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平成の世にサムライを探して 

【平成の世にサムライを探して】第141回 海内工業株式会社 代表取締役社長 海内美和「精密技術を究め「待つ工場」から「考えて動く工場」へ」

精密板金加工を手がけて60年弱。最近は、ドラえもんの秘密道具づくりにチャレンジする「四次元ポケットPROJECT」や、アニメ『攻殻機動隊』に登場するロボットを作る「タチコマ1/2サイズ・リアライズプロジェクト」などでも知られる海内工業。30代の若さで会社を率いる3代目社長、海内美和氏に、ものづくりに懸ける思いとリーダーシップの在り方を聞いた。

「規模を追求しない経営」を貫いてきた60年間

海内美和(あまうち・みわ)プロフィール

1982年東京都生まれ。
2006年慶應義塾大学商学部を卒業後、ヘッジファンドのスパークス・アセット・マネジメントに入社。
08年のリーマンショックを機に実家である海内工業に入社。
14年から代表取締役社長を務める。
12年には、経済産業省が主催する「モノづくり版なでしこジャパン」の一員に選出された。

※黒字= 海内美和氏

── 会社の歩みについて聞かせてください。

自動車部品工場で働いていた私の祖父が、2人の仲間と会社を設立したのが1958年です。一貫して手がけてきたのは精密板金加工で、社員数が30人前後というのも創業当時から変わりません。

── あえて小規模経営を続けているのですか。

規模よりも質を求める。その結果として事業が拡張することはあり得るが、拡張そのものを目的とはしない。それが創業者の方針でした。規模を追求すると、自分たちの商売の本質を見失ってしまうと考えていました。

海内美和氏の画像

── 事業を拡張していれば、今頃大きな負債を抱えていた可能性もありますよね。

そうなんです。結果論ではありますが、祖父の方針があったからこそ、バブル以降の失われた20年を生き延びてこられました。

── 改めて板金加工とはどのような作業ですか。

主要な工程は「切る」「曲げる」「くっつける」の3つで、「金属で折り紙をする」というイメージの技術です。NC(数値制御)機械なども使いますが、手加工の部分もあり、特に「曲げる」工程では、人間ならではの感性が重要になってきます。身近なところでは、駅のホームのゴミ箱などがまさに板金加工によるものです。

── 板金加工で作られた部品は、どのような用途で用いられているのでしょうか。

「自動車」「建物」の他に多分野に使われている技術です。私たちは主に精密機器などを手がけ、金融端末機や光学顕微鏡などの中に用いられる駆動部や摺動部の部品も提供しています。全般的に、精度が問われる品物が多いです。

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── 腕のいい職人がいるということですね。

現代において何をもって「職人」というのかは難しいですが、丁寧にものをつくろうという気持ちを常に強く持ち、永年の加工経験値を糧に、常に技術を追究する現場でありたいと思っています。ただ、最近は工作機械の精度が目覚ましく向上していて、さらには人工知能(AI)も実用性が伴ってきています。「職人」つまり「人ならではの価値」を真剣に考える必要があります。今後、AIを搭載した工作機械と職人の技をどう組み合わせたら、価値が創造できるかを考えていきます。

会社は“船” 事業環境は“荒波”

── もともとは金融の仕事をしていたそうですね。

大学在学中にスタンフォード大学に留学して、卒業後はヘッジファンドに就職しました。金融アナリストの見習いとして業界分析をしていたのですが、その中で「うちの工場は危ない」と気がつきました。戦略も事業計画もない。これは早晩つぶれるに違いない。そうしたら家も取られ、家族がバラバラになるかもしれない。危機感を覚えました。工場を看取るのは私しかいない。そう考えている時に、リーマンショックが起きました。その直後、すぐにヘッジファンドを辞めて、一社員としてこの会社に入りました。

海内美和氏の画像

── 工場を救おうと思ったのですか。

いいえ。これまで2代目として頑張ってきた父の姿を間近で見ながら、家業の先行きを見届けたいというのがその時の思いでした。頭の中にあったのはワーストシナリオだけでした。

── 何が転機になったのですか。

2011年に営業業務部長並び取締役に就任しました。「もうネガティブなことを考えている場合ではないな」と思いました。入社時に頭にあったワーストシナリオもいったんは忘れて、とにかく会社をいい方向に向かわせるためには、どうすべきか本気で考え行動しないと明日は来ないと思いました。そこが大きな転機でしたね。

── 社長就任はその3年後ですね。

2014年の3月期にようやく会社が黒字化したのですが、その直後に父が脳梗塞で倒れました。取締役会で対策を話し合ったところ、「今、会社に必要なのは仕事を途切れさせないことだから、会社の顔として外回りをしていた美和さんが社長になるのがふさわしい」と役員である工場長から言われました。それで一晩考えて、腹をくくって引き受けようと決めました。
次の日、他の役員の前で私はこう言いました。「やります。しかし条件があります。会社を大きく変えます。これまでのやり方を根本から改めます。それによって社員さんが辞めていく可能性もあります。最悪私たち3人しか残らないかもしれない。それでもいいですか」。役員も工場長も「それでいい」と言ってくれました。

── 何を変えようとしたのですか。

「待つ工場」から「考えて動く工場」にしようとしました。理念を持ち、向かう方向性を定め、自律的に皆が動く工場にしたいと、強く思いました。

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── それまでのやり方に慣れてきた社員には受け入れがたいところもあったでしょうね。

社員さんたちには“船”の例え話で、今後の会社経営方針を伝えました。会社は“船”であり、事業環境は“荒波”です。荒波の中を進むには北斗七星のような目標となる「星」が必要です。私は新しい船長として、その星を見定め、そこに向けて船を進めていきます。そうしなければ、荒波の環境下では沈没してしまうからです。船長を不安に思う方もいると思います。また、船の進め方が気に入らない人もいると思います。皆さん自身も、一人ひとりしっかり考えてください──。そう言いました。伝えた瞬間は、当然ながらざわめきましたね。
結果的には、30人弱の社員中、7人が会社を去っていきました。残念ながら、理解し合えず離れていった人もいます。リーマンショック後、厳しい時期をともに乗り越えてきた仲間だったからこそ、本当は理解し合いたかったのですが、めざすべき軸をぶれさせるわけにもいかず、私も内心はつらくて仕方がありませんでした。

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