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【平成の世にサムライを探して】【第八十一回】 村治佳織|システム構築やトータルソリューションをお探しなら、日立ソリューションズをご利用ください。

第八十一回 村治佳織「世界の観客を魅了するクラシックギタリストに聞く ギターで世界を飛翔する才媛 その17年間の歩み」

15歳でのデビューから17年。 村治佳織氏は、変わらぬ自然体を保ちながら、世界をまたに掛けた活動を続けている。様々なジャンルの曲を奏でる ソロ演奏集『ソレイユ 〜ポートレイツ2〜』では、クラシックファン以外にも支持層を大きく広げた。日本を代表する クラシックギタリストへと成長をとげた今、17年間の足跡を彼女はどう振り返るのだろうか。

流れに身を任せるとやるべきことが見えてくる

村治佳織(むらじかおり)プロフィール
1978年東京都生まれ。
89年、ジュニア・ギターコンテストで最優秀賞を受賞。以後、いくつかのコンクールで華々しい成績を収め、93年にリサイタルデビューする。
同年、デビューアルバム『エスプレッシーヴォ』をリリース。97年からパリのエコール・ノルマルに留学。99年帰国し、本格的なソロ活動に入る。
2003年の英デッカ・レコードとの契約以降、海外での活動も増えている。

他人を寄せつけぬオーラを放つ天才肌。仕事を一つひとつ着実にこなしていく職人肌。はるかかなたにある理想を追い求めて日々精進する求道者肌。あるいは、先人の営みをたどることに無上の喜びを覚える学究肌──。

アートの世界に生きる人には様々なタイプがあるが、村治佳織氏はそのいずれとも異なるアーティストである。自然派、という形容が彼女にはよく似合う。力みのない「自然な」スタンスで芸術に取り組み続ける。それが彼女の大きな魅力と言っていい。村治氏自身は、自分をこう分析してみせる。

「もともと、戦略的に動くタイプではないんです。流れに自然に身を任せていると、その時々で自分がやるべきことが見えてくる。そんな感じです」

2009年、10年と、1本のギターで様々なジャンルの曲を奏でるソロ演奏集『ポートレイツ』『ソレイユ 〜ポートレイツ2〜』を立て続けに発表し、クラシックファン以外にも支持層を大きく広げることになったが、これらの作品もまた、「自然に生まれたもの」と彼女は話す。「自分のもとにやってきた大きなうねりに身を任せただけ」なのだと。

フランス留学と大作曲家との出会い

村治佳織氏がクラシック界に鮮烈なデビューを果たしたのは1993年、中学生の頃である。津田ホールでのデビューリサイタルに続き、デビューアルバム『エスプレッシーヴォ』をリリースすると、溢れる才能と周囲のサポートとが相まって、瞬く間に人気アーティストとなった。10代のうちに4枚のアルバムを発表し、96年にはヨーロッパでのデビューも果たしている。

村治氏「10代半ばでデビューして、いろいろな方たちと接することができた日々はとても充実していたと今振り返って思います。事務所やレコード会社の方々、家族にしっかり守ってもらえたこと。それから、シンプルに音楽で勝負するというスタイルをデビューの時点で作れたこと。そういうことにとても感謝しています」

村治氏の実年齢は、デビュー時点では公表されていない。「若さ」という付加価値に頼らずに、あくまで音楽そのものを人々に伝えたいというスタッフと村治氏の思いがあったからだ。

最初の転機は、19歳の時のパリ留学だった。留学期間、プロとしての音楽活動を一時休止しなければならなかったが、それが自分を見つめ直すいい機会になったと村治氏は言う。

「もともと、プロになりたいという強い意志があってギタリストになったわけではなかったので、『どうしてギターなのか?』ということをそれまであまり考えてきませんでした。でも、音楽活動から少し距離を置いてみて、ギターを弾き続けるのもやめるのも自分で選ぶことだし、その自由が自分にはあるということに気付いたんです。それから、それまでよりもずっと能動的に生きられるようになったように思います」

自己表現に向かう意識が明確になったのも、同じ頃だった。

「それまでは、先生の教えをいかに吸収できるかという視点でギターを弾いていました。先生に褒められればそれで大丈夫だし、褒められなければもっと練習する。それがすべてだったように思います。でも、ヨーロッパの学生は、もっと自分を主張するんですよ。こういう演奏がしたいとはっきり先生に伝える。先生はそれを受け入れてサポートする。そういうスタイルが普通で、それを目にして、『自分の表現は自分のものなんだ』と考えるようになりました」

さらにもう一つの転機がほどなく訪れる。ホアキン・ロドリーゴ氏との出会いである。「アランフェス協奏曲」でクラッシック以外のファンにも幅広く知られているこのスペインの作曲家と村治氏が直接対面したのは、あるテレビ番組がきっかけだった。

村治氏98歳になるロドリーゴ氏をテレビ番組の中で訪ねるという企画は、彼女自身が提案したものだったという。それは、作曲家と生身で触れ合い、作曲家の思いを直接感じることができる極めて希有な機会となった。

「クラシックの演奏は、普通、過去を生きた作曲家の作品を再現するものですよね。演奏家は、楽譜や文献からその曲に込められた思いをくみ取り、それを解釈しながら演奏するわけです。だから、ロドリーゴさんとