第十六回 浜出雄一-前編-経営者として生きる意味を問い続けて二十年。自然や海にやさしい製品を世に出すことが自分の使命だと思うようになりました。|システム構築やトータルソリ...

平成の世にサムライを探して 

浜出雄一-前編-経営者として生きる意味を問い続けて二十年。自然や海にやさしい製品を世に出すことが自分の使命だと思うようになりました。

北海道・函館を本拠地に、イカ釣りロボットの開発で全国に名をとどろかせている株式会社 東和電機製作所 代表取締役社長 浜出雄一さん。“およそ経営者には向いていない内気な性格”であったものの、お父さんの急死をきっかけに社長に就任、一度は奪われたトップシェアメーカーの座を、コンピュータ式自動イカ釣りロボットの投入で見事奪還。現在は世界で7割の占有率を誇ります。他に集魚灯のLED化や海の環境保護として海水電解装置の開発にも熱心に取り組んでいます。

なりたい職業も特にない、人見知りで恥ずかしがりやの子ども時代

浜出雄一(はまでゆういち)プロフィール
1947年、北海道函館市生まれ。株式会社東和電機製作所 創業者 浜出慈仁氏の長男として生まれる。父・慈仁氏の厳しくも自由な教育方針のもとモノ作りをこよなく愛する気質を養い、1972年、東和電機製作所に入社。設計課に所属し、さまざまな生産設備改良業務に取り組み、同社の主要製品である自動イカ釣り機の進化に貢献する。1984年、父・慈仁氏が亡くなった後、同社代表取締役に就任。これに前後してかねてから構想していたマイコン制御のイカ釣りロボットを出荷し、この分野におけるマーケットシェアNo.1を奪還する。近年は海の環境保護に積極的に乗り出し、集魚灯のLED化や海水電解装置の開発に注力している。

「どんなお子さんでしたか?」と浜出さんに尋ねたら、「目立たず、ひとりでいることが好きな子ども」という答えが返ってきた。そして言葉を重ねて「人見知りで恥ずかしがりや。これは今も同じ。まるで経営者には向いていない」と。そういってふっと笑みをもらされる。いやいやどうして、人心掌握術をご存知だ。

お父さんは株式会社 東和電機製作所の創業者。偉大な人だった。人好きがする親分肌タイプで、一声かければみんながお父さんについていくという感じだった。たとえば、夏。お父さんが思いついて「海水浴に行こう」と言い出す。就業時間中である。そして、会社の社員全員で海水浴に出かけていくのである。たとえば、昼休み。昼食後、やはり全員でバレーボールに興じる。ゲームが白熱してくると、1時になってもお父さんが「もう30分!」といってそのまま延長戦に突入していく。きわめて家族的で、しかしお父さんが大きな求心力を持っていたから、それで会社の規律が乱れるようなことはなかった。そのかわり、怒らせると怖かった。会社でいやなことがあると、家でも機嫌が悪くなる。子どものころの浜出さんは、お父さんの機嫌が悪いと知ると決して近寄らなかった。成績が悪いと、こっぴどく叱られた。「親父の顔色ばかりうかがって育ったから、こんなに内気な人間になったのかもしれない」と浜出さんは笑う。

浜出さんは、女、男、女の三人兄弟だから、会社を継ぐとしたら、彼が一番適任ではあった。しかし、お父さんは子どもの浜出さんに会社のことは一度もいわなかったし、浜出さんにもそういう考えはなかった。第一、なりたいものそのものがなかったのだ。一般に、子どもの頃には野球選手になりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか、いろいろ夢に描く職業があるように思うのだが、浜出さんにはそれがなかった。「ものを作るのが好きというのはありましたが、別に何になりたいと思ったことはなかったですね。」

大学を受験することになって、理系を選択。国公立大学と私立大学を併願するのだが、結果的にはお父さんの出身校、武蔵工業大学を選んだ。お父さんが電気専攻だったので、バランスを取って機械専攻に。4年間の東京生活。浜出さんにとってそれはあまり楽しいものではなかったようだ。東京の雰囲気になじめなかったというのもあるかもしれない。生まれ故郷の函館の方がいいという思いがずっとあったからかもしれない。

