第二十四回 飯森範親-指揮をしながら倒れることもいとわない演技派指揮者は、日本以上に世界で知られる日本人。|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリュー...

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飯森範親-指揮をしながら倒れることもいとわない演技派指揮者は、日本以上に世界で知られる日本人。

あるクラシック音楽に「指揮者が演奏中に倒れる」という指示のある作品があります。この曲に挑んだことのある日本人指揮者は、知られている限り今までただ一人しかいません。それが飯森範親さんです。輝かしいキャリアの陰で人知れぬ挫折を繰り返しながら、今日では日本のみならず世界の交響楽団からラブコールを送られる大人気指揮者に。たった一度の人生ならこんな風に生きてみたいと思わせてくれる熱血仕事人を訪ねるコーナー、今回は世界で知られる日本人 飯森範親さんの生きざまをお届けします。

ラヴェルの「ボレロ」を聴いて
指揮者になることを決めた10歳の少年

飯森範親(いいもりのりちか)プロフィール
1986年、桐朋学園大学指揮科卒業後、ベルリンへ留学。89年からバイエルン国立歌劇場でW.サヴァリッシュ氏のもと研鑚を積む。94年東京交響楽団の専属指揮者に就任し、同楽団のポルトガル演奏旅行で成功をおさめた。続く96年には東京交響楽団創立50周年記念ヨーロッパツアーを指揮、特にミュンヘン公演は南ドイツ新聞で「今後、イイモリの名が世界で注目されるであろう」と絶賛された。
 現在、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団音楽総監督(GMD)、東京交響楽団正指揮者、山形交響楽団ミュージックアドバイザー 兼 常任指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者、オペラハウス管弦楽団名誉指揮者。

名を成す音楽家は、たいてい幼少の頃からその才能を現し、自分の未来の照準をしっかりそこに定めてしまう人が多い。飯森さんもその例外ではなかった。ピアノを始めたのは4歳のとき。自分から習いたいと両親に告げた。あるとき、ポーランド出身のピアニスト アルトゥール・ルービンシュタインが弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲をレコードで聴いて強烈な印象を受け、「この楽器を弾きたい」と思ったのがきっかけだったという。

飯森さんがピアノを習いたいというと、情操教育の一環としてならそれもいいだろうと両親は考え、おじいさんの援助もあってほどなくピアノが飯森家にやってきた。飯森さんは、小さくて指が届かないながらも、ルービンシュタインの奏でるピアノ協奏曲に合わせて一生懸命メロディーを追いかけていたらしい。また耳のよさも特別で、お母さんがジャーンとでたらめに鍵盤を押さえるとその音をすべて言い当てることができた。

指揮者になりたいと思ったのは10歳のときだ。ある日、お父さんにシンセサイザーで演奏されたラヴェルのボレロを聴かせてもらった。飯森さんは即座に「この曲は何?」と尋ねた。お父さんはラヴェルのボレロだと説明し、あとからオーケストラバージョンのボレロも聴かせた。飯森さんは雷に打たれたような気持ちになり、「この曲を指揮したい!」と猛烈に思ったのだそうだ。

音楽しか知らない人間にはならない、と
普通科高校を志望

一般的に、音楽家をめざす人は、英才教育で知られる私立の名門音楽校に早い段階で入学しようとする。早く入ればそれだけ長く一貫教育が受けられるからである。しかし、飯森さんは県立の普通高校を志望した。これは非常に珍しいパターンである。なぜなのだろう。

「指揮者になりたかったからです。これは音楽のみならず非常に幅広い知識や教養が必要な仕事です。音楽だけしか知らない人間ではダメ。社会に出たときに誰もが知っていて当然とされる知識はちゃんと身につけておきたいと思いました」

中学生にして飯森さんにはこうしたビジョンがきちんと描けていた。そして志望どおり県立の普通科に入学する。それも神奈川県立追浜高等学校という有数の進学校である。

学校は楽しかった。しかし、指揮者になるためにはやはり音楽大学へ行かなければならない。音楽大学へ行くためには、他の学生のように授業のある科目の勉強をしていたのでは追いつかない。さまざまな音楽の専門レッスンに独力で通う必要がある。これは飯森さんにとって大きなハンディキャップだった。

作曲や聴音は地元の鎌倉で教わることができるからまだいい。しかし、指揮とピアノの先生は東京都在住でレッスンは14時開始。学校の授業が終わってから駆けつけるというわけにはいかない。飯森さんはどうしたか。自主早退である。人知れずいなくなるのである。このことで先生に呼び出されると、音楽大学へ入るための勉強があるのだと説明した。しかし、進学校の先生にはそのことがなかなか理解してもらえなかったという。

