雪や氷と隔つれど、落ちれば同じ谷川の水』といってね、芝居も講談も極意は一つだよ。講談を見にきてごらんなさい」と言われて。講談の寄席、本牧亭の楽屋に通うようになったんです。後から聞いてみると、貞吉先生は、単にかばん持ちがほしかっただけだったようですけどね。

そこの居心地が良かったものだから毎日通っていると、「よかったら、講談を一席やってみなよ」と言われて、高座に上がって見よう見まねで話したのが最初です。どうもこいつはもう学校に行くつもりはねえらしいってことで、一龍斎貞丈という人を紹介されて、その人の弟子になりました。「どうせすぐに飽きるから、ひと月くらい預かってくれ」ってことだったようですが、それが今に至るまで続いちゃいました。自分の師匠を褒めるのも変ですが、業界人としてとてもできた人でね。他の人の弟子になっていたらおそらく3日も続かなかったでしょう。人の縁ってのは不思議なものです。

客の関心を引くために始めた「立体怪談」

── 怪談に力をいれていらっしゃいますよね。

怪談をやり始めたのは早かったですよ。10代の頃にはもうやっていました。当時あたしの周りにいたのは老大家ばかりで、芸の巧拙の差たるや歴然たるものです。客は駆け出しのあたしの高座なんかきちんと聞いてくれないし、ご隠居されたようなお年寄りが多い。自分が一人前になった時にどうなってしまうのか、かなり不安になりましたね。そんな状況なもんだから、若い客を呼び込まないといけねぇなってんで目を付けたのが、当時人気だったミュージカルです。音楽があって歌があって踊りがあって芝居があって、てのがミュージカルでしょう。それを講談でやったらどうだと考えた。

ちょうど吉原に民謡酒場というのがあって、そこで民謡を歌いながら、踊ったり芝居をしたりしていた。ミュージカルと一緒ですよね。そこであたしがしゃべって、他の人が踊ったり歌ったりする民謡講談というのをまずやりました。幻灯機を借りてきて、壁にシーツを貼って、後ろからフィルムを投射して盛り上げる、なんてこともやってましたね。

立体怪談を演じる貞水氏
立体怪談を演じる貞水氏

それからある時、小遣い稼ぎで司会の仕事をしていたキャバレーで、浪曲師が怪談ショーをやっていた。これならできる、と思って、民謡講談で使った幻灯機のセットを持ってきて怪談をやり始めた。それが、照明や舞台装置を使って今もやっている「立体怪談」の始めです。

怪談というのも先ほどの話と同じで、「古臭い」「幽霊なんかいるはずない」と言う人がいます。しかし怪談のテーマというのは、決して古くはないんですよ。例えば、あたしんちの近くに金持ちの社長が住んでいて、そこのきれいな孫娘とすれ違ってね、その娘があたしにほれちまったとするじゃないですか。すると、その社長があたしのとこに来て、「うちの孫娘があんたにほれて、ものも食えないくらいに悩んでいるんだけどね。どうだい、ものは相談で、今のかみさんと別れて、うちのと一緒になってはくれねえか。そしたら、あんたに会社は任せるし、金もたんまりあるから使い放題だ。どうだい、いい話じゃねえか」と言う。そんなこと言われたら、あたしだって考えますわね(笑)。

で、これが何かといったら、『四谷怪談』の筋ですよ。悪いやつは、今もいるでしょう。人の出世を妬んだり、上をめざしているやつの足を引っ張ったり、人をだまして出し抜いたり。そういう人のあり様は、今も昔も変わらないもんです。その変わらない人間を語るというのが、あたしがやっている怪談です。

この続きは、日立ソリューションズの会員様向け情報提供サイト『PREMIUM SERVICE WEB(プレミアムサービスウェブ)』をご覧ください。
プレミアムサービスのご案内はこちら >>
PREMIUM SERVICE WEBをご覧いただくにはプレミアムサービスへの会員登録が必要です。
※本サービスは法人のお客様向けに提供しております。法人に所属していないお客様は入会をお断りさせていただく場合がございます。何卒、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
プロフィールや記事など、掲載内容は取材時点のものです。現在と内容が異なる場合があります。
前回の特集を読む 次回の特集を読む
見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。All Rights Reserved, Copyright (C) 2010, Hitachi Solutions,Ltd.
ページTOP

本記事の内容は公開当時のものです。本コラムに関するご意見等ございましたら、日立ソリューションズまでお問い合わせください。