テレビが夢を与え
夢を実現するきっかけをつくってくれた
![]() 放送作家。1972年、千葉県生まれ。大学在籍中に、「テレビにかかわりたい」と放送作家を志す。「演者の気持ちが分かる作家になれ」と言われて芸人として舞台に立ち、半年後に放送作家としてデビュー。無報酬でラジオ番組の作家をしながら経験を積み、テレビ界に進出。以後、『SMAP×SMAP』『めちゃ×2イケてるッ!』『いきなり!黄金伝説。』ほか、多数のバラエティ番組の構成を手がける。女性お笑いトリオ『森三中』の大島美幸さんと、交際0日で結婚したことは大きな話題となった。 |
「テレビの世界に行ってみたい」
テレビを観ていて、一度もそう考えたことのない子どもはいないのではないだろうか。スポットライトに照らされ、スターと呼ばれる人たちが闊歩する華やかな世界。常に話題に上る人気番組や、最先端のメディアが紡ぎ出す豊かなクリエイティビティは、新しいものに目がない子どもたちの好奇心を捉えて離さない。鈴木おさむさんも、かつてはそんなテレビの虜になった少年だった。
「なんといっても、テレビが元気な時代に子ども時代を送った世代ですからね。とにかくテレビが大好きで、とりわけお笑い番組をよく観ていました。高校時代に放映されていた『夢で逢えたら』という、ウッチャンナンチャンさんやダウンタウンさんが登場する番組が大好きで、『こういうのを創る人になりたいなあ』と、ただただ憧れていたんです。でも、どうすれば『創る人』になれるのか、よく分からない。そうこうしているうちに時間だけが過ぎ、とりあえず大学には行っておこうと思って、高校を卒業しました」
そう、実際にその憧れを実現するとなると…、どうしていいか分からない。そして、誰もが「なんとなく」無理だと諦めてしまうものだ。多くの「テレビっ子」たちは、そうしてテレビを観る側に回ることになる。
しかし、鈴木おさむさんは、そうではなかった。なんとなく受験し、なんとなく過ごしていた大学1年の夏休み、偶然合わせたチャンネルで、あるお笑いライブの舞台裏を取り上げたドキュメンタリーを観たことをきっかけに、テレビに対して漠然と抱いていた憧れが、具体的な目標に変わったのだ。
「わあ、こうやって創るんだ、って衝撃でしたね。その中心人物が『放送作家』だったんです。それで、あの場所に行けば、あの放送作家さんに会える。そしたら、どうすれば放送作家になれるのか、教えてもらえるんじゃないかと。それで、104に電話して電話番号を調べ、早速連絡をとったんです」
当時のことを思い出すと、今でも顔から火が出るという。
「連絡したときは放送作家志望とは言わず、芸人志望と偽ってオーディションを受けに行ったんです。幸いその場に放送作家の方もいらっしゃったので、そこでいきなり『実は、放送作家になりたいんですけど』とカミングアウトしました。今考えれば、テレビを観て、その人に会いたいからって電話して、押し掛けていくなんて……。そのイタさたるや、これが若気の至りというものでしょうか(笑)」
テレビ番組を創る放送作家に憧れる若者は多い。しかしながら、どんな仕事なのか、どうやったらなれるのか、正しく答えられる人は少ないのではないだろうか。それなら、放送作家本人に聞くのが一番だ。それを、鈴木さんは実行した。
「でも、まずは『演者の気持ちが分かるように、半年間芸人として舞台に立て』と言われて……。半年間、自分でネタを書いて舞台に立ち、さんざん冷たい空気を吸いました(笑)。あのときの経験があったからこそ、舞台に立つ芸人さんの気持ちがわかるようになりましたし、台本を書く相手には、なんとしてでも笑いをとらせるという気持ちでいますね。笑いがとれない、あのイヤ~な空気は二度と吸いたくない。だから人にも吸わせたくないんです」
そして半年後、放送作家デビュー。まだ19歳の大学生ながら、ラジオ番組を中心に放送作家としての仕事を始めていった。しかし、テレビ番組では、企画がなかなか採用されず、ラジオ番組も無報酬だったという。
「それでもテレビのクリエイティブな場に参加しているというだけで、うれしかったですね。放送作家として活躍されている、“すごい人たち”に囲まれているだけで勉強になりましたし、面白かった。そんな周りの大人たちに早く認められたくて、もうフル回転でしたよ。初めてのテレビ番組の仕事のときは、毎週コントを何本か書いて提出することになっていたんですが、一つの宿題に対して1本でいいところを10本書いて提出していました」
1本書いてダメだったら、書き直しして提出するまでにまた時間を要する。それなら10本書いて提出すれば、1本だけでも選ばれるかもしれない。そうでなくても、不採用になったコントに対する評価の中から、「求められているもの」が見えてくるかもしれない。そう考え、一つの課題に対して、10本のコントを書き続けた。しかし、毎週のお題は5~6つ。それに対して、すべて10本ずつ書いていたわけだから、半端な作業ではない。
「大人って、努力する若者に案外やさしいんですよ(笑)。褒めてくれることもあるし、いろいろ教えてくれるようになる。それがうれしくて続けていましたね。毎日映画を観なさいと、アドバイスされたことがあるんですが、もう喜んで観るわけです。僕が育ったのは千葉の南房総なんですが、田舎にいた頃は、映画なんて滅多に観られませんでしたから…」
「夢に向かって努力しているというよりは、たくさんの映画が観られることがうれしくて、楽しんで観ていました。きっかけは、あのときのアドバイスですが、あの頃に、いろんな作品を観たことが、結果的に、とてもいい勉強になり、今につながっていると感じますね」
人の10倍の量を自らに課し、アドバイスに素直に従う。そんな姿を観て、応援したくならない大人がいるだろうか。それ以降、鈴木さんの仕事はどんどん増え、ラジオ番組を10本以上も抱える売れっ子作家となっていった。
「とにかく書いて書いて、ひたすら書いて。そのうちに番組のスタッフと仲良くなって、信頼関係が生まれました。流動の激しい業界ですから、出世したり、転職したり、フリーランスとして、いろんなテレビ局やラジオ局を掛け持ちしたりと、どんどん活躍の場を広げる人も多い。かつて仕事をしたことのある人たちから、次々と声をかけてもらえるようになったんです」
「当時の仕事は、AMラジオ番組がほとんどでしたが、音楽が好きだったこともあって、FMラジオ番組にも関心があったんです。そんなときに『FMの番組をやりませんか』との誘いを受けたんです。これも、かつてAMラジオで一緒に仕事をしていたディレクターさんからの誘いでした」
それが、国民的アイドル『SMAP』のメンバー木村拓哉さんとの出会いにつながり、12年に渡る人気番組「SMAP×SMAP」へとつながっていった。その後の活躍は、手がけた番組のラインナップを見ればお分わかりいただけるだろう。





