第四十二回 石渡美奈-前編-ホッピー三代目「お騒がせ看板娘」が挑んだ温故創新による経営改革|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用...

平成の世にサムライを探して 

石渡美奈-前編-ホッピー三代目「お騒がせ看板娘」が挑んだ温故創新による経営改革

東京の飲み会シーンには欠かせないビアテイスト飲料 ホッピー。レトロでポップなイメージや、低カロリープリン体ゼロのヘルシーさなどが見直され、人気が再燃しつつあります。近年、老舗といわれる優良企業が多数倒産の憂き目に遭うなかで、5年間で年商3倍、年30%もの増益。その原動力となったのは、三代目の跡取り娘である石渡美奈氏でした。ホッピーの広告塔「ホッピーミーナ」を自認し、パワフルに突き進む、その快進撃から老舗回生の秘訣を探ります。

座ってなどいられない!
お騒がせ看板娘「ホッピーミーナ」の迷走期

石渡美奈(いしわたり みな)プロフィール
ホッピービバレッジ株式会社 取締役副社長。1968年、東京都生まれ。麦酒様清涼飲料水「ホッピー」の開発者であり、コクカ飲料株式会社(現ホッピービバレッジ株式会社)の創業者である石渡秀氏の孫として生まれる。1990年、立教大学卒業後、大手食品メーカーに入社し、人事部に勤務。退社後、広告代理店でのアルバイトを経て、1997年に父である石渡光一氏が社長を務めるホッピービバレッジ株式会社に入社。広報宣伝を担当する。低カロリー・低糖質・プリン体ゼロといったヘルシーイメージの強調やファン・コミュニティの尊重、自らを広告塔とした斬新なイメージ戦略と地道な営業活動などにより、5年間で年商3倍、年30%の増益を実現。2003年5月から副社長現職に就任。著書に「社長が変われば会社は変わる!」(阪急コミュニケーション)がある。また、ラジオ番組「看板娘ホッピーミーナのHOPPY HAPPY BAR」(ニッポン放送)でパーソナリティーを務め、ホッピーミーナの愛称で親しまれている。

ひっきりなしになる電話、パタパタと小走りで動き回るスタッフ。インタビューに訪れた赤坂のホッピービバレッジ本社は、活気に満ちあふれていた。その様子は、まるで魚河岸か、はたまた居酒屋か。いなせな雰囲気は、「オフィス」というよりも、まるで「商家の店先」を思わせる。それも、新進気鋭のベンチャーのような勢い……。

と、その瞬間、まるでつむじ風のように、入り口から一人の女性が駆け込んできた。
「◯◯さん、お疲れ!たいへんだったね」
「おっと、◯◯さん、例の件どうなった?」

入ってくるなり、矢継ぎ早にスタッフに声をかける。スタッフも慣れたもので、戸惑うことなくポンポンと受け答えしている。そしてそのまま、あっけにとられて見ている取材班の前に、するりと滑り込むようにやってきた。その間わずか数十秒ほど。活気のある社内の温度が、いっそう上昇したように感じたのは気のせいか。

このめまぐるしく動き回る、活発な女性が、ホッピービバレッジのお騒がせ看板娘「ホッピーミーナ」こと、石渡美奈さんだった。そう、つむじ風どころか、台風の目として停滞したホッピービバレッジを再生に導く原動力となり、今や副社長として、将来を嘱望されている存在だ。

「いやー、副社長っていったって‘椅子’がないんですよ。どうせじっとしちゃいないんだから、お前にはいらないだろうって」と屈託なく笑い、「適当にその辺の椅子」にすとんと腰を下ろした。

そんな石渡さんの人を惹き付ける天真爛漫さは、天性のものなのだろう。「ホッピー」の開発者であり、コクカ飲料株式会社(現ホッピービバレッジ株式会社)の創業者である石渡秀氏の孫として生まれ、父である石渡光一氏は現社長を務める。いわば生まれながらの大店の「お嬢」として、人の輪の中心にいることが自然に感じられる。リーダーとして家業を継ぐことを早々に決意していたのではないか。しかし、そんな質問に「まさか、まさか(笑)」と手を降り振り否定されてしまった。

