【平成の世にサムライを探して】第138回 東京手描き友禅伝統工芸士会 会長 高橋孝之「染物の世界で自らの生き残る方法を模索し続ける」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

平成の世にサムライを探して 

【平成の世にサムライを探して】第138回 東京手描き友禅伝統工芸士会 会長 高橋孝之「染物の世界で自らの生き残る方法を模索し続ける」

古代から続いてきた手染めの技法を守りながら、「今を生きる」染物を生み出している職人がいる。技法や素材を単に「伝承」するのではなく、現代の感性によって染物に命を吹き込むことで「伝統」を日々新たに更新していきたい──。それが染物職人、高橋孝之氏の信念だ。技と思いが凝縮して生まれる一流の染物。その本質に迫る。
高橋孝之(たかはし・たかゆき)プロフィール

1948年生まれ。
18歳で引き染め職人だった父の工房に入る。26歳で独立し「染めの高孝」を開く。2002年、東京都伝統工芸士に認定される。染物での受賞歴多数。
東京都伝統工芸士会理事、東京手描き友禅伝統工芸士会会長、日本染織作家協会理事などを務める。

「春霞 なかしかよひぢ なかりせば 秋くる雁は かへらざらまし」
春霞の中に通り道がなければ、秋にやって来た雁が北へ帰っていくこともないだろうに──。『古今和歌集』に収められた在原滋春の作である。歌の中に「墨流し」と呼ばれる染色技法が詠み込まれていることで知られる。「はるか/すみなかし/かよいぢ──」とすれば分かりやすいだろうか。古今集が編まれたのは10世紀のことだから、墨流しはそれ以前から染物の一技法として定着していたことになる。日本最古ともいわれるその染色技法に現在も取り組んでいる工房がある。東京・高田馬場の「染の高孝」である。

反物一反がちょうど入る長さ14mほどの浅い水槽。そこに糊などで軽い粘性が加えられた水が張られている。その水面に軽やかな刷毛のさばきで墨や顔料を散らすように落としていくところから、墨流し染めの作業は始まる。

高橋孝之氏の画像
高橋孝之氏

墨一色であれば、出来上がる染物は水墨画のような枯淡の味わいとなり、顔料を数色用いれば、それぞれの色が複雑な模様を描く鮮やかな反物となる。墨や顔料は水に完全に溶けることなく、水面に落ちればそれぞれが思い思いに円を描き、そこにさらに別色を落とせば、その色は元の色をはじいて広がる。色と色とが混じり合うことはない。

作り手の意図と偶然との共作によって生まれたこの模様を、大きな櫛やひものついた棒など、独自の道具を使ってアレンジしていく。それらの道具で水面を静かに撫でることで、色彩は流れ、たゆたい、やがてたった一度しか生まれない複雑な模様となって動きを止める。

圧巻なのはここからだ。竹ひごの両端に金爪をつけた伸子(しんし)と呼ばれる道具を数十本使ってぴんと張らせた13メートルの布の両端を2人の職人が持ち、模様を描く水面にすっと浮かせる。その間ほんの数秒。布を持ち上げれば、そこに水面の模様が見事にそのまま写し取られている。これを乾燥させ、蒸しの作業を加えたのちに、糊や余分な染液を洗い落とせば、墨流しの反物の完成となる。

作りたいものを作って世に問う

「江戸更紗」の作業風景の画像
「江戸更紗」の作業風景

「染の高孝」という工房名は、当主の高橋孝之氏の名前から取られたものだ。高橋氏は現在、弟・敬造氏と3人の弟子とともにこの工房を運営している。

高橋氏の父親は、9歳くらいから年季奉公をして腕を磨いた筋金入りの染め職人だった。手掛けていたのは「引き染め」。模様の地となる色で布を染める技法のことだ。反物の端から端までを均一に染めるにはかなりの鍛錬を要するという。その父が戦後になって神田川沿いに開いたのが、現在の工房の前身である戸塚工芸社だった。
「まだ神田川がきれいだった頃は、染めた布を川で洗っていたんですよ」
高橋氏はそう説明する。現在も、落合から高田馬場、早稲田に至る神田川沿いの一帯に染物や刺繍の工房が多いのはそのためである。

高橋氏は、高校卒業後すぐに父の工房に入り、染めの技法を学んだ。引き染めのほか、型に合わせて模様を染める型染めの一種「江戸更紗」を手掛けたが、屋内での黙々とした作業が好きになれず、外商などの仕事に注力していた時期もあったという。

使用する染料の画像
使用する染料

その後、新しい技法を身に着けようと一念発起し、当時は廃れていた染物の研究を始めた。現在に続く墨流しや、高橋氏の父が着目する以前は手掛ける人がほぼ途絶えていた「一珍染め」などは、その時から手掛け始めた技法である。一珍染めとは小麦粉やうどん粉などを用いて染める珍しい技法である。その他にも様々な技法にチャレンジしていった。

父の工房を引き継ぎ、自らの名を冠した「染の高孝」を起ち上げたのは1974年。ちょうどオイルショックが世界を揺るがせていた頃である。

「工房を継いだのはいいけれど、オイルショックを境に、江戸更紗の注文がぱたっと途絶えました。もし、引き染めや江戸更紗だけをやっていたら、あの時点で間違いなく廃業していたでしょうね」

同じことをやり続けることをよしとしない高橋氏の進取の気性が、新しい技法の習得につながり、結果、冬の時代に突入しつつあった染物の世界で工房は生き残ることができた。

「一つの工場でこれだけいろいろな技法を手掛けているところは他にないと思います。他の人がやらないことをやったから生き伸びられたわけです。まあ、結果論に過ぎませんが」

「墨流し」の作業風景の画像
「墨流し」の作業風景

常に新しいものに挑戦したいという高橋氏の気持ちは、独立後も収まることはなかった。83年に他の工房の職人たちとともに染織グループ「新樹会」を設立し、作品展を毎年開催するようになった。

「あれが転機になりましたね。それまでは、問屋から注文を受けて、ぎりぎりの予算で注文通りのものを期日までに仕上げるという仕事をひたすらこなしていました。期日に間に合わなければ、頭ごなしに罵倒される。そんな仕事です。私はそれが嫌だったから、自分が作りたいものを作って世に出していく活動を始めたわけです」

新樹会は、長いキャリアを持ち、腕に覚えのある職人の集団だった。公募展に作品を出せば、当然全員が入選するだろう。そう皆が考えたが、ふたを開けてみれば軒並み落選だった。それによってむしろ、独自の技術を追求しようという情熱に火がついた。小紋、手描友禅、江戸友禅、墨流し、一珍染め、江戸更紗──。さまざまな技法に磨きをかけ、その技法に合ったテーマを選び、自信をもって世に問うことのできる商品を作る。それらは、人に売ることを前提に作られている点では「商品」だったが、伝統とオリジナリティの絶妙な混交によって生まれる「作品」でもあった。

「“伝統”と“伝承”は似て非なるものです。昔から続いていることをその通りにやっていくのは伝承です。伝承だけを大事にしていた同業者は、みんな廃業していきました。伝統を残していきたいのなら、昔ながらの技法や素材と現代の感覚とをもって、今の時代の要請に合ったものを作らなければならないんです。今の時代にしっかりと生きるものを作らなければならないんです。そうしないと、伝統はつながっていかないんですよ」

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