【平成の世にサムライを探して】第149回 木版画彫師 関岡裕介「匠の分業によって生まれる『共作のアート』」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

平成の世にサムライを探して 

【平成の世にサムライを探して】第149回 木版画彫師 関岡裕介「匠の分業によって生まれる『共作のアート』」

高度な木版画の技術を使った江戸時代の最先端の印刷物であった浮世絵は、のちに日本独自の優れたアートと見なされるようになり、現在も世界中の人々を魅了している。浮世絵の版木を彫る彫師であり、荒川区登録無形文化財保持者である関岡裕介氏は、江戸から続く伝統の技を小刀に託し、今日の「浮世」を彫り続けている。
関岡裕介(せきおか・ゆうすけ)プロフィール

1957年生まれ。木版画摺師の関岡功夫氏(荒川区指定無形文化財保持 者)の次男。76年、高校卒業後に木版画彫師の四代目・大倉半兵衛氏に弟子入りする。独立後、アダチ版画研究所勤務を経て、関岡彫裕木版画工房を設立した。2013年、摺師であった祖父および父の号「扇令」を襲名。東京から世界に浮世絵を発信する「浮世絵プロジェクト」にも携わっている。

関岡裕介氏の画像
関岡裕介氏

江戸時代末期に全盛を迎えた日本独自のアート、浮世絵。もっとも、当時の浮世絵は土産物の包み紙などにも使われる日用品で、西洋画家が描く「アート」とは異なる工芸品だった。浮世絵の素晴らしさが欧米で認められ、優れた美術品と見なされるようになったのは、江戸の浮世絵文化がすでに過去のものとなっていた明治期に入ってからだ。

浮世絵は、プロフェッショナルの共同作業によって生み出される当時の最先端の印刷物だった。出版人、いわゆる版元が「絵師」に注文を出し、絵師が浮世絵のもととなる下絵を描く。それを「彫師」が木に刻んで木版をつくる。それにいくつもの色を付けて摺り上げるのは「摺師」の仕事だ。浮世絵の「作者」として知られているのは、絵師であった葛飾北斎、歌川広重、鈴木春信、東洲斎写楽、歌川国芳といった名だが、彫師や摺師の存在がなければ浮世絵が完成することはなかった。

フラスコに水を入れて灯りの近くに置き、手元に影ができるのを防ぐ。江戸時代から続く方法だ。
フラスコに水を入れて灯りの近くに置き、手元に影ができるのを防ぐ。江戸時代から続く方法だ。

絵師が実際に描くのは、多くの場合、色のない墨線による下絵、いわゆる版下である。それに合わせて彫師が木版に線を彫り、それを刷った「墨版(主版)」に絵師が色指定をし、その色の数に合わせてさらに彫師が木版をつくっていくというのが、一般的な浮世絵づくりの工程だ。

木版画の場合、原則的に1色につき1枚の木版が必要で、その絵に使われる色が6色ならば、6種類の版木をつくらなければならない。もっとも、木の板の両面を彫り、さらに1枚の木版で数色をまとめて摺ることもあるので、使う色が6色でも版木は2枚程度に収まることも多い。

摺師は、その版木で絵師のイメージに合わせて色を摺り重ねていく。その摺り上がりを最終的に絵師がチェックして一枚の浮世絵が完成する。私たちがよく知っている北斎の『山下白雨』(通称「黒富士」)や『神奈川沖浪裏』(通称「浪裏」)も、広重の『東海道五十三次』の諸作も、春信の美人画も、写楽の役者絵も、国芳の物語絵も、すべてこの方法でつくられたものである。

彫師は芸術家ではなく職人

左/小刀を握って、細かな線を彫り出す。小刀の柄は、手にフィットするように独自にしつらえてある。右/複数の小刀を使い分けて細かく彫っていく。緻密な作業だ。
左/小刀を握って、細かな線を彫り出す。小刀の柄は、手にフィットするように独自にしつらえてある。
右/複数の小刀を使い分けて細かく彫っていく。緻密な作業だ。

