第四十四回 横石知二-前編-ビジネスとは、仕事をつくること 過疎の町を再生した葉っぱビジネスの軌跡|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズ...

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横石知二-前編-ビジネスとは、仕事をつくること 過疎の町を再生した葉っぱビジネスの軌跡

徳島県上勝町、人口約2,000人の四国で最も人口が少ない町。この山あいに位置する町で注目のビジネスを展開する会社がある。和食を中心に料理を飾る“妻物(つまもの)”を主力商品とする株式会社いろどりである。商品は、“ 彩 ”というブランド名で出荷され、全国各地の有名料亭の料理を彩る。注目すべきは、ここではたらく人々。70代、80代のおばあちゃんが彩ブランドの商品を作り出す。もともとこの地域に自生する葉っぱを売ることを思いついたのが、取締役を務める横石知二氏。きっかけは実に些細であるが、ひらめきを逃さず、事業として確立するまでの軌跡を追う。

ふるさとに誇りを持てない悲しさ

横石知二(よこいしともじ)プロフィール
1958年生まれ。
1979年徳島県農業大学校 卒業、同4月上勝町農業協同組合へ営農指導員として入社。86年から妻物(つまもの)を主力商品とした彩事業を開発、販売。99年第三セクター株式会社いろどり取締役。2005年同社代表取締役副社長。
2002年アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー日本大会特別賞受賞 。
ニューズウィーク日本版 「世界を変える社会起業家100人」に選出される。
著書に『そうだ、葉っぱを売ろう!』(ソフトバンククリエイティブ刊)がある。

株式会社いろどりは、徳島市から車でおよそ1時間、勝浦川流域を除いてほとんどが山間という徳島県勝浦郡上勝町にある。高級料亭の妻物を主力商品とし、その全国シェアは80%と他を圧倒している。

徳島市から上勝町へ向かう途中、あたり一面の緑に包まれる。うっそうと茂る森林に囲まれた山道をしばらく行くと、道端や山の斜面に色とりどりの花々が迎えてくれる。その花々が、すでに上勝町に着いたことを知らせてくれる。町の至るところに咲く花々は、訪れた人々を歓迎してくれるかのようだ。

横石さんがこの地に赴任して、もうすぐ30年が経とうとしている。当時は、これほど長い間、上勝町で働くことになるとは思っていなかったという。徳島市出身の横石さんが、親の勧めで農協職員として上勝町に赴任したのは、1979年の春のこと。地元の徳島県立農業大学校を卒業したばかりの20歳のときだった。上勝町農協に営農指導員として採用され、農業経営を指導するのが主な業務であった。

当時の上勝町の主な産業は、林業とみかんの栽培。しかし、高度経済成長後、輸入により海外の安価な木材が国内の林業を圧迫、さらにもう1つの主な産業であるみかんは生産過剰で値崩れを起こし、産業は衰退の兆しをみせていた。横石さんが赴任した当時、産業の衰退が人々の生活を、さらには心をも圧迫し、人々は、ふるさとに誇りを持てない日々を送っていた。

「上勝町の女性たちは、一日中、家人の悪口や近所のうわさ話ばかりしている。男性たちといえば、酒をあおり、ぐうたらする始末。雨が降ったらもう大変。雨で農作業ができないので、昼間から酒をのみ、夕方には赤い顔をした人ばかりになってしまう。なんて町に来てしまったのか、というのが正直な気持ちでしたね。そんな光景をみているのが本当に嫌で、なんとかしなければと常に思っていましたよ。」

することがない、仕事がないというのはこうまで人の心を曇らせてしまう。さらに横石さんの心を傷めたのは、自分の子どもだけはこの町から抜け出させたいと思っていることだった。

「自分は、質素に暮らし、節約したお金を子どもの教育資金にする。子どもをいい学校にいれて、とにかく上勝町から離れた土地で生活させたい。その思いの根幹には、住民が自分の町を誇りに思っていない、この町には未来がないということを悟っているからでしょ。自分が生まれ、育った土地をそんな風にしか思えないことは、悲しいことですよ」

横石氏ふるさとを誇れる町に…。ここでしかできないことがあるはずだ。このときの思いが、今の彩事業の源になっている。

生まれ持ったチャレンジ精神と上勝町をよくしたいという気持ちで、赴任当時からどんどん新しい提案を行ってきた。しかし、横石さんの思いをよそに、人々の反発は大きかった。よそ者、そして当時20代前半という若さが邪魔をし、人々にその思いが伝わるはずもなかった。

そんな逆風にも負けず、若き日の横石さんは次々と農業経営改革の提案をする。しかし、「よそ者のお前が、えらそうなことをぬかすな!」とはねつけられるばかり。上勝町、そして世界の状況を冷静に考えても、みかん栽培での生き残りは難しい。ここでしか出来ないことを始めてみようと提案しても、当時生活のすべてを支えるみかん栽培。それを否定する、よそ者の若造ときたら疎ましいことこの上ない。横石さんと上勝町の人々との間には完全な溝ができてしまった。

そんな折に、記録的な自然災害が上勝町を襲う。

災い転じて、福となす
あきらめない、そしてひらめきを仕事に

1981年2月、大寒波が上勝町を襲ったのだ。零下13℃という記録的な低温状態により、町の経済を支えるみかんの木が全滅してしまう。横石さんが着任して2年後のことだった。

とにかく、町の人々にとってはみかんに代わる収入源が必要。まずは、一日も早く現金収入が得られればと、農家が自家用に栽培していた青物野菜を市場に出荷することにしたのだ。横石さん自ら農家を回って野菜を集め、徳島市内の市場に出荷する。もちろんセリが行われるのは早朝。車の中で睡眠をとり、セリに立ち会う。その後、上勝町に戻って農協へ出勤する、横石さんの生活は上勝町のために回っていた。

そんなある日、ある市場関係者に声を掛けられる。強力なアドバイザーとして上勝町復興の立役者の1人となった市場の産地部長、立石さんである。現状を話すと、新たな作物や栽培時期など相談に乗ってくれた。立石さんのアドバイスにより、切り干しイモやワケギ、ホウレン草と新たな作物の栽培に挑戦した。すると、みかんと違い栽培期間が短い作物は、現金収入になる日数が早く、意外なところで農家の方々の支持を得ることとなった。

横石氏「売り場の人に聞くのが一番。立石さんは、いつ何を作ればいいかだけでなく、売り方まで親身になって教えてくれた」

上勝町を変えようと、あきらめない横石さんの姿は自然と応援する人を引き寄せていたのだろう。市場での立石さんとの出会いは、上勝町の転換に大きく拍車をかけた。翌年には、原木しいたけやタラ芽など栽培品目をさらに増やし、寒波からたった3年で、確実に上勝町は回復したのである。こうして大寒波をきっかけに、農業の再編がよい方向に動き出した。そして、気がつけば上勝町の人々との溝は埋まり、信頼関係が築かれていたのだった。

よそ者でありながら、上勝町を人々が誇れる町にしたいと思う気持ちはだれにも負けず、必死で働き続けた横石さん。伝わるまでにだいぶ時間はかかったが、その思いは人々に確実に届いていた。しかし、農業を支える人々の高齢化と少子化の勢いは、とどまることを知らない。いくら作付け転換に成功したとはいえ、町の活気が失われるのを止めることは難しかった。

「着任してからずっと考えていたこと、どうしたら町に活気がでるのか。上勝町に人がとどまり、上勝町に人が集まるようにしなければ。これを、どう実現するかでした。」

そこで横石さんが着目していたのは、女性の活躍である。女性が活躍できる場さえあれば、この町は変わることができると確信していた。

「とにかく女性はおしゃべりが好き。悪口もうわさ話も。そのおしゃべりがいい方向に向くようになればいいなと。自分のことを、家族を、町を自慢するおしゃべりを繰り広げてくれたら。町の一人ひとりが活躍するには、生きる場所を見出せるような仕事をつくるにはどうすればいいのか…。上勝町に来た頃のふるさとを悪く言う人々の姿が忘れられず、だれもが誇れる町にしたいと思っていました。」

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