それでも就職のとき、1社は東京に本社がある一部上場会社を受けた。しかし、意識下でこのまま東京に残りたくないと思っていたのか、寝坊して採用試験をすっとばす。函館に帰って、地元の超優良企業だった造船会社を受験する。ここはお父さんがその前身会社にいたことがある関係で、浜出さんは面接官を知らなくても、面接官が浜出さんを知っている可能性があった。お父さんはいった。「『いつかは会社に帰るのか』、これは必ず聞かれるからな。そのときは、おまえの考えを正直に答えなさい」そうしたら、案の定聞かれた。それまで活発にやりとりしていたそのままの調子で、浜出さんは「帰ります」といった。その瞬間、場内はシーンと静まりかえってしまった。何か悪いことをいったのかと気詰まりになったのだが、それが自分の発言のせいだとは思っていなかった。

新人社員のころは、使命を持たない遊軍エンジニアだった

造船会社からは不採用通知が届き、お父さんから「うちの会社へ来い」と誘われたこともあって、浜出さんは東和電機製作所に入った。1970年のことだ。お父さんは浜出さんに対して特に何をしろとはいわなかった。だからその存在は遊軍部隊のようなもので、自分で仕事を見つけてはひとり黙々と取り組み、その結果をお父さんに「どうか」と見せていた。親子の間で帝王学教育などといったものは一切なく、浜出さん自身、東和でエンジニアとして居場所があればそれでいいと思っていた。

浜出氏その頃、浜出さんはどんなものを作っていたのだろう。「一番最初に作ったのは資材などを運ぶ荷車。あとは、イカ釣り機の生産を助けるようなものをいろいろと」 浜出さんが入社した当時、東和電機製作所は1971年に発売した「はまで式自動イカ釣り機」が全国の漁師の間で大評判となり、年間約数千台が飛ぶように売れていた。今まで主流だった手動でドラムを回して釣り糸を上下させるタイプのものに比べて、これは糸や針がからまりにくい構造で、ドラムが楕円形でイカ釣りに重要な“シャクリ”効果が高いため、その人気は当然のものだったのだ。東和電機製作所はまさに猫の手も借りたい忙しさだった。しかし、浜出さんはあまのじゃくだから、素直にイカ釣り機の製造を手伝うのはいやだった。なにか傍系の仕事で援助をと考え、図面なしにものづくりができる工作技師と組んで、今まで外注に出していたパイプのカッティングを自社内でできるように自動カッティングマシンを作ったりなどと、生産設備作りで陰ながら貢献するのが常だった。もの作りさえしていれば楽しく、人をどうまとめていくかなどとは考えない。わが道を行くエンジニア、それが当時の浜出さんだった。

1983年、その年の健康診断でお父さんの体に肺がんが見つかった。それでも家族は決して最悪のことは考えない。お父さんも浜出さんに会社に関して何か頼みごとをするといったようなことはなかった。しかし、病魔はお父さんを少しずつ蝕んでいく。声がだんだん出なくなっていった。浜出さんはそれまでの人生でお父さんが弱音や愚痴を吐くのを一度も聞いたことがなかったのだが、あるときお父さんの口から「苦しい」という言葉を聞いて、この病がいかに難病であるかを知ったという。

お父さんの容態が急変したのは、翌年、浜出さんが東京に出張しているときだった。亡くなる前の12月に手術をして、これで少しは好転するかと思われたのだが結果は逆だった。あまりに急だったため、出張している浜出さんには知らされなかったらしい。突然、現実となって迫ってきた後継者問題。お父さんから信頼の厚かった、いとこである上場企業の人事担当者が「お母さんが継ぐのか、雄一くんが継ぐのか、早急に決める必要がある」とひざを寄せてくる。浜出さんは継ぎたくなかった。その理由は大きく二つある。一つは、自分は経営者に向いていない、という思い。もう一つは、当時東和電機製作所が抱えていた負債の問題。自動イカ釣り機は売れに売れたが、その一方で漁師からの代金回収不能、不良在庫などで、約6億円の借金も背負いこむようになっていた。最初はどんなに類似品が出ても負けることはなかったのだが、1980年代前半になると競合メーカーにトップシェアを奪われる羽目になっていた。目の前に浮かんでいるのは栄光ではなく困難。会社を継ぐどころか、会社を辞めたいとまで思っていた浜出さんだったのだが、その話し合いの場でなぜか涙が流れてきて、われ知らず「私が継ぎます」といっていた。

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