関岡裕介氏が浮世絵づくりの世界に入ると決めたのは、高校を卒業する時だった。祖父も父も、この世界で長年生きてきた摺師だった。幼い頃から浮世絵木版画の職人技に身近で接してきた関岡氏にとって、浮世絵職人になることは自然な選択だったが、彼が選んだのは祖父や父のような摺師ではなく、彫師の道だった。

「当時、摺師の親方たちのもとには若い弟子が比較的いたのですが、彫師の中には一人親方、つまり弟子を一人ももたない人が多かったんです。摺師がいても、彫師がいなくなったら、浮世絵はつくれなくなってしまいますでしょう。それで、私は彫りを学ぶことにしようと決めたわけです」

そう関岡氏は振り返る。18歳で彫師・四代目大倉半兵衛に弟子入りし、7年間住み込みで修業を積み、彫りの基本的な技能を身につけた。その後、20代半ばで独立。30代になって、昭和初期から伝統木版画をつくり続けている現代浮世絵の版元、アダチ版画研究所に入社し、そこでさらに研鑽を積んだ。5年ほどでアダチ版画研究所を退社したのちに、関岡彫裕木版画工房を設立し、今日まで活動を続けている。

上/使っているうちに刃が削られて短くなってきたら、柄の中から刃を引っ張り出すという。下/関岡氏が使用している小刀。線の太さなどによって刃の大きさの異なる小刀を使い分ける。
上/使っているうちに刃が削られて短くなってきたら、柄の中から刃を引っ張り出すという。
下/関岡氏が使用している小刀。線の太さなどによって刃の大きさの異なる小刀を使い分ける。

浮世絵の版木に使われるのは、山桜の木である。堅く、粘り強く、密度が高いのが山桜の特徴で、これでないと浮世絵ならではの細かな線を彫り出すことができない。この堅い材料と格闘するのが彫師の日々の仕事だ。絵師が描いたさまざまな墨線を、小刀を巧みに操って堅固な板の表面に刻み、凸版をつくっていく。
「彫師は芸術家ではなく職人です。絵師と摺師の間の中間的存在にすぎません」
そう関岡氏は言うが、絵師が描いた線を、そのタッチや勢いを変えずに、より摺りやすいラインとして際立たせたり、絵師が描いていない細かな髪の毛の一本一本などを彫り出したりするのは、まさしく彫師の仕事だ。そこに彫師の腕があり、クリエイティビティがある。

彫師が丹精を込めて彫った版木は、摺師の元に送られる。版木に絵の具を擦り込み、紙を載せて馬簾で擦っていくのが摺りの作業だ。色の数だけこの作業を繰り返し、一枚の紙にさまざまな色彩を定着させ、絵を完成させる。この作業を繰り返し、数百枚から数千枚単位で同じ絵を生産する。

版木は馬簾で何度も擦られるうちに次第に摩耗して、線の繊細さなどを失っていく。そうして摩耗した版木は、ある段階で、鉋などで完全に平らにされ、再度彫りに利用される。これは、必ずしも安価ではなかった山桜の木材を有効活用する江戸の人たちの知恵で、この方法は現在まで継承されている。その後の摺り作業によってふたたび摩耗した版木は、最終的にばらばらにされて、薪になって火にくべられることで、その役割を終えることになる。当時、世界に冠たる「循環型社会」であったといわれる江戸をしのばせる逸話だ。

この続きは、日立ソリューションズの会員様向け情報提供サイト『PREMIUM SERVICE WEB(プレミアムサービスウェブ)』をご覧ください。
プレミアムサービスのご案内はこちら >>
PREMIUM SERVICE WEBをご覧いただくにはプレミアムサービスへの会員登録が必要です。
※本サービスは法人のお客様向けに提供しております。法人に所属していないお客様は入会をお断りさせていただく場合がございます。何卒、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
プロフィールや記事など、掲載内容は取材時点のものです。現在と内容が異なる場合があります。
前回の特集を読む 次回の特集を読む
見出し、記事、写真の無断転載を禁じます。All Rights Reserved, Copyright (C) 2010, Hitachi Solutions,Ltd.
ページTOP

本記事の内容は公開当時のものです。本コラムに関するご意見等ございましたら、日立ソリューションズまでお問い合わせください。