歌の素晴らしさを伝える媒体でありたい
![]() 東京都生まれ。東京藝術大学、同大学院修了。 文化庁オペラ研修所修了後、ミラノとミュンヘンに留学する。 1998年、ドミンゴ世界オペラコンテストで入賞し、国立ワシントン歌劇場で海外デビューを果たす。 出光音楽賞、ワシントン賞、ホテルオークラ賞、安宅賞など受賞歴多数。『Ave Maria』ほか5枚のCDを発表している。 http://www.makimori.com/ |
媒体になりたい─。その言葉を、彼女は取材の中で何度も口にした。オペラという芸術の魅力、何百年にもわたり奏で続けられ、聴き継がれてきたクラシックという音楽の歴史、そして歌が持つ力。自分の声と体を通して、それらを多くの観客に伝える「媒体」になりたいのだと。
「音楽の力を、私という媒体を通じてお客様に伝え、みんなの心を一つにしていくことが、今の私のテーマなんです」
日本を代表するオペラ歌手、森麻季氏はそう話す。
これまで彼女は、歌い手とすべての観客の「心が一つになる」場面を何度か経験してきた。最初は、2001年9月11日のあの悲劇の時だった。国立ワシントン歌劇場での「ホフマン物語」の公演を3日後に控え、リハーサルに取り組んでいる時に事件は起きた。ワシントン歌劇場があるのは、ホワイトハウスとペンタゴンの隣駅である。その時、そこが世界で最も危険なオペラハウスだったことは間違いない。
「オペラ公演の日は、事件から数日しかたっていませんでしたし、現場からとても近かったので、誰も劇場には来ないだろうと思っていたのですが、本番当日はほぼ満席になりました」
いつ何が起きるか分からない状況の中、会場に詰め掛けた観客たちは、舞台を大いに楽しみ、彼女が第一幕での出番を終えた時にスタンディングオベーションを送ってくれた。通常、スタンディングオベーションとは全幕終了後に行われるものであることを考えれば、それは極めて異例のことだった。演目のすべてが終わった後は、多くの人が楽屋を訪れ、彼女に感謝の気持ちを伝えた。未曽有の非常時の真っ只中にあってそんな場面に立ち会ったことが、彼女を大きく変えた。
「それまでは、上手に歌えるようになることや、少しでもいい役をもらえることを目標にしていました。でもあの体験を経て、お客様の心をつかむこと、お客様と心を一緒にすることが一番大切だって思えるようになったんです」
自分は歌の力を伝える「媒体」でいい。そう考え出したのは、それ以降のことだ。
それから10年後の2011年。大きな悲劇が、今度は日本を襲った。3月11日。その時、彼女は東京にいた。翌日には兵庫で「椿姫」の舞台に出ることになっていた。何とか兵庫にたどり着き、舞台出演に間に合った彼女は、即座に義援金を募った。そして、地震の被害を受けた福島にも程なく足を運んだ。
「以前から出演を予定していたホールが壊れてしまったので、体育館に場所を移して公演を行いました。中学生からお年寄りまでたくさんの人が足を運んでくださって、私の歌を聴いて『涙が出て仕方がない』と言ってくださいました。歌や言葉って、幸せな時よりも、悲しい時、苦しい時の方が心に届くんですね。皆さんが涙を流して、心が洗われたと言ってくれたので、私の方が勇気をもらったような気持ちになりました」
そこでも彼女は、歌が「心を一つにする」体験をしたのだった。
その瞬間にその役を生きる
森氏が初めて歌の力に魅了されたのは、中学生の頃だった。ピアノに取り組んでいた彼女に「音楽性を豊かにするために、歌をやってみたら」と勧めた教師は、その十数年後に、彼女が世界を舞台に活躍するオペラ歌手になるとは思ってもいなかっただろう。
「合唱で簡単なソロパートを歌ったら、普通の人よりも声が出て、歌ってこんなに楽しいのかと思いました。小学校の時にピアノ科に通っていたこともあり、それまでは特にピアノの勉強をしていたのですが、ピアノは、1曲を仕上げるために何カ月も苦しい練習を繰り返さなければなりません。でも歌曲なら簡単にメロディーが歌えますよね。すぐに大好きになりました」
それはビギナーズラックのようなものだったかもしれない。東京藝術大学の声楽科に進学して本格的に歌に取り組むようになって初めて、森氏は歌うことの深さや難しさを知ることになる。それから本当に「歌える」と思えるようになるまでに約10年の歳月を要した。