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【平成の世にサムライを探して】第五十回 川井郁子 ヴァイオリンの音色に魂を委ねて異なるものとの融合が開く新しい世界|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

川井郁子 ヴァイオリンの音色に魂を委ねて異なるものとの融合が開く新しい世界

ヴァイオリニストや収集家の羨望の的、愛器アントニオ・ストラディヴァリウス ※1を手に、ドラマチックなステージで観客を魅了する ヴァイオリニスト川井郁子さん。ジャンルの枠を超え、作曲家や女優としても活動し、自らの音楽の世界を情熱的に創り続けています。また、2007年には『川井郁子 Mother Hand 基金』を設立し、プライベートでもヴァイオリンを携えて、危険が伴う地域を訪れ、音楽を通じて人々の心に潤いを与えています。表現者としての地位を確立した今も、異分野とのコラボレーションに次々と 「挑戦」し続ける理由とは何か。川井さんの心の軌跡を一緒にたどります。

プリミティブな「思い」が
自分を解き放つ

川井郁子(かわいいくこ)プロフィール
ヴァイオリニスト・作曲家。東京芸術大学卒業。同大学院修了。大阪芸術大学(芸術学部)教授。国内外の主要オーケストラをはじめ、ポップス系アーティストや、バレエ・ダンサー、プロスケーター荒川静香さんらと、ジャンルを超えて幅広く共演。TVやCM、映画、舞台音楽の楽曲提供も手がけるほか、現在放送中の『川井郁子ハートストリングス』のラジオパーソナリティー やテレビ番組『ミューズの晩餐』での司会と演奏を務める。最新アルバム「新世界」は、チャート1位を獲得。秋の全国ツアーも開始。今年10月には、クラシックの殿堂NYカーネギーホールで公演を行い、大成功を収める。

カーネギーホールの公演で、大成功を収めた川井郁子さんは、凱旋公演のステージの上で、まるでヴァイオリンと溶け合っているかのようだった。ヴァイオリンの切ない調べに、長い髪が波打ち、艶やかなドレスの裾が揺れる。ある時は温かく、ある時は官能的に、またはおおらかに、また華やかに、ステージ上でめまぐるしく表情を変えていった。

しかし、後日、インタビューに現われた川井さんには、“女神”のような控えめで儚げな雰囲気が漂う。ずらりと並ぶ取材陣を前に、「子どものころから、言葉でのコミュニケーションに苦手意識があって、こういう場に来ると緊張しちゃうんですよ」と、はにかむ様子はまるで少女のようだ。

川井さんがヴァイオリンに出会ったのは、6歳の時。ラジオから流れるマックス・ブルッフ ※2のヴァイオリン協奏曲を聴き、その音色のとりこになった。親にねだって、半年後にようやくヴァイオリンを手にした感激を、今も忘れてはいないと語る。そして情熱のままに練習を重ね、東京藝術大学入学を果たし、大学院へと進む。しかし、そこからが川井さんの音楽家としての煩悶(はんもん)のはじまりだった。

「ヴァイオリンを手にして以来、うまく弾きたい一心で夢中になって練習しました。そして芸大に入って、“自分の音楽”“自分らしさ”とは何かを考えたとき、ふと不安になったんです。すでに多くの名演奏があるのに、私がそれを弾く意味があるのかしらって、むなしく感じたんです」

偉大な作曲家の曲を、偉大な演奏家が再現する。果たして、自分がプロとして、それ以上のものを創り出せるのか。演奏には、スコアどおりの完璧さが求められ、自分を表現する余地があまりない。だから川井さんは、「ステージ恐怖症だった」と、当時を振り返る。
しかし、その頃から、クラシックの枠を飛び出して、多彩な活動をする人が少しずつ現れるようになっていった。そして、一緒に活動する人たちの活躍に、川井さんも触発されていった。

「弾くのはクラシックだけでしたが、高校生くらいから洋楽や民族音楽なども好きで、よく聴いていたので、なじみはありました。だから、ポップスをヴァイオリンで弾くという形で、イギリスでのデビューのお話をいただいたときには、クラシックから解放されたようでうれしかったですね。それで、企画をいただくたびに、喜んで引き受けていたのですが、だんだんと『なんでもこなすこと』に疑問を抱くようになりました」

