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【平成の世にサムライを探して】第143回 空手選手 植草歩「世界の頂点をめざす 日本空手界に現れたニューヒロイン」

ついに五輪の正式種目に選ばれた空手。アーティストの楽曲やダンスに要素が取り入れられるなど、競技自体にも注目が集まっている。その空手界で高校時代から世界を相手に戦い、昨年、世界空手道選手権大会で頂点に立ったのが植草歩氏だ。日本空手界の期待を一身に背負う女性空手選手の素顔に迫る。

感情の豊かさが一番の強さ

植草歩(うえくさ・あゆみ)プロフィール

1992年千葉県生まれ。
小学3年で空手を始め、高校3年の国体で優勝する。
世界空手道選手権では、2012年、14年に銅メダル。
16年に金メダルを獲得して世界の頂点に立った。
15、16年には全日本空手道選手権大会2連覇。
高栄警備保障所属。

喜怒哀楽を表現することを躊躇しない選手だ。ポイントが入れば満面の笑みを浮かべ、試合に負ければ涙を見せる。その感情の豊かさこそが、彼女の強さの一番の要因なのかもしれない。

社会人となって2年目。昨年(2016年)10月にオーストリアで開催された世界空手道選手権大会で初優勝を果たし、12月の全日本空手道選手権大会では2連覇を達成した。しかし、全日本の試合の内容には全く納得していないと植草歩選手は話す。

「身体がうまく動かなかったので、イメージ通りの試合ができませんでした。もっと強くなるために、やることはまだまだあると感じました」

空手を始めたのは、小学3年生の時だ。幼なじみに誘われて、近所の中学校で行われている空手教室に顔を出した。ミット打ちを体験して、その音の気持ち良さにしびれた。早速翌週には教室に通い始めていた。

植草歩氏の画像

「友だちもたくさん通っていて、遊びの延長のような感じでしたね。形(かた)の練習はそれほど楽しくはなかったのですが、組手の試合に出るようになってからはすごく面白くなりました。まもなく週5回練習するようになりましたが、全然つらくはなかったですね」

空手競技には大きく分けて、演武の「形」と、相手と対戦する「組手」がある。植草選手が取り組んできたのは、組手の中でも、対戦相手への直接打撃を認める「フルコンタクト」と呼ばれる空手ではなく、「突き」などの有効技をいわゆる寸止めで入れてポイントを得る伝統派空手だ。手にグローブをつけて、相手にダメージを与えないようにするのが伝統派空手の特徴である。

植草選手は小学生の頃から周りの女子よりも身長が高く、突きが面白いように入ったという。ポイントを取れば先生も褒めてくれる。それが快感だった。現在でも中段への突きが彼女の得意技だ。

中学になると女子選手が減り、練習相手に事欠くようになって、週末に高校の空手部に通うことにした。年上の高校生相手の練習もまた楽しくて仕方がなかった。
自分の強さを自覚するようになったのは、高校2年になってからだ。高校の空手部の先生に試合での駆け引きを教えてもらい、どんどん勝てるようになった。
「それまでは、“無心でやれば勝てる”と思って試合をしていたのですが、相手の動きを予測して動くことを教えてもらって、頭を使った戦い方があることを知りました。“ああ、私って強いのかも”と思うようになったのは、全国大会で初めて優勝した時でしたね」

頑張れば頑張るほど力が伸びて、試合でも結果が出た高校時代。しかし、その「楽しい空手」が続いたのは、高校を卒業するまでだった。

空手を始めてから初めて知った屈辱

高校卒業後、空手の特待生として帝京大学に進み、空手部に入部した。そこで彼女の世界は今までとはがらりと変わることになった。

 「自信が打ち砕かれました。私よりもずっと強い人がたくさんいて全く歯が立たないし、練習にもついていけない。どうすればいいんだろうと思いました」
寮での生活にも気の休まる時間などはなかった。つらくなるとトイレにこもって1人で泣いた。高校を卒業するまでは、空手で叱られたことはなかった。いつも「歩は強いね」「歩は一番だね」と褒められ続けた。その「楽しい空手」が「つらく苦しい空手」に変わって、初めて彼女は空手から逃げ出したいと思うようになった。

植草歩氏の画像

「コーチのところに行って、泣きながら“やめさせてください”と言いました。でもコーチから“あと1週間頑張ってみろ”と言われて、何とか続けました。最初の1年間は、そんなやり取りの繰り返しでしたね」

あれは必要な試練だったと、今振り返ってみて思う。

「空手が強い人は、心が強いと私は思っています。フィジカルが強くても心に余裕がないと、思うような戦略が使えないし、冷静な判断ができません。心を強くするには、挫折や屈辱から立ち直る経験がないといけないと思うんです。苦しい経験をして、自己分析をして、這い上がろうとする中で、心は鍛えられるんじゃないかって」

苦しみから抜け出るきっかけは、初めて出場した全日本学生選手権だった。「負けてもいい」と思った試合で2位になった。「まだできるかもしれない」。その思いが彼女を空手につなぎ留めた。

本当の意味で植草選手が自信を取り戻したのは、国際大会に出場し、結果を残すようになってからだ。2012年に初めて出場した東アジア競技大会で優勝。以来、2016年まで国際大会では常に3位以内、つまり「メダル獲得率100%」という驚異的な実績を残している。

世界で戦う試合は、日本国内の試合よりも大きな重圧を感じるものなのだろうか。そうではない、と彼女は言う。

植草歩氏の画像

「最初に国際大会に出た時、“いける”と思いました。正直、帝京大学の先輩と対戦している方がずっと大変でした」

破竹の勢いといってよかった。全日本学生選手権、世界学生選手権で優勝。国内外の主要な学生大会で優勝を記録した。次第に日本の空手界全体が「植草は優勝するのが当たり前」という雰囲気になり、プレッシャーも高まっていったが、注目されることがむしろうれしかったと彼女は言う。「もっと私を見て、という感じでしたね」と笑う。

しかし、大学最後の年の成績は決して芳しいものではなかった。世界選手権で3位、全日本選手権でも2位に終わった。普通の選手なら大いに喜ぶべき順位だが、常に優勝を期待されるようになっていた彼女にとって、それは屈辱的な結果だった。「今までこれだけやってきて、最後の最後に優勝できないなんて」──。この時、彼女は本気で競技生活からの引退を考えたという。

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