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【平成の世にサムライを探して】第十四回 荒井秀樹-前編-もちろん、トリノでメダルを取りたい。それ以上に日本で障がい者スポーツがもっと盛んになってほしいというのが私の夢です。|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

荒井秀樹-前編-もちろん、トリノでメダルを取りたい。それ以上に日本で障がい者スポーツがもっと盛んになってほしいというのが私の夢です。

たった一度の人生なら、こんな風に生きてみたいと思わせてくれる熱血仕事人を訪ねるコーナー、今回は 日本パラリンピックノルディックスキーチーム監督にして日立システムアンドサービス スキー部監督 荒井秀樹さんです。長野パラリンピック参加に向けて、自分の手で一から選手を集めるところから始め、数々の困難を乗り越えた結果、バイアスロンの小林深雪選手による日本人初の金メダル獲得が実現しました。今また3月に迫ったトリノパラリンピックで結果を出すべく、最後の調整に入っておられます。

中学時代に出会ったクロスカントリースキー

荒井秀樹(あらいひでき)プロフィール
1998年長野パラリンピック開催に先立ち、厚生省長野パラリンピック準備室の要請により障がい者ノルディックスキーを組織化、選手強化、指導・育成に取り組み「ゼロから始めた」草分け的存在。現在、日本パラリンピックノルディックスキーチーム監督として、国内外の障がい者スポーツの要職に就き第一線で活動中。 日立システムアンドサービスのスキー部監督も努める。

荒井さんは熱意と説得力がこもった話し方をされる。訴える力、と言い換えてもいいかもしれない。伝えたいことはいっぱいあります、といわんばかりの目をしながら次から次へと話を紡ぎ出していかれる。一つ一つが胸に迫る内容なので、聞いているこちらもつい引きこまれて時間を忘れてしまう。この日の取材も、気がついたら日が暮れていた。

荒井さんは昭和30年、北海道旭川市永山で生まれた。北海道といっても、永山は盆地地帯でスキーはあまり盛んではなかった。荒井さんが小学校五年生のとき、地元の中学校に、桑畠力松先生という国内有数のクロスカントリースキー選手が、教師として赴任してきた。中学校では、桑畠先生が来たのだから、クロスカントリースキー部(当時は距離スキーといったのだが)を作ろうということになり、さっそく創設された。そこに第一期生として入部したのが、荒井さんの兄である荒井拓己さんだった。その距離スキー部は、活動を開始するや、またたく間に道内でも名を知られる存在になる。小学生だった荒井さんもそれをまぶしく思い、中学に進んで距離スキー部に入った。

桑畠先生は、自分でも国体連覇をめざしている現役選手だったから、その練習メニューは非常にハードなものだった。そして、それと同じものを距離スキー部の生徒たちにも課した。一学年の部員を早いうちにリレーに出場するのに必要な4人に絞ってしまい、徹底的にしごく。一般の生徒は、学校までの道のりをバスで登下校するのだが、荒井さんたちはスキーで行かなければならない。スキーがあまり盛んな土地柄ではなかったから、その姿は非常に目立ち、荒井さんは恥ずかしかったそうだ。

朝は朝練があり、放課後は、まずはグラウンドでタイヤ引き走などの基礎練をして、バスケット部やバレー部などほかのクラブが体育館を使い終わったあとをみはからって室内練習を始める。大変なスパルタ教育だった。しかし、その厳しい練習に耐えたかいあって、当時、荒井さんは大会で全道では5番に入ったり、札幌オリンピックのジュニア強化選手に選ばれるなど、クロスカントリースキー選手として著しい成長を遂げていた。しかし、心の中ではスキー漬けの生活で、勉強を含めほかのことがまったく何もできないことを悩んでいたという。

その生活は高校時代、突然に終わりを告げた。家庭の事情によりクラブ活動を続けていられなくなったのだ。一抹の寂しさはあったが、全道で上位の成績をおさめたといっても、第一線の選手としてやっていくには難しいことがわかり始めていた時期でもあったから、練習練習の日々から解放され、正直ほっとした気持ちもあった。そして、荒井さんはいったんクロスカントリースキーに別れを告げ、東京の大学に進んだ。

障がい者スキーとの関わりで純粋に競技の楽しさを思い出す

再びスキーをはき、ストックを手に取ったのは、20歳のときである。冬休みで実家に帰っていたとき、ある新聞社が主催する札幌市内の国営公園で行われる障がい者スキーハイキングイベントでボランティアを頼まれたのだ。荒井さんは気軽に「いいですよ」と答えて何の気なしにイベントに参加したのだが、その光景は非常に新鮮なものだった。身にハンディを背負っていてはスキーは難しいのではないかと最初は思っていた荒井さんだったが、どの参加者も器用にスキーを乗りこなし、歓声を上げながら純粋に楽しんでいる姿を見て心から感動したのである。参加者と一緒に森林の中を滑り、公園の中にある滝を見て、熱々のうどんを堪能しながら、荒井さんはクロスカントリースキーそのものの楽しさも思い出し、“もう一回やってみよう”と思い立つのである。

しかし、すでに3年生になっていたため、今から大学のスキー部に所属するのは難しい。そこで荒井さんは東京都スキー連盟に所属して、個人で国体をめざすことにした。そうして国体に出場する中で出会ったのが、クロスカントリースキーに打ち込む首都圏の少年たちだった。

クロスカントリースキーは、日本においてお世辞にも人気があるスポーツとはいいがたい。この競技のオリンピックにおける日本の順位は数十番台である。雪に恵まれた北海道でさえ、クロスカントリースキーをめざす選手が少なくなっているというのに、東京や千葉や神奈川に住む少年たちが「楽しい、もっとやりたい」といってこの競技に夢中になっている。そのことをうれしく思った荒井さんは、東京都スキー連盟のジュニア部長として、スキー部のある私立高校に出向いて教えに行ったり、少年に知り合うたびに「クロスカントリースキーをやってみない? すぐインターハイに出られるよ。大学受験にも有利だよ」などと勧誘し、一番多いときで100人を超えるジュニア選手を指導するまでになっていたのである。

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