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【平成の世にサムライを探して】第160回 盤師 吉田寅義 「太刀の一閃、鑿の一彫りにすべてを注ぐ」|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

【平成の世にサムライを探して】第160回 盤師 吉田寅義 「太刀の一閃、鑿の一彫りにすべてを注ぐ」

将棋や囲碁の真剣勝負には優れた「盤」が欠かせない。刀をもって目盛りを描く「太刀盛り」の方法で将棋盤や碁盤をつくり続けているのが、三代目吉田寅義氏だ。木材を盤に生まれ変わらせる盤師の卓越した技。その奥深い世界を紹介する。

室町時代の太刀で真っすぐな線を盤上に描く

吉田寅義(よしだ とらよし)プロフィール

1955年、埼玉県生まれ。本名は長谷川光義。吉田碁盤店店主。18歳で盤師の修業を始める。現在、吉田流太刀盛りを始めた初代、実父である二代目の名を継ぎ、三代目吉田寅義として盤づくりを続けている。2012年、「碁盤製作技術吉田流太刀盛り保持者」として行田市の無形文化財に指定された。18年には外務大臣表彰を受賞した。

板の上に伸ばされた漆に、反り返った太刀の刃先をそっとつける。ほんの一瞬、刃と板の間に黒く光る漆の薄い膜が生まれる。鉋(かんな)で丹念に磨きをかけた盤面にその刃先をそっと載せ、太刀の反りを利用し、薄い刃先についた漆で線を描いていく。将棋盤なら縦横に10本、碁盤なら19本。漆はほどなく乾燥していくので、15分から20分程度ですべての線を引き終えなければならない。太刀の鋭さと漆の粘性によって、真っすぐで適度な盛り上がりをもった線が盤面に整然と描かれる──。室町時代の太刀をもって盤上に目を盛る「吉田流太刀盛り」である。

将棋盤や碁盤の盤面に目盛りを描く方法には、箆(へら)を使った「箆盛(へらも)り」や筆を使った「筆盛り」があるが、これらには定規を要する。ただ一つの道具で、寸分狂わぬ直線を引くことができるのは刀だけだ。

「太刀盛りで線を引けるようになるまで、それほど時間はかかりません。しかし、どんな盤に向かっても変わらない不動心が身につくまでには、何十年もかかります。私もまだその境地には達していません」

板の上に漆を伸ばし、太刀の刃に漆をつける。盤面の角を新聞紙の切れ端でマスクし、その漆で真っすぐな線を引いていく
板の上に漆を伸ばし、太刀の刃に漆をつける。盤面の角を新聞紙の切れ端でマスクし、その漆で真っすぐな線を引いていく

三代目吉田寅義氏はそう語る。目盛りを描くのは盤づくりの最後の作業であり、失敗は許されない。45年の間、数えきれないほどの将棋盤と碁盤をつくり続けてきた吉田氏でさえ、タイトル戦など重要な棋戦に使われる盤に線を引く時は、緊張のあまり手が震えるという。

「自分に10の力しかないのに、12の仕事をしようと思う。それが緊張を生むんです。その時点で負けているんですよ。どんな時でも10の力を過不足なく発揮できるようにならなければなりません」

実父である二代目吉田寅義氏に入門したのは、高校を卒業した18歳の時だった。入門の意思を伝えた時、父は言下に「親子の縁を切るなら入門を認めてやる」と告げたという。息子に盤師として生きる覚悟を促すだけでなく、息子を決して甘やかすことのないようにとの自戒を込めた言葉だったのだろう。

吉田氏は子どもの頃から、父を心から尊敬し、日本一の盤師であると固く信じていた。しかし、盤づくりの世界にひとたび足を踏み入れると、父に対する周囲からの非難の言葉も耳にするようになった。

「『吉田さんの鉋(かんな)は下手だ』と言われた時は、とてもショックでした。日本一の盤師である親父が、なぜ悪口を言われなければならないのか、と。それからは、いかに親父に恥をかかせないかが私の一番の目標になりました。仮に親父が鉋がけが下手だというなら、私がうまくなって親父を支えればいいわけです。親父のために、必死に仕事を覚えました」

左/鉋(かんな)がけも盤づくりの重要な作業だ。素材の自然な光沢が出るまで念入りに鉋をかけていく 右/太刀盛りに使用する刀は室町時代につくられたもの。使用しない時は、作業場にある神棚に納めている
左/鉋(かんな)がけも盤づくりの重要な作業だ。素材の自然な光沢が出るまで念入りに鉋をかけていく
右/太刀盛りに使用する刀は室町時代につくられたもの。使用しない時は、作業場にある神棚に納めている

自身でつくった盤を売り物にできるようになったのは33歳の頃だった。盤は「二代目吉田寅義作」として世に出される。その二代目の名に恥じない水準の盤をその頃にはつくれるようになっていた。しかし、三代目を名乗ることを許されたのは、ようやく50歳を過ぎてからだった。

「それも親父がよその人から、『そろそろ息子さんを三代目として世に出していいんじゃないですか』と言われたからでした。私の仕事を親父が認めてくれているのかどうか、今でもよく分かりません。じかに褒められたことは一度もありませんから」

