第十五回 荒井秀樹-後編-もちろん、トリノでメダルを取りたい。それ以上に日本で障害者スポーツがもっと盛んになってほしいというのが私の夢です。|システム構築やトータルソリュ...

平成の世にサムライを探して 

荒井秀樹-後編-もちろん、トリノでメダルを取りたい。それ以上に日本で障害者スポーツがもっと盛んになってほしいというのが私の夢です。

たった一度の人生なら、こんな風に生きてみたいと思わせてくれる熱血仕事人を訪ねるコーナー、日本パラリンピックノルディックスキーチーム監督にして日立システムアンドサービス スキー部監督 荒井秀樹さんの物語の後編です。長野パラリンピックまで1年半。荒井さんは何をして、どんな成果を得たのか。そして、今またトリノパラリンピックが迫る中、本番を目前にどんな準備をしているのか。最後には、荒井さんの究極の夢も語っていただきました。

長野に向けて実行した3つの戦略

荒井秀樹(あらいひでき)プロフィール
1998年長野パラリンピック開催に先立ち、厚生省長野パラリンピック準備室の要請により障害者ノルディックスキーを組織化、選手強化、指導・育成に取り組み「ゼロから始めた」草分け的存在。現在、日本パラリンピックノルディックスキーチーム監督として、国内外の障害者スポーツの要職に就き第一線で活動中。 日立システムアンドサービスのスキー部監督も努める。

さあ、初めての大舞台で世界とどう戦うか。荒井さんは長野パラリンピックに向けて大きく3つのことだけは絶対に実行しようと決意した。

まず、選手の指導方法だ。日本のスポーツ教育は、昔から基本的に欠点を指摘し、それを矯正することで選手の力を引き上げようとする。野球であれば、立ち位置が悪い。バットの構え方が違う。スイングが遅い。もっと早く走れ。選手は常に自分の欠点に直面させられている。そのため、なにかこちらが指導しようとすると、「僕はすぐ体が開いてしまうんですよね」と自分から欠点を申告するような負のメンタリティーができあがってしまう。逆に「そうではなくて自分の長所をいってごらん」というと、過去にそんなことをいわれたことがないので、選手は思わず言葉を失ってしまう。荒井さんはこういう日本のスポーツ教育のあり方を日ごろから大きな問題だと思っていた。

欠点を指摘するのではなく、長所を伸ばす指導方法があってもいいはずだ。障害者がスポーツをするのである。ハンディーはすでに背負っている。そうであるなら、それぞれの選手の持っている、他の選手にはないいいところを、世界の選手と同じくらいまで引き上げてあげよう。荒井さんはそう考え、たとえばスキー操作の上手な選手なら、ストックを持たずにスキーだけで滑る練習を、年間を通じてメニュー化した。あまりにその練習が頻繁に行われるため、その様子を見た外部の人間は、そんな競技科目があるのかと思ったほどだったという。荒井さんはとにかく、選手の長所を最大限に引き出すことに腐心した。

二番目に行ったことは、選手たちにトップアスリートであるという自覚と認識を持たせることだった。彼らは必ずしも小さいときから英才教育を受けてきたわけではない。競技者とはどうあるべきかを、心と体でわかっていないところがあった。荒井さんは選手たちにそれを身につけてもらうため、日本大学や中央大学といったスキー部の合宿に一緒に参加した。そして、練習もさることながら、そこで大学生たちが宿舎でどのような生活を送り、どのような食事を摂り、どのように道具をメンテナンスしているかといったことを、つぶさに観察させたのである。選手たちに、競技者としてのハートを持ってもらうのが最大の目的だった。

三番目は、最高のスタッフを集めることである。ガイドやワックスチーム。競技は選手がいればそれで成り立つというものではない。最高のチームの陰には、それを支える最高のスタッフがいるものだ。実は、荒井さんが大学スキー部の合宿に参加するのは、このスタッフを集めるという陰の目的もあった。それまで障害者スキーの存在を知らなかった学生は、一緒に練習をすると、「腕の力だけで滑っているよ」「全盲の人があんなスピードで滑れるなんて」と感嘆の声をあげる。荒井さんは折を見て学生を集めては、自分の教えている選手たちがなぜ障害を負い、なぜスキーを始めるに至ったかという話もした。すると、その中に何人か「僕にも何か手伝えることはないでしょうか」と申し出てくれる心やさしい学生がいるのだった。必要なのはそういうスタッフだった。ノルディックスキーを理解し、競技者のハートを理解し、障害者に対してやさしく接することができ、彼らのためにひと肌もふた肌も脱いでくれるスタッフが。

荒井さんがスタッフを集める中でも最も意識したのは、最高のワックスチームを組織することだった。オリンピックレベルの選手になると、個人的にワックス担当がつく。多くの場合、スポーツメーカーや選手の所属する企業など、様々なところから派遣される。そのため、一つのスキーチームであっても、ワックス担当の間で妙なライバル意識が生じてしまう。荒井さんはそういう事態をぜひとも避けたかった。というのも、ワックスが成功すれば勝てるという思いがあったからである。日本の雪は欧米の雪とまったく性質が違う。さらさらしている向こうの雪に比べて、日本の雪は水分が多くてべちゃべちゃしている。こういう雪にどうワックスをかけたらいいか、欧米の人間はよくわかっていない。だから、技術的に高く、コミュニケーションのとれたワックスチームを組織することができれば、日本のスキーチームも大いに見込みがあった。それゆえ、荒井さんは個人的なワックス担当制度を導入せず、チームとして、すべての選手のスキーを平等にメンテナンスするような体制にしたのだった。

小林選手の金メダル、「うれしかったが驚きはなかった」

荒井氏そして1998年、迎えた長野パラリンピック。結果からいってしまおう。バイアスロンの小林深雪選手が日本人選手として初めて金メダルを獲得した。バイアスロンは、クロスカントリースキーの中に、射撃を組み入れたレースである。2.5kmを1周走るごとに射場に入って5回の射撃を行い、全部で7.5kmを滑走する。小林選手のような視覚障害者の場合、自分の目で見て撃つことができないので、周波数を聞くことができるヘッドフォンをつけて行う。音式スコープという装置によって、的に銃口が近づいてくると、周波数が上がっていく。その音を聞き分けて狙いを定め、撃ちぬくのだ。的の大きさは3cm。的と選手の間は約10mの距離がある。銃はエアライフルだ。
※…トリノではビーム銃を使用されるが、当時は実弾の出るエアライフル=空気銃だった

荒井さんは大会前から、小林選手が表彰台に上るだろうと思っていたという。日本は銃の所持管理が非常に厳しく、射撃の練習を満足に行えない。月に一度の海外遠征の際に少しチャンスがあるくらいなのだが、そうした状況の中にあって、彼女は10回撃って10回的を撃ち抜く「満射」を連発していた。実際、長野では1発だけ的をはずしたのだが、それでも十分に高いレベルだった。荒井さんは彼女の金メダル獲得を「うれしかったが驚きはなかった」と語る。

では、荒井さんが一番うれしかったのはいつだったのだろう。それはシットスキーの長田弘幸選手が、2004年カナダで行われたワールドカップで金メダルを獲得したときだ。長田選手は、22歳のときのバイク事故が原因で下半身が動かなくなった。北海道出身なのだが、スキーを始める前は雪の降る冬が嫌いだったという。車椅子では外に出るのが難しくなるからである。それが、仲間から勧められたのをきっかけに、スキーにめざめ、世界に挑戦してみたいと思うまでになった。結婚し、子供もいて、いつの日も家計が楽だったわけではない。カナダへの渡航費用も、奥さんがアルバイトで貯めたお金を「行ってらっしゃい」と長田選手に差し出したものだった。当時、41歳。苦労に苦労を重ねて勝ちとった称号だけに、そのときは荒井さんも思わず涙がこぼれたそうだ。

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