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平成の世にサムライを探して 

【第九十七回】画家 水上卓哉「リハビリのための絵から、唯一無二の“表現”へ──描ける喜びのすべてを絵に託して」

小学校6年生の時に交通事故に遭い、身体障害、言語障害、高次脳機能障害と戦いながら、油彩画や水彩画で独自の世界を描き続けている画家、水上卓哉氏。彼は、事故の後遺症とどう戦い、絵の才能をどのように開花させたのだろうか。若き画家の画業と生活を支え続ける母、真由美さんに話を聞いた。

12歳の時事故で瀕死の状態に

水上卓哉(みずかみたくや)プロフィール
1990年名古屋生まれ。
12歳で交通事故に遭う。事故後、リハビリとともに絵を描き続ける。
2009年、京都造形芸術大学通信教育部洋画コースに入学。
2010年に初個展「はじめの一歩」を地元名古屋で、翌年には個展「ひと筆の祈り」を東京・銀座で開催する。

公式HP「アトリエTAKUYA」
http://www.atelier-takuya.com/

※黒字=水上真由美氏

── 卓哉さんは、何歳から絵を描き始めたのですか。

5歳の時です。「楽しい時間が増えればいいな」というくらいの軽い気持ちで、近所の絵画教室に通い始めました。ほかに、ピアノや合唱も子どもの頃からやっていました。小学校に入ってから一番熱中したのは、部活動の和太鼓でしたね。4年生から6年生まで1日も休まずに練習に参加していました。

絵の方面では、名古屋城景勝保存協会写生大会という絵の大会が毎年開かれているのですが、それに初めて作品を応募して、「名古屋市議長賞」という賞をいただいた時に、「この子は絵が得意なのかもしれない」と思いました。8歳でしたね。

卓哉に絵を教えてくださっていた谷口泉先生の指導法も素晴らしかったと思います。先生はいつも「お絵かきは“発散”ですから、お母さん、変なものを書いても怒らないでくださいね」とおっしゃっていました。小さい頃は好きなものを好きなように書けばそれでいいというのが先生の方針でした。自由に感じるままに描くことを教えていただいたことが、卓哉の絵の基礎になっているように思います。

── 事故の時の話を聞かせていただけますか。

塾からの帰り道、横断歩道を自転車で渡っている途中で車にはねられました。12歳の時です。病院に駆けつけた時は、もう瞳孔が開きかかっていて、命が危険な状態でした。脳幹に傷がついてしまっていて、目覚めるかどうかは分からないと病院の先生から言われました。ICUにいた10日間は、本当に気が気ではありませんでしたね。

── 卓哉さんが意識を取り戻した時のことを覚えていますか。

水上卓哉氏と母 真由美氏事故から数日後、私が呼び掛けると、目の色がふっと変わった気がしたんです。この子は絶対に私の声が分かっていると思って、「お母さんだよ、もう怖くないよ、後は治るだけだからね」と大きな声で語り掛けました。それからは、枕元で歌を歌って聞かせたり、絵本を読んだり、近くで弁当を食べて匂いを嗅がせたり、足をさすったりと、あらゆる感覚を刺激しようとしました。ちょっとだけ目が動いたように見えるとか、手がかすかに反応するとか、そんな状態がしばらく続きました。

事故後2週間くらいでリハビリを少しずつ始めたのですが、ひと月半ほどたった頃、先生が、「オレンジの風船に触ってごらん」と語りかけると、手を風船のほうに伸ばしたんです。そこを意識が戻った日ととりあえずはしていますが、言葉を話せるようになるまでは、そこからさらに時間が掛かりました。

どうしても絵がやりたい

── 事故後、絵を再開したきっかけは何だったのでしょうか。

好きだったことをやってみたら、以前の感覚が戻るかもしれない。そう考えて、合唱団の練習に参加させたり、塾に連れていったりしたんです。絵もその一環でした。あくまでリハビリのために、谷口先生のところにまたお世話になることにしたんです。

キャンバスの上で筆を走らせる水上卓哉氏始めはある程度動く右手で絵筆を持って描いていたのですが、力を入れると震えるようになってしまって、左手で描く訓練をしました。しかし、いずれにせよ絵にはなりませんでしたね。馴染みのある名古屋城の写生大会にも参加したのですが、うまく描けずに、途中で止めてしまったりしました。

それでも、徐々に描けるようになっていって、翌年には写生大会で「協会長賞」という賞をいただくこともできたんです。卓哉も絵に対する自信を取り戻していって、高校2年生の頃に、ずっと絵を描いていきたいと話すようになりました。

── ご両親は、その思いを後押ししたのですか。

いいえ、最初は戸惑いました。リハビリのために絵を始め、ある程度描けるようになってからは、あくまで楽しみとして描き続けていたわけですけれど、もし専門的に絵に取り組もうとしたら、それは楽しみではなくなってしまいますよね。それに、もし絵にチャレンジして失敗したら、卓哉には何も残らなくなってしまうかもしれません。周囲からも、やめたほうがいいと言われました。絵の勉強をするくらいなら、生活訓練をして、日常的にできることを一つでも増やしていったほうがいいと。

── しかし、卓哉さんの思いは強かった……。

アトリエ風景ええ。どうしても絵がやりたいと言い続けました。そこまで言うならと、美大を目指して受験勉強を始めることにしました。予備校に行ってデッサンを学び、体力作りにも取り組みました。入試では、絵を6時間描き続けなければなりませんから。

ただ、迷いもありました。卓哉は体のコントロールがうまくいかずに、絵筆を持つ手にすごく力が入ったり、激しい勢いで描いてしまったりすることがあるんです。でもそれが卓哉の個性でもあるので、完全に直してしまってはいけないと予備校の先生は仰いました。

でも、受験に合格するための正しい技術も身に付けなければなりません。「どちらもできるように頑張ろうね」と話してくださったことを覚えています。

── そうして見事、美大に入学して、願いがかなったわけですね。

願いがかなう、というより、かなうまでやる、という気持ちが卓哉にはあるんだと思います。

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