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【平成の世にサムライを探して】第六十九回 木村大作 映画にすべてを賭けた男が語る映画作りの真髄 厳しさの中にしか本当の美しさはない|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

木村大作 映画にすべてを賭けた男が語る映画作りの真髄〜厳しさの中にしか本当の美しさはない

かつて「死の山」と恐れられた3000メートル級の山上で、足掛け2年、200日以上にわたって撮影された 映画『劔岳 点の記』。過酷な条件下で、この映画を見事完成させたのが 木村大作だ。 紫綬褒章旭日小綬章を受章したキャリア50年の生粋の映画人が、 自身の映画人生を語り尽くす。

50年の映画人生を賭けた「壮大な自主映画」

木村大作(きむらだいさく)プロフィール
1939年東京都生まれ。58年、東宝撮影部に入る。黒澤明監督の数々の作品で撮影助手を務め、73年、『野獣狩り』で撮影監督デビュー。以後、『日本沈没』『八甲田山』『火宅の人』『鉄道員(ぽっぽや)』など、数多くの作品にかかわる。名実ともに日本映画界を代表するキャメラマン。『劔岳 点の記』は初の監督作品。2003年紫綬褒章、10年旭日小綬章を受章。

※黒字=木村氏

-- 昨年公開された『劔岳 点の記』(以下:『劔岳』)は、木村さんの映画作りに賭ける情熱が伝わってくる素晴らしい作品でした。多少時間をおいた今、あの作品を振り返ってみて、新たに感じることはありますか?

振り返ったりはしないな。すべてやり切ったわけだから。反省? そんなもんしないよ。達成感というのも特にない。あの作品には、俺の映画人生を賭けた。それが終わった。それだけだよな。もちろん、結果的に多くのお客さんに見てもらうことができたのは良かったけどね。

-- 興行成績は気になりませんでしたか?

そんなこと気にしたらこんな映画は撮れませんよ。『劔岳』はね、いわば壮大な自主映画だよ。3000メートル級の山に2年間通って、200日以上山に入らなきゃ撮れないわけだろう。よくもそんな映画に金を出してくれる人がいたと思うよね。でも、出してくれる人がいて、撮ることができた。撮る以上、当たるとか当たらないとかは関係ないよ。

映画作りもそうだし、人が生きるってこともそうだけど、結果がどうなるかなんてことを考えながらやっているわけじゃないだろう。一つ一つのことを日々解決し、仕上げていく。それが人生だと俺は思ってるよ。だから、作った映画がヒットするかどうかなんてどうだっていいんだよ。プロデューサーからは、「そういうことは、一切口にしないでくれ」とクランクインの前に厳命されたけどな(笑)。

-- 50年に及ぶ映画人生で初の監督作品となったわけですが、その経験から学んだことはありますか?

日本人は、「初」ってのが好きだよねえ。俺からすりゃあ、撮りたい映画があって、たまたま監督も自分でやったってだけだよ。やりたいことをやっただけであって、それにいちいち注釈つけられたらたまんねえやって思うよな。映画作りなんだよ、これは。それだけだよ。

じゃあ、何で自分で監督をやったかというと、時間が掛かる映画だし、条件も過酷だろ。だから、やってくれる監督を見つけるのは難しかったわけだよ。でも、時間を掛けて厳しい条件の中で撮らなきゃ本物の映画にはならないと俺は思っていたから、じゃあ、一番こだわっている俺が自分で監督やればいいじゃねえかと、そういうことになったわけだよね。

-- 木村さんは、監督と徹底的に話し合うキャメラマンとして知られています。いわば、常に監督とバトルをしてこられたわけですが、この作品では、ご自身とバトルをしなければならなかったわけですよね。

木村氏そういうことだよね。その点はむしろすごく楽だったよ。今までは、キャメラマンとしてこう撮りたいということを、必死に相手に伝えて口説かなきゃいけなかったわけだから。そのための努力は大変だよ。

撮影前に自分であっちこっちを回ってロケハンをして、撮影もしてきて、「こんな場所がありますから、ここでやりましょう」とプレゼンするわけだよね。それが通らなきゃ降りるって覚悟だよ。今回はそういう努力が必要なかったんだから、そりゃ楽だよな。

だけど一方では、「本当に最後まで撮り切れるんだろうか」ってプレッシャーもあって、それはきつかったな。キャメラだけをやっていた時にはないプレッシャーだった。助かったのは、現場でプロデューサーから直接プレッシャーをかけられることがなかったことだね。特殊な現場だから、プロデューサーは現場に来られないだろ。

だから、現場で何やってるのかさっぱり分からないんだよ。だからこっちは好き勝手にやらせてもらえた。脚本も山の上でどんどん変わっていったけど、それを誰もストップさせられないわけだよ。言いたいことがあるなら現場に来いよって話だけど、来れねえからな(笑)。

-- ご自身の人生の中で、あの映画はどのような意味を持つと思われますか?

