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【平成の世にサムライを探して】第155回 書家 金澤翔子 「『純粋な魂』を一本の筆に乗せて」

前回の取材は2012年1月。“ダウン症の書家” 金澤翔子氏はそれからの6年の間に、世界が認める芸術家に成長した。この6年間の翔子氏の生き様、その書が人々の心をつかむ力、彼女のこれからについて、33年にわたって二人三脚で歩き続けてきた母・泰子氏に語ってもらった。

400人の観客に向けた国連本部でのスピーチ

金澤翔子(かなざわ・しょうこ)プロフィール

1985年東京都生まれ。5歳から書道を始め、2005年、20歳の時に初の個展を開催する。その後、数々の個展、席上揮毫などを成功させ、13年には紺綬褒章を受章した。17年に上野の森美術館で開いた個展は4万人以上の入場者を集め、書展としては異例の大盛況となった。母・泰子氏との共著や作品集が多数出版されている。

※黒字= 金澤翔子氏の母・泰子氏

── 2012年のインタビューから6年がたちました。この6年間の翔子さんの活動の中で、とりわけ印象に残っていることは何ですか。

何といっても、2013年の国民体育大会の開会式ですね。5m四方の紙に「夢」という字を書いたんです。
20kgの筆を使って。周りの人たちは皆反対していました。そんな重い筆を翔子が使いこなせるはずがないと。でも私は信じていました。翔子はやる時はやる人ですから。結果、3分間で堂々とした文字を書きましたよ。大きな紙の上を、小鳥のように動きながら。

開会式には、天皇皇后両陛下もご臨席されて、天皇陛下が式の情景を「車椅子の人とならびて炬火を持つ人走り行く日暮れの会場」という歌に詠まれました。その御製(ぎょせい)を翔子の筆で書かせていただいたものが歌碑(御製碑)となって、味の素スタジアムの敷地に立っています。

金澤翔子氏
金澤翔子氏

── この数年、海外での活躍も盛んだったようですね。

ニューヨークの国連本部でのスピーチは忘れられない思い出になりました。国連は3月21日を「世界ダウン症の日」に制定しています。通常2本の21番染色体が3本あるのがダウン症の特徴で、それにちなんで3・21というわけです。2015年に開催されたその記念会議に日本代表として出席したのが翔子でした。
世界中から集まったダウン症の人たちがスピーチをする中で、翔子も「家庭の援護と自立に向けて」というテーマで話をしました。他の国からの参加者の皆さんのほとんどは、スピーチの際、先生や親御さんに付き添われていましたが、テーマが「自立」ですから、私はあえて翔子一人で話をさせたんです。

でも、きっと不安だろうと思って、18年前に末期がんで亡くなった私の妹の形見の白い着物を着せました。能をやっていた妹が、次の舞台で着るためにあつらえたまま一度も袖を通すことがなかった着物です。これを着ていれば翔子も寂しくないし、妹が翔子を守ってくれる。そう思いました。

金澤翔子氏

約400人の観客が見守る前で、翔子はたった一人で10分間のスピーチをやり抜きました。つたない言葉でしたが、「私は書家です。書を通じて皆さんに元気をあげたい」って。白い着物に光が当たって、本当にきれいに輝いていました。その姿を客席の最前列で見ていた私は、涙が止まりませんでした。

── 海外でも個展を開催しました。外国の人たちの反応はどうでしたか。

チェコでの個展は特によく覚えています。入場制限がかかるくらいたくさんのお客様が来てくださって、みんなじっくり時間をかけて見てくださいました。泣いている方もいました。書には文化や言葉の壁を越えて伝わる力があるのだと、改めて思いましたね。

── 翔子さんの作品は、どうしてそこまで人の心を打つのでしょうか。

どうしてなのでしょうね。死のうと思っていたけれど、翔子さんの書を見て生きたいと思うようになった──。そんな手紙をいただくことも少なくありません。恐らく、翔子の純粋な魂が見る人に伝わっているのだと思います。翔子には自分の欲望というものがないし、競争心もありません。書を書く時も、テクニックなんか気にしないし、観念的なところもありません。自分が書いた文字を見て人が喜んでくれる。それがうれしいんです。それがすべてなんです。その純粋な思いがたくさんの人に伝わっている。そういうことなのではないでしょうか。

「いってらっしゃい」ではなく「さよなら」

── 最近の翔子さんの一番の変化についてお聞かせください。

3年前から一人暮らしを始めたことですね。障がいがある子の親は、子どもが小さな頃から、いかに社会に迷惑をかけずに自立させることができるかと考え続けるものなんですよ。翔子はそんな私の気持ちをくみ取ってか、20歳を過ぎた頃から「30歳になったら一人暮らしをする」と言い続けてきました。国連のスピーチの時は29歳でしたが、そこでも「もうすぐ一人暮らしをします」と言ってしまったんです。世界に向けて発表してしまったわけでしょう(笑)。仕方がなく、30歳の誕生日を迎えた後で、自宅から歩いて7分ほどのところに部屋を借りました。

身の回りのものを台車で運んで、最後の荷物をキャリーバッグに詰めて家を出ていく時、私は翔子に「いってらっしゃい」と言ったんです。そうしたら、毅然とした口調で、「お母様、いってらっしゃいじゃないでしょう、さよならでしょう」ときっぱり言われてしまいました。
それからは立派に一人暮らしを続けています。自分で買い物をして、自分で料理を作って食べる。それが彼女の決まりで、実家ではもう食事はしなくなりました。この3年間で一緒に食べたのは、大みそかの年越しそばくらいです。

── 心配ではないですか。

幸い町の皆さんに支えていただいていますので、それほど心配はしていません。翔子はスーパーではなく、昔から商売をしている米屋さんや八百屋さんや肉屋さんで買い物をしているんです。みんな仲良くしてくださるし、ほうきとちり取りを買って道を掃除したりして、町にうまく溶け込んでいます。交番のおまわりさんからも「翔子ちゃんはこの町に降りてきた魔法使いみたいだね」と言っていただいています。

翔子の一人暮らしは、「世俗への旅立ち」だと私は思っています。ずっと私と2人で、友だちもなく生きてきて、今ようやく、普通の世間に旅立つことができたんだって。翔子にしか分からない幻想の世界は今もあるけれど、それを日常の生活とうまく溶け合わせることができているし、周りの人たちからもそんな翔子の個性を認めていただいています。一人暮らしをさせてよかったと今は心から思えますね。

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