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【平成の世にサムライを探して】心臓外科医/順天堂大学医学部教授 天野篤「患者の命を背負い、今日もメスを持つ──『戦い』への挑戦が自分を鍛えた」

これまで6000例を超える心臓外科手術を手がけ、天皇陛下の冠動脈バイパス手術も執刀したのが天野篤氏だ。現在も年間500例近い手術を執刀し、絶えざる探求心をもって心臓外科の技術向上に取り組む天野氏。その情熱の裏には、医師としての使命感と、亡き父の存在があった。「神の手を持つ外科医」と呼ばれる医師が、自らの信念を語る。

数を重ねることでしか見えないものがある

天野篤(あまのあつし)プロフィール

1955年埼玉県生まれ。
3年間の浪人生活後に日本大学医学部入学。
関東逓信病院(現NTT東日本病院) 、亀田総合病院、新東京病院、昭和大学横浜市北部病院循環器センターを経て、2002年より順天堂大学医学部教授に。
2012年には天皇陛下の心臓手術を執刀した。
著書に『一途一心、命をつなぐ』(飛鳥新社)がある。

※黒字=天野篤 氏

── 心臓外科医を志したきっかけは何でしたか。

父が心臓弁膜症を患っていて、その治療に関与したいと思ったのが、医者になろうと考えたきっかけです。家があまり裕福ではなかったので、早く親を楽にしてやりたいという気持ちもありました。

── これまで、どのくらいの数の手術を手がけてこられたのですか。

自分で執刀するようになったのが33歳の時で、それから6000例以上執刀してきました。3000例を過ぎてからは、自分が前面に立つのではなく、若手の医師が患者さんと関係を築けるような環境をつくろうと努めてきました。

心臓の病は、一回の手術で治るとは限りません。10年、20年と継続的な治療が必要なこともあります。従って患者さんにとって、主治医はできるだけ長く付き合える人の方がいいんです。主治医が30代であれば、この先長く患者さんとお付き合いできます。関係が長くなれば、患者さんも安心して自分の体を見てもらうことができます。患者さんのためを思ったら、僕が教授だからとか、執刀医だからといって出しゃばらない方がいいんですよ。

── 手術医としてあえて多忙であることを選んでいるように感じられます。

昨年の執刀数が505例ですから、1日1件以上の計算になります。確かに多忙ですが、まぐろのようなもので、泳ぎ続けていないとだめなんですよ。自分の生業によって忙しくある。それが人の正しい生き方だと思っています。

── これまで6000件以上もの手術を手がけることができた一番の理由は何だと考えていますか。

生命を危機から守り続ける天野氏の手(
生命を危機から守り続ける天野氏の手(“神の手”と称される)

音速の世界から光速の世界に入ると、見えるものが全く異なるといいます。それと同じで、少ない経験から見えるものと、膨大な経験の中で見つける発見とは、価値が全く異なると僕は考えています。数多くの経験の中で見つけたものにこそ本当の価値があり、それは、僕の後に続く人たちにとっても有用なものになるはずです。

その価値をつくり出すために、僕はあえて「数追求型」の手術医であることを選んでいるわけです。数を追求してきたからこそ、今の自分にしか見えない風景があるし、自分にしか見えないターゲットがある。それを次の世代に対して目標として示してみせる。それが医師としての僕の使命であると考えています。

リスクに向き合い「関所」を越える

── 天皇陛下の手術後、「自信はあった」と発言されていました。その自信もやはり経験によってもたらされたものなのでしょうか。

今になって考えれば、あの自信は経験というよりも、手術前に天皇皇后両陛下と信頼関係を築くことができたことによるものだと思っています。検査の段階から関わらせていただいて、手術前に2回ほど両陛下とお話をする機会を持たせていただきました。

手術のポイントを一つひとつお話しし、ご理解いただけたことで、「手術についてよく理解してくださっている患者さんと、それを執刀する医師」という関係をつくることができた。だからこそ、平常心を保って手術に臨むことができたのだと思います。

ぎっしりと並べられた胸部外科の手術記録
ぎっしりと並べられた胸部外科の手術記録

── 今でも手術が怖いと感じることはありますか。

もちろんあります。どれだけ経験を積んでも、恐怖から完全に逃れることはできません。例えば、手術をすることに大きなリスクがともなうようなケースでは、やはり恐怖感を感じざるを得ません。しかし、その患者さんが今50歳だとして、手術しなければ80歳まで生きることはできないとすれば、リスクを覚悟で手術に臨むしかありません。そして、何が何でも手術を成功させなければなりません。そういう戦いの局面は常にあるし、それに挑むことによって自分は鍛えられたと思っています。

戦いに負けることも稀にあります。しかし、負けっ放しにはしません。手術のどの過程で、どのような理由でつまずいたのかを徹底的に考え、その答えが出てから次の手術に臨むことにしています。

いずれにしても、どんな手術であれ、最後は腹をくくるしかありません。どんなことが起ころうとも、太陽は東からしか昇らない。天体宇宙の動きは、自分がどうあろうと変わりはない。そう考えて、そこに身と心を委ねてしまえば居直れます。

── 手術医としての一番の失敗は何でしたか。

父親を死なせてしまったことでしょうね。父は3回手術を受けて、3回目の手術の後に亡くなりました。僕は助手として2回目の手術に立ち会いました。父が命を落としたのは、僕の判断ミスからでした。僕に腕があれば、母親と二人で仲睦まじく暮らす時間をつくってあげられたと思っています。

── 今の腕なら、お父さんを救うことができた…。

天野氏

そう思います。東日本大震災が起きた時に行っていた手術が、ちょうど同じ手術でした。あの悪条件の中で僕は手術を成功させ、患者さんはひと月後に元気に退院していかれました。

父に限らず、手術をする以前より患者さんを悪い状態にしてしまったら、まして、命を落とすようなことになってしまったら、そこに携わった医師は、その重荷をずっと背負って生きていかなければなりません。できることなら、そういうリスクからは逃れたい。しかし、逃げ続けることはできません。向き合わなければならない場面が必ずやってきます。

そんな時僕は、自分の気持ちをできるだけフラットにして、万全の準備をして、「関所」に挑みます。関所を通る方法はいくつもあります。門番に挨拶をする、お札を見せる、あるいは門番と戦って倒す──。そんな数々の方法から、最善と思われる一つの方法を選び、何とかしてその関所を越える。それが、我々手術医の仕事であると思っています。

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※2010年9月30日以前に公開されたコンテンツについては、本文中の社名は当時のもの(日立システムアンドサービス)となっております。
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