器用に多ジャンルの曲を弾きこなすこと。それが本当に、自分がやりたかったことなのか。クラシックから離れたのは、自分の内面を自由に表現するためではなかったのか。そんなジレンマに苛まれるなか、川井さんに運命的な出会いが訪れる。

川井氏「あるピアニストの方に勧められて、タンゴの革命児といわれる、アストル・ピアソラ ※3の曲を聴いたんです。ベースはタンゴ、でもそこにジャズやクラッシックの要素が取り入れられていて…、いいえ、ジャンルを超えた完全にピアソラ独自の音楽だったんです。もう『これだ!』って、答えをもらったようでした。突然差し込んできた一筋の光明のようで、ああ、自分のやりたかったのは、これだったんだって、まるで心の霧が晴れていくような気分でした。そう、ジャンルという枠に囚われていたのは自分自身だったことに、初めて気づかされたんです」

ピアソラのように、感情のままに、思いのままに、自分の音楽を表現したい。そんな思いが川井さんのなかに沸々とたぎりはじめたころ、突然、日本でのデビューの話が持ち込まれる。

「でも、いただいたのは、それまでの私のイメージの企画ものばかり。そこで意を決して、『やりたいことがあるんです』って必死にスタッフの方々を説得をしたんです。今思うと、私にしては勇気がありましたよね(笑)。経験豊富で数字に対しての責任もある、そんな方に、何の実績もない私が主張するのですから。でも、20代の鬱々とした時期を経てピアソラと出会い、『やりたいこと』を見つけてしまったから、その思いをもう自分で無視することはできなかったんです」

熱意が実り、そのすべてを任された川井さんは、水を得た魚のように制作にあたった。実際に店頭にCDが並ぶまでの間、不思議なほど不安を感じることもなく、心には穏やかで確信めいたものがあったという。

「レコーディングの間、自分の本能と音との間にずれがなく、ずっと確かな手応えを感じていました。一番うれしかったのは、銀座のお店に初めて自分のCDが並んでいるのを見た時でしょうか。まるで自分の子どもが世の中に旅立っていく、そんな愛おしさと期待で胸がいっぱいになりましたね」

そのCD『レッド・ヴァイオリン』は、クラシックファンのみならず、多くの人々に驚きと賞賛をもって受け入れられ、ヴァイオリニストとしては異例の売れ行きを記した。

「一番喜んでくれたのは、香川にいた両親です。すぐにCDショップまで飛んでいってくれて。それから、『君にしかできないことをすべきだ』と、初め躊躇していた私を励ましてくれた現在の主人も喜んでくれました」

川井氏それ以来、歴史的名曲、オリジナル曲を問わず、自身が抱く想いを映し出すような音楽を奏で、精力的に公演を行ってきた。

「音楽は自分自身を映し出す鏡。そう気づいた時から、たとえ大作曲家の曲でも、思いを持つ『人間』が創ったものなんだと、親しみを感じるようになったんです。だから、ある時は作曲家の思いを想像しながら、そしてある時は、私自身の思いを投影しながら、楽しんで弾けるようになりました」

そこには、もはやクラシックの偉大さに怯えていた姿は微塵もない。どんな曲もしなやかに受け止め、自分の音楽として昇華させる、そんな成熟した表現者としての自信が垣間見える。

※1…アントニオ・ストラディヴァリウス: イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者、アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644-1737)によって作られた弦楽器を指す。16世紀後半に登場したヴァイオリンの備える様式の完成に貢献。ヴィオラやチェロなど約50梃製作しており、いずれも弦楽器の代表的な名器として知られる。

※2…マックス・ブルッフ: Max Christian Friedrich Bruch(1838-1920)。ドイツの作曲家。ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調が、ロマン派の協奏曲として特に有名で、よく演奏される。

※3…アストル・ピアソラ: Astor Piazzolla (1921-1992)。音楽家。バンドネオン奏者。作曲家。踊るための音楽であったタンゴを、聴くための音楽という新しいジャンルを作り、彼の想像したジャンルは「Nuevo tango(ヌエーヴォ・タンゴ)」と呼ばれている。代表作-「リベルタンゴ」「ビオレンタンゴ」「天使のミロンガ」

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