長年やっていると木に埋まっているものが分かるようになる
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1940年、栃木県生まれ。 |
![]() 北澤一京氏
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運慶が護国寺の山門で仁王像を彫っているという評判を聞いて、語り手がその様子を見に行く──。そんな話が夏目漱石の幻想小説『夢十夜』に出てくる。運慶が仁王の顔を彫る様子があまりに自在なのを見て、「よくああ無造作に鑿(のみ)を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と語り手が独りごちると、隣にいた若い男はこう言う。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」
![]() 龍や虎などの彫り物を北澤氏は得意とする。これは神輿の飾りに使う龍の彫刻 |
眉や鼻が木の中に埋まっている──。江戸木彫刻職人の北澤一京氏もまた、この若い男同様の表現で木彫りの神髄について語る。
「長年やっているとね、木の中にいろいろなものがいるのが分かるんですよ。鑿を使って余計なものを取り除くと、それが自然と出てくるんです」
木の中からいろいろなものを取り出すことが楽しい、だから60年以上この仕事を続けてきたけれど、全く飽きることがない。北澤氏はそう話す。
1日9時間以上木に向かい続ける
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左/七福神の中の一柱で福徳の神、大黒天の精緻な彫刻。ねずみがかわいらしい
右上/江戸木彫刻では、腐りにくい堅い欅(けやき)などを素材に使う。初めに形を整える際は、チェーンソーなどを使うことも 右下/「太平記」と「源氏物語」の下絵。物語の場面に合わせて自ら描いている |
繊維と織物の町として知られる栃木県足利市で生まれ育った。絵と彫り物が上手な子どもだった。才能は父から受け継いだものだ。父は友禅の着物の図案を描く職人だった。戦争が始まると、従軍して記録用の戦争画を描いたが、乗っていた船が機銃掃射を受けて沈没し、帰らぬ人となった。
主を失った家で母を助けるために、小学生だった北澤氏は家事や炊事をした。お湯が沸くのを待つ間、いつも北澤氏は小刀で薪を削り、こけしや人形を作っていたという。中学生になると、見事な般若の面を彫って近所の大人たちを驚かせた。
北澤氏の才能を見込んだ隣人が、彼を彫刻の道に進ませるべく、弟子入りができる彫刻師を東京に探しに行った。埼玉の蕨市(わらびし)にいい彫刻師がいると聞き、その近所まで行って仏壇店でその場所を聞くと、「あんなところに行っても仕方がないよ。俺がいいところを紹介してやる」と、浅草の彫刻師を紹介してくれたという。その彫刻師の元に北澤氏が弟子入りすることになったのは、16歳の時だった。
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彫刻に使う鑿(のみ)、鉋(かんな)、やすりなどの道具。中には手作りのものもある。右は極小サイズの鉋。この大きさでないと削れない場所もあるという
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「5年間は年季奉公だったけれど、つらいことは何もなかったね。何しろ、師匠のお手伝いをしながらずっと木を彫っていられるわけでしょ。楽しくて仕方がなかったよ」
奉公期間が5年で明けた後も、師匠の下で26歳まで働き、結婚を機に独立した。それから現在に至るまで、「仕事がなくて遊んでいるような日は1日もなかった」と振り返る。
神輿や仏壇など「小物」と呼ばれる彫り物を得意としてきた。「木取り」といって、発注者があらかじめ用途に合わせた大きさに切って持ち込んだ木材を彫るので、自ら素材を用意することはない。「理髪店と彫刻屋は人のものを減らして銭をもらっている、とよく言われます」と笑う。
江戸木彫刻の材料に堅くて長持ちする欅(けやき)がよく使われるのは、風雨にさらされる彫刻が多いからだ。
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昔はすべての工程が手彫りだったが、最近ではドリルなどの電動機器を使って木を切り出すこともある
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「関西は公家文化で、軟らかい木で家の中に祭壇を作って、そこに金箔をつけたりします。一方、江戸は侍文化でしょ。殿様が死んだら、立派な彫刻を施した霊廟(れいびょう)を造るわけです。その代表が日光東照宮ですよね。建物の一部になる彫刻ですから、軟らかい木だと雨風ですぐに腐ってしまいます。だから、堅い欅を使うんですよ」
江戸木彫刻の制作は自ら原画を描くところからスタートする。独立した頃は、図案が特に評価され仕事がどんどん入ってきたという。
「写実的な図案が好きなんですよ。抽象的なものではなく、龍とか虎とか、江戸時代からよく使われている図案です。それを立体的に見せるために、どこに影を入れるかを考えたりね。そういう細かな工夫をすることが好きでした」
最近では、神輿や山車の一部に使う物語のシーンの彫刻を作ることも多い。「源氏物語」や「太平記」といった古典作品の一場面だ。素材となる木の大きさに紙を切り、そこに絵を描いて木に写す。通常の絵と異なるのは、彫った後に絵の中の要素がバラバラになってしまわないよう、必ず「くっついている部分」を作ることだ。
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下絵に合わせて色をつけ、彫る場所を定めることも。「失敗することは万に一つもない」と話す
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「絵だけでお金がもらえるわけではない」ので、図案づくりはできるだけ迅速に進める。彫る段階になったら、今も1日9時間から9時間半は木に向かい続ける。失敗は許されない。依頼主から預かった木を彫って返すのが彫刻師の仕事だからだ。
「失敗したらどうしようなどと考えたりはしません。失敗は万に一つもありませんからね」
北澤一京作として特に名高いのは、成田山新勝寺の獅子頭だが、自身、これまで手がけた仕事の中で特に思い出深いのは、富岡八幡宮の日本最大といわれる神輿の彫刻だと話す。
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欄間に使う精緻な龍の彫り物。生き生きとした躍動感が表現されている。龍は北澤氏が最も得意とする題材の一つ
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「ずいぶんお金をかけた神輿でね、お披露目の時には、15万人が集まったんですよ。私も客の1人として見ていたら、隣にいたお年寄りが『長生きするもんだねえ、こんないいものが見られるんだもんねえ』と話しているのが聞こえてきました。ああ、良かった良かったと思いましたね。そういう言葉を聞くと本当にうれしいですよ」
俳優の石原裕次郎が亡くなった時は、仏具店を通じてまき子夫人から仏壇の彫刻の依頼があった。屋久杉を使った豪華絢爛な仏壇を半年ほどかけて彫った。これもまた、北澤氏の代表作の一つだ。