周りのレベルの高さに圧倒されて、
出口のない迷路に迷いこんだ2年間

桐朋学園大学音楽学部指揮科。それが飯森さんの志望した最高学府である。迷いはまったくなかった。飯森さんにとっては、小澤征爾先生がいて、秋山和慶先生がいて、日本の第一線で活躍する音楽家を輩出し続けている、まさに憧れの大学だった。指揮科はなかでも難関中の難関で、合格に該当する者がいなければ入学者ゼロという事態がなかば常態化していたが、飯森さんはそこに現役合格を果たす。しかも、それは外部から、つまり他の高校から入学した生徒としては桐朋学園史上初の快挙だった。入学当初、「飯森範親とは一体何者か」と相当騒がれたらしい。

だが、飯森さんは周りの賞賛に反して、入学を機にとてつもない挫折を味わうことになる。レベルが違う、ついていけない、というのがその理由だった。テクニックがどうこうというのではない。もはや周りは表現者として自己を確立していた。自分の音楽のスタイルというものが完全にできあがっていた。特に指揮という仕事にはそれが求められた。まだ学生だという言い訳は通用しなかった。内部入学生はそれがわかっている。しかし、飯森さんはいわば新参者である。中には飯森さんが桐朋学園の指導法に慣れていないことにまったく頓着せず、厳しく指導する教授もいた。それに耐えに耐えたのだが、精神的なストレスのあまり、なんと十二指腸潰瘍と胃潰瘍と胆嚢炎を併発し、吐血にまで至ってしまったのである。「最初の2年はまさにブランクの2年だった」と飯森さんは振り返る。

飯森氏「スランプじゃない。ブランクなんです。スランプだったらまだ脱出できる。しかし、あの頃の僕はまったくの空っぽでした。何をしても空回りで、先生からは『なぜ君はそんなに焦っているんだ』といわれるし、何をしても前に進まないという状態でした」

環境も言葉も違う国に転校生としてやってきたも同然だったのだから無理もない。むしろ隔たりを感じて当然だ。しかし、飯森さんの飯森さんらしいところは、そこから一歩も逃げようとしなかったことだ。他の人ならドロップアウトという道もあったかもしれない。しかし、飯森さんはそれを選ぶことはしなかった。

真似できるものはすべて真似し、参考になりそうなものはすべて参考にし、とにかく自分のレパートリーを広げないことには何も始まらないと、飯森さんは手に入るオーケストラ譜をかたっぱしから記憶することにした。オーケストラ譜というのはその曲に参加するすべての楽器のメロディーが記述されているのだが、それをまるまる覚えるのである。

あるときはピアノで、あるときはCDで、あらゆる手段を使って頭に入れた。一日中図書館にこもって楽曲を聴きっぱなしの日もあったという。飯森さんはのちに数多くのオーケストラ譜を完璧に覚えていることで知られ、「暗譜の飯森」と異名を取るようになるのだが、それはブランクを抜け出すための飯森さんの苦闘から始まったことだったのである。この学生時代に覚えたオーケストラ譜だけでも300は下らないというから、実にすさまじい努力だ。

大学時代のほぼ3年間、そのようにして日を送った。大学3年の終わり、フランスの名指揮者ジャン・フルネ氏が来日、桐朋学園大学で特別レッスンが行われることになった。飯森さんはフランス人の先生だからフランス音楽がいいと、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」、ドビュッシーの「海」「牧神の午後への前奏曲」の3曲を演奏した。フルネ氏はすべての演奏を「すばらしい。飯森はフランス人よりフランス音楽を理解している」と高く評価した。これは出口のない闇の中にいた飯森さんをブランクから救う何よりの特効薬となった。今までの勉強がまちがっていなかったことが証明された瞬間だった。飯森さんはフルネ氏の評を心の底から喜び、今でも非常に感謝しているという。

それでようやく自信が持てるようになり、コンクールにもチャレンジ。そして大学4年生の秋、いきなり第20回東京国際指揮者コンクールで第2位入賞(1位該当者なし)を果たす。たちまち飯森さんの名前は日本のクラシック音楽界の知るところとなり、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団など、5つのオーケストラから飯森さんは指揮をする機会を提供された。つまり、大学在学中にプロフェッショナルの指揮者として颯爽とデビューしたのである。大学を卒業しても、このまま順風満帆に仕事が来るものと信じていた。

しかし、その考えは甘かった。一人前の指揮者になったつもりでいたのに、仕事の依頼はいっこうに来なかった。5つのオーケストラで指揮棒を振らせてもらえたのは、コンクール受賞のご祝儀だったのだ。飯森さんは仕事が来ないということはもう少し勉強していろということだと自分なりに解釈し、自費で西ベルリンへ行くことを決めた。

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