脚づくりに全身全霊を込める

伝統的な将棋盤や碁盤づくりに使われる素材は、榧(かや)材、ハゼノキから採った油、そして漆と、樹木由来の素材のみである。榧は宮崎産の、11月から遅くても節分までの間に伐採したものが最も良い。この時期の木は水分の含有量が少ないからだ。伐採後、10年から15年の長期にわたって乾燥させ、内部の水分をほぼ完全になくすことで榧はようやく盤づくりの素材となる。海外からの輸入材の中には人工乾燥によって短期間で水分を抜いたものもあるが、この方法では木材の内部にひびが入ることも多いため、吉田氏は長期自然乾燥で仕上げた榧材以外は使用しないという。

将棋盤の下面にある凹部が「へそ」。これがあることによって駒音、石音の響きが良くなる。別に「血だまり」と呼ばれるのは、対局に口を出した第三者の首が切り落とされ、盤を逆さにして首をそこにさらしたという逸話に由来している。この将棋盤は羽生善治氏と渡辺明氏の第四十期棋王戦で使用された
将棋盤の下面にある凹部が「へそ」。これがあることによって駒音、石音の響きが良くなる。別に「血だまり」と呼ばれるのは、対局に口を出した第三者の首が切り落とされ、盤を逆さにして首をそこにさらしたという逸話に由来している。この将棋盤は羽生善治氏と渡辺明氏の第四十期棋王戦で使用された

堅めだが適度な弾力性もあるのが榧の特徴である。将棋の駒や碁石を置いた時に冴えた心地よい音を響かせる一方で、駒や石を置く力をほどよく吸収してくれるので、長時間の対局でも打ち手の体に負担がかかることがない。鉋をかければ木目が鮮明に浮かんでうわぐすりを塗ったような光沢を発し、独特の芳香が勝負に臨む者の心を落ち着かせる。「まさに盤をつくるために生まれてきたような木」と吉田氏は言う。

もっとも、その榧も国内では枯渇状態にある。宮崎の産地ではすでに15年前に伐採が中止されているため、吉田氏はそれ以前に仕入れて乾燥させていた木や、二代目が購入してストックしておいた木材を使っている。榧に代わる木材は公孫樹(イチョウ)もしくは桂(カツラ)だが、品質は榧をはるかに下回る。質のいい榧材をいかに確保していくかが、現在の吉田氏の悩みの種だ。

将棋盤や碁盤は、年輪の筋が平行に並んだいわゆる柾目(まさめ)のものが最も高級とされている。板目(山形になった木目)や節の入っていない柾目材は、1本の木からそうそうたくさんは採れないからだ。盤の天地左右が柾目になった「四方柾(しほうまさ)」が最も価値が高く、天地が柾目の「天地柾(てんちまさ)」、天板が柾目の「天柾(てんまさ)」がそれに次ぐ。

材質や木目を除けば、将棋盤も碁盤も直方体の立体物であるという点ではどれも変わりはない。職人の独自の技があらわれるのは、鉋(かんな)がけ、目盛り、そして脚である。初代から代々伝わる太刀盛りに加えて、吉田氏は脚の造形に徹底的にこだわる。

梔子(クチナシ)の実をかたどった脚。稜線(山形の頂点のライン)が真っすぐで全くぶれがないことが分かる
梔子(クチナシ)の実をかたどった脚。稜線(山形の頂点のライン)が真っすぐで全くぶれがないことが分かる

四角柱に切った榧(かや)材の角を落とし、八角柱に成形し、そこからさらに梔子(クチナシ)の実の形を切り出していく。伝統的に梔子がかたどられるのは、「勝負の際には言葉を発してはならない」という囲碁・将棋の流儀、すなわち「口無し」に掛けたものだ。

現代では機械で脚を成形するケースも多い中にあって、吉田氏は鑿(のみ)と小刀を駆使した手彫りで脚をつくり続けている。流れるような曲線と垂直で真っすぐな8本の稜線。盤によって曲線の形状を変え、男性的な怒り肩や女性的な撫で肩を表現する。高さは将棋盤で三寸、碁盤で四寸。むろん4本の脚には微塵も異なるところがあってはならない。いかに伝統を守りながら個性を表現するか。その作業に全身全霊を傾ける。

「昔は、脚を見ればその盤をつくったのが誰かすぐに分かったものです。私は他の人がつくれないような脚をつくりたいと思って、必死に勉強して、名人と言われる人の脚はすべて見ました。長い時間をかけて彫るので、脚を握る左手の方が右手よりもずいぶん大きくなってしまいました」

脚を彫る際は、左手で脚をつかみ、右手で鑿(のみ)を操る。長年の作業で、脚をつかむ左手が右手よりも大きくなってしまったという
脚を彫る際は、左手で脚をつかみ、右手で鑿(のみ)を操る。長年の作業で、脚をつかむ左手が右手よりも大きくなってしまったという

そう言って、吉田氏は両の手のひらを示してみせる。まさしく、45年の歳月を物語る職人の手のひらである。

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