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第7回 伝統工芸士(多摩織) 澤井伸 「「いま」を注視し伝統を紡ぐ」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

~【挑む人】新時代の「サムライ」を探して~第7回 伝統工芸士(多摩織) 澤井伸 「「いま」を注視し伝統を紡ぐ」

かつて「桑の都」として知られた東京・八王子で織物をつくって120年。澤井織物工場は伝統工芸「多摩織」を担う工場の一つだ。その現当主・澤井伸氏は、2018年「現代の名工」として表彰された。最先端のファッションの世界とも関係の深い織物の世界における「伝統」の意味とは何か。また、その伝統を守っていく方法とは──。

小さい頃から機(はた)を織る音をいつも聞いていた

澤井伸(さわい・しん)プロフィール

伝統工芸士(多摩織)
澤井伸(さわい・しん)
有限会社澤井織物工場代表取締役社長。本格的に織物の仕事を始めたのは25歳の頃。8年前に先代の父から会社を受け継ぐ。澤井家19代目当主。織物業としては4代目となる。2018年、「卓越した技能者(現代の名工)」として厚生労働大臣から表彰される。

八王子の養蚕の歴史は古い。平安末期から鎌倉初期にかけて2300に上る和歌を詠んだ歌人・西行は、この地を訪れた際に「あさ川をわたれば富士のかげ清くくわのみやこに青あらしふく」という歌を残している。「あさ川」は八王子を流れる多摩川の支流である浅川のこと。「青あらし(青嵐)」とは青々とした若葉を湛(たた)えた木々を揺らして吹き渡る嵐を意味する。およそ800年前の「桑の都」八王子の初夏の風景を詠んだ歌である。

桑を栽培し、その葉を食料とする蚕(かいこ)を育て、繭から糸を紡ぎ、それを織って織物とする──。八王子ではそんな歴史が中世の頃から積み重ねられてきた。400年前の文献に「滝山紬(たきやまつむぎ)」「横山紬」の名称が見られると八王子織物工業組合の資料にある。さらに、16世紀になって北条氏が多摩川のほとりを本拠とし、絹織物の生産を奨励してからは、八王子は織物市場として大いに栄えたという。

現在は「多摩織」と呼ばれる八王子の織物だが、その名称が誕生したのは比較的近年のことである。この地域の織物を伝統工芸品に指定するに当たって、通商産業省(現・経済産業省)が考案したのが1980年のことだ。

「それまでこの辺りでは、個々の機屋(はたや=織物職人)がそれぞれに織物をつくっていました。それをまとめる名称はなかったのですが、伝統工芸品には総称が必要だろうということで“多摩織”という名前が新たにつけられたわけです」

澤井伸氏
澤井伸氏

曽祖父の代から八王子で織物業を営む澤井織物工場の澤井伸氏はそう話す。現在、多摩織として認定されているのは「紬織」「お召織(めしおり)」「風通織(ふうつうおり)」「変わり綴織(つづれおり)」」「綟(もじ)り織」の5種類。多摩織全体で工場の数は9つあるという。

漢方医をしていた澤井家の祖先が養蚕農家を始めたのは江戸時代後期、およそ百数十年前のことだ。まもなく製糸と織物も手がけるようになり、祖父の代になって織物の生産が拡大した。

「小さい頃から機を織る機械の音がいつもしていました。機械の音を聞きながら育ったので、織物職人になるのは自然なことでしたね」

澤井氏はそう振り返る。現在は精錬され染色された糸を専門の職人から調達し、作業は織りに特化している。機械織りと手織りを組み合わせて、時間をかけて丁寧に仕上げる。もっとも、和装の布地や風呂敷などとして使われる伝統的な織物の生産量は決して多くはない。現在の主要な取引先はアパレルメーカーで、数多くの一流ブランドのマフラー、スカーフ、ショールなどをOEM(※)生産している。

枝を伸ばしながら伝統を守っていく

杼(ひ)と呼ばれる手織りの用具。縦糸の間に横糸を通す際に使われる。
杼(ひ)と呼ばれる手織りの用具。縦糸の間に横糸を通す際に使われる。

澤井氏が実家で織物の仕事を始めたのは25歳の頃だった。高校を卒業後、デザイン学校に通い、別の会社に就職してから、父の下で働き始めた。着物の需要が目に見えて減り始めたのは、バブル崩壊後だった。

「バブルの終わりと時代が平成に入ったのはほぼ同じ頃ですが、着物産業が斜陽化し始めたのもちょうど同じ時期でした。何か新しいことを始めないと生き残れないので、本職の多摩織に加えていろいろな“枝”をつくることを考えました」

転機になったのは、多摩織の一つである「お召織」の手法でつくったストールだった。一般には楊柳(ようりゅう)と呼ばれるしぼ(波状の凹凸)が入った織物で、それが注目を集めてアパレルメーカーからの注文が入るようになり、伝統技法を駆使したマフラーやランチョンマットを多く手がけるようになった。

「決まったことしかできないと、仕事はどんどん先細りになっていきます。いろいろなところに枝を伸ばしながら、伝統を守っていく。それが、伝統工芸が生き残っていく道だと思っています」

そんな「枝」の一つが、IT企業とのコラボレーションである。2016年、澤井氏は米Googleの依頼で、衣服を「タッチパネル化」するプロジェクトに参画した。

「製紐機(せいちゅうき)と呼ばれる機械でリネンの紐を編んでつくる手法で、銅線を芯に入れて組紐をつくるアイデアを提供しました。その組紐(くみひも)で布を織れば、生地自体が導電性を持つことになります。その布の表面を触れば、静電気に反応して電気が通り、スマートフォンに信号が送られて反応するという仕組みです」

上/複数の糸を編んで組紐をつくる製紐機(せいちゅうき)。色の違う糸を使用することでいろいろな色彩を表現できる。下/静電気を放電させるために工場などで使用される銅製の布。手織りでしかつくれないという。
上/複数の糸を編んで組紐をつくる製紐機(せいちゅうき)。色の違う糸を使用することでいろいろな色彩を表現できる。
下/静電気を放電させるために工場などで使用される銅製の布。手織りでしかつくれないという。

この取り組みは「プロジェクト・ジャカード」と名づけられたGoogleの研究開発の一環だった。「ジャカード」は、ジャカード織機と呼ばれる自動織機でつくられた布地を意味する。衣服を文字通りの「ウェアラブル」デバイスにすることをめざした研究開発だ。

Googleは、澤井氏考案の組紐を使って英国の高級紳士服街サヴィル・ロウでジャケットを仕立て、その後、ジーンズメーカーのリーバイスと組んでスマートジーンズの商品化に成功している。デニムジャケットを着た男性が自転車に乗りながら、ジャケットの袖口にタッチしてスマートフォンの曲を選曲したり、電話をかけたりする映像をYouTubeで見ることができる。

他にも、マニラ麻でつくった紙を細く切って撚(よ)った「麻糸」と呼ばれる糸を使った布地など、澤井氏はこれまで数多くの新しい試みにチャレンジしてきた。

「年がら年中試作品をつくっていますが、失敗することも多いですね。それでも、絶えず新しいものを生み出していかなければならないと思っています」

長い間受け継がれてきた技術の基礎を変えるつもりはない。伝統の技術とこれまでになかった素材や発想を掛け合わせることによって新しいものは生まれる。そう澤井氏は話す。

「新しいものができたといっても、それが世の中に受け入れられて、定番となっていかなければ商売にはなりません。いかに定番となるものをつくれるかが勝負ですね」

※ OEM(Original Equipment Manufacturing):他社ブランドの製品を製造すること

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