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【平成の世にサムライを探して】第二回 南場智子-前編-『やっちまった』からにはあとにはひけない。これで絶対大成功したい!|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

南場智子-前編-『やっちまった』からにはあとにはひけない。これで絶対大成功したい!

たった一度の人生なら、こんな風に生きてみたいと思わせてくれる熱血仕事人を訪ねるこのコーナー、第ニ回は、 「ビッダーズ」「モバオク」などを展開し、社会に新しいショッピング習慣を持たらしている 株式会社ディー・エヌ・エー南場智子氏の素顔に迫る。切れ者の負けずぎらいが歩む成功への道。現代は女性だってサムライだ。まずは、ちょっと特異な彼女の前半生をご紹介しよう。

厳格な父親に絶対服従だった幼少期

南場智子(なんばともこ)プロフィール
新潟生まれ。86年、経営コンサルティング会社マッキンゼー入社。96年に同社のパートナー(共同経営者)に就任。99年独立。 So-net、リクルートなどの出資を受け、ディー・エヌ・エーを設立。オークション&ショッピングサイト「ビッダーズ」を立ち上げる。その後、不用品の買取見積りを取るサービス「おいくら」、携帯電話を主体としたオークションサービス「モバオク」などを次々と立ち上げて、日本のeコマースに新風を巻き起こしている。

このコーナーは、稀代の仕事人を取材するのを目的としている。が今回は、前半を南場さんの仕事人となるまでの前半生の話で紙幅を割くことをお許しいただきたい。それは彼女の今日を語るのに決して端折ってはいけない前置きだからである。「今の時代にそんなことが」と思われるような特異な前半生を彼女は過ごしてきた。しかし、今にして思えば、そうだったからこそ、ITベンチャーのトップなどという激務を生き抜く素地ができたと思うからだ。

南場さんは新潟生まれ。非常に厳格な家庭で育った。いや、もう封建的といってもいいだろう。父親が絶対的な権力を持っており、そこに母親や娘である彼女に発言権というものはまったくなかった。会社経営していたという南場さんの父親は、身長は180cmを越え、体重は100kg前後という身体的にも大人物。幼少期の彼女にとってただただ怖い存在だった。たとえば、彼女が自転車が欲しいと思う。母親に頼んで上申する。父親が「だめだ」という。それでこの一件は終了である。彼女に食い下がる余地はない。父親が「だめだ」といったら理由も何もなくだめで、一度下された決定は絶対にくつがえらなかった。父親の許可を得なければ、彼女は何もできなかった。彼女の行動の是非のすべてを判断していたのは父親だった。

南場さんの父親はまた、女に教育は必要ないと考える人だった。学校教育そのものも信じていなかった。だから彼女は小・中学校時代、学校で出た宿題を家でやったことがない。父親が「そんなものはする必要がない」といったからである。机に向かっている姿を見られようものなら、「お前が勉強なんかしたら天変地異が起こる。そんな暇があったらお父さんの靴を磨きなさい」といわれる。そうすると彼女はただちに勉強を中断して、靴を磨きにいかなければならない。靴磨きが父親にお酌をすることであったり、父親の腰をもむことであったりもした。しかし、そこに親子らしい会話はない。南場さんに許されているのは、父親の問いに「はい」「いいえ」で答えることだけである。

宿題をしなくてもいいというのは喜ばしいことのようでいて、学校に行けばそれは立派な罪である。南場さんは宿題をしていかなかったことで体罰をよく受けた。黒板に自ら頭をぶつけて「ごめんなさい」と謝罪したり、堅い木の椅子に何時間も正座したり、そうしたことは彼女にとって日常茶飯事だった。しかし、つらいと思ったことはなく体罰もルーチン化してこたえなくなっていた。

家庭教育を学校教育より優先させるべきものだと考えていた南場さんの父親は、「授業などというのは聞くものではない」と彼女に教えていた。だから、彼女は先生の話をまったく聞かなかった。小学校時代などは、友達とおしゃべりに興じたり、授業中歩き回ったり、困った生徒だったらしい。しかし、こうした授業態度にも関わらず、南場さんの成績は常にトップを走っていた。試験対策は前日に初めて教科書を開いて一夜漬けで突破を図るという泥縄方式なのだが、人の数倍負けずぎらいで順位や成績の出るものはすべて一番にならなければ気が済まなかった。それは運動においても同じで、徒競走や1000m走など時には自分の実力以上にがんばりすぎて倒れることもあったほど、一番には執着した。

対人関係はどうだったのか。南場さんによると、「完全なルールメーカーだった」という。いつでも場を仕切っていて、遊びのルールや友達の役割を決めるのも彼女だった。こういう仕切り好きは父親似かもしれない。そういうと、南場さんは「DNAは受け継いでいるかもしれませんね。『いやだなあ』と思っているんですけど」といって笑った(笑)。

それにしても、明治時代でもないのに思春期の女の子がここまで父親に抑圧されてよく耐えられたものだ。そこには秘密があった。母親がその分やさしかったのである。たとえば、父親と一緒の食卓では最初から最後まで正座のまま、出された食事を残すことなく食べなければならなかった。しかし、父親は仕事が多忙で帰りが遅いことも多い。そんな日は足をくずして食べてもいいし、おかずを残しても「もうおなかがいっぱいなのよね」といって許してくれた。父親は母親に対しても決して口答えを許さない人だったが、父親の機嫌のいいときをみはからって彼女に関する話を持ち出すなど、何かにつけて彼女の味方になってくれたのが母親だったのである。彼女がいたからこそ、父親からときに理不尽と思える仕打ちを受けても、南場さんはそれほど気にやまずにすんだのだといえるだろう。

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