俺ももう70過ぎだからね。自分の人生を何かに賭けたくなることはある。何で生きているんだということを問いたくなる。俺の場合は、映画しかないからな。だから映画に賭けるしかないんだよ。そうやって自分を賭けた映画ということだよね。

-- 今後はキャメラマンとして仕事をするのは難しくなりそうですね。

もう全然駄目だよ。誰も使ってくれないよ。それを覚悟して監督をやったんだけどね。次も自分で監督をやるか、映画をやめるか。二つに一つだな。キャメラマンとしての仕事があり得るとすれば、『鉄道員(ぽっぽや)』とか『赤い月』で組んだ降旗(康男)さんが監督をやって、高倉健が主演をやる。その時だけだね。あとはないよ。

-- 降旗、高倉、木村の黄金トリオは実現しそうですか?

実現しないね(笑)。お二人とも、ちょっとやそっとのことでは動かないよ。俺なんかかなわないくらい厳しい人たちだから、簡単に「じゃあ一緒にやろう」とはならないですよ。

黒澤明監督から学んだ映画作りのこだわり

-- 長年、キャメラマンとして映画作りにかかわってこられたわけですが、その中で一番大切にしてきたことは何ですか?

キャメラマンの仕事で一番大事なことは、俺はセッティングだと思っている。このシーンはこういう雰囲気でやるんだ、こういう場所で撮るんだという自分なりの考えがあって、それを実現するためのセッティングを考える。そして、結果の映像に対して責任を持つ。それがキャメラマンだよ。誰かがあつらえてくれたセットを撮るだけなら、ただのオペレーターだよな。まあ、実際には大体のキャメラマンがそうなんだけどね。

二つの意見があってさ、キャメラマンは監督のいい女房になれと言う人もいる。黙って言われたことをやれってことだな。もう一つは、映像の責任者として自分がやりたいことを主張しろという意見。俺は後の方でありたいとずっと思ってたよ。

監督も同じでさ、プロデューサーの言うことに従う人もいれば、好き勝手やる人もいる。好き勝手にやってた代表が黒澤明だよな。仕方ないんだよ、金を出す方がいろいろ口を出すってのは。だって、もうけて元を取らなきゃいけないわけだから。

でも、それにすべて従ってると、世間に迎合する映画になるよな。10分に1回は客を泣かせるみたいな。俺としては、映画監督は「自分はこうなんだ」と主張できる作家であるべきだと思うわけだよ。でも、それをやってたら日本の映画界ではなかなか食えないよな。

-- 黒澤監督からは、多くのことを学ばれましたか?

木村氏俺の“一方愛”だよね。雑誌なんかに「黒澤映画にキャメラマンとして参加した木村大作」とか時々書かれることがあるけど、あれは嘘でさ、正しくはただの撮影助手だよ。18歳の時に『隠し砦の三悪人』で初めて黒澤組に参加させてもらって、『悪い奴ほどよく眠る』『用心棒』『椿三十郎』『どですかでん』と撮影助手をやって、30歳で卒業させてもらった。

撮影助手ってのは、フォース(4番手)から始まって、サード、セカンド、チーフと上がっていって、その後助手を卒業してキャメラマンとして一本立ちするわけだけど、俺は黒澤さんにペーペーからそこまで育ててもらったし、映画作りとはこうあるべきだということを徹底的に教えてもらったよね。

黒澤さんから学んだ最大のことは「こだわり」ってことだよ。こだわりのない映画は映画じゃない。彼はそうは言っていないけど、彼の近くで仕事をしていれば、それがおのずと分かる。でも、なかなか黒澤さんみたいにはできないわけだよね。

多くの監督は、予算枠をきちんと守って、映画会社の偉い人の言うことを聞いちゃうんだよ。俺は、黒澤さんの映画作りこそが正しいと思っていたから、自分が監督をやるならそういう正しい映画作りをしようと心に決めた。その点で、『劔岳』では全く妥協していないよ。

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