石渡氏「私が大学を卒業する頃はバブルの絶頂期でしたし、そもそも寿退社が女性としての花道で、まだまだ今のように仕事を続けることが一般的じゃなかったんですよ。私も例に漏れず、腰掛けOL気分で大手メーカーに就職して、早いところ『"うちの跡取り"を見つけて結婚しなきゃ』、なんて思っていました」

その思惑どおり、あっという間に寿退社。しかし、その夢は離婚であえなく破綻した。バブル崩壊後で再就職もままならず、仕方なく代理店でアルバイトの仕事をしていたものの、しばらくは気分的に落ち込んだ時期を過ごしたという。

「今の今まで一度も両親から『ホッピーを継ぎなさい』といわれたことがないんですよ。それなのに、子どもの頃から自分が継ぐんだと勝手に思い込んでいたんです。でも、その方法は、お婿さんに経営を任せて自分は補佐的にやるものだと思っていた。それが駄目になって、自分の存在意義が消えてしまったように感じたんです

しかし、すぐに転機が訪れる。当時の上司にいきなり営業を任されることになり、人と会い、苦労しながらも交渉をしながら進めていくという仕事の面白さに開眼する。それまで事務処理しか経験がなく、机に向かって座り、コツコツと作業をすることが仕事だと思っていた石渡さんは「仕事=つまらないこと」だと思い込んでいた。ところが、人と会い、交渉をしながら進めていく営業の仕事に就いて初めて、「仕事=面白い」と感じたわけである。

「なんだ、私にだってできる仕事があるじゃないか、って思いましたね。ずっと不満だらけで仕事ができないと思っていた私にしてみれば、まさに目からウロコ。OL時代、納得しないと動かない私を評して、ある上司に『あなたは、おじいさんやお父さんの仕事を見て育ってきましたね』と言われたことがあるのですが、その時は意味がわからなかったんです。でも、きっと自分で考えて動く、そんな商人の血が流れていることを暗に見抜かれていたのでしょう。結局、それからずっと遠回りしてしまいましたが、ようやく『そうか、自分だってホッピーに役に立つことがあるはずだ』と考えるようになったんです

折しも当時、細川内閣の規制緩和の風を受け、地ビールブームの兆しが見えていた頃。ホッピービバレッジでも新規事業として地ビールづくりに取り組み、「赤坂ビール」など数銘柄を製造しはじめていた。それをはじめて口にしたときの感動を、石渡さんは今でもはっきり覚えているという。

ホッピー&赤坂ビール「うわあ、おいしいって。そしてそのおいしいビールをつくった父を誇らしく思いました。『ビール造りは男のロマン』なんて、いうじゃないですか。ホッピーの低迷期にあって新しい道を模索し、苦難のなか夢を実現させた父が頼もしく見えて、自分も何か役に立てないかと思ったんです。それで、はじめは反対していた父を実力行使で1年かかって説得して、1997年に入社しました。もう、意気揚々でね」

しかし、入ってみれば、工場と本社の交流はなく、社員のモチベーションも低い。さらに同族会社ゆえの確執もあったという。そんなときに、社長の娘である石渡さんが入社すれば、社員は心穏やかではいられなかったろう。さらに、当時の石渡さんは「パッケージや広告がダサい」「年寄りばかりで元気がない」と、とにかく会社を否定してばかり。それらが長年の試行錯誤の結果であることや、小売市場への進出という新事業に必死に取り組む先輩たちの胸中を察するまでに至らなかった。

きっと『ぽっと出のお嬢さんが何を言う』ってそんな感じで、みんな冷めた目で見ていたと思いますよ。そんなことにも気がついていなかった私は、『焼酎にホッピーを割るのが面倒』という市場調査での声を受けて、あらかじめ割ってある『hoppy-hi』を新商品として企画し、広告代理店の友人を総動員してプロモーションを行ったんです」

ところが、そのプロジェクトは、わずか1年半後に撤退するほどの大惨敗。原因は、チューハイの低価格、缶入りが一般化していたにも関わらず、価格や流通戦略などに反映できなかったことと分析できる。しかし、一番の原因は、過去をすべて否定し、周囲の協力を得ることができないまま突っ走ったこと。その結果が1000万円の赤字というわけで、かなり手痛い授業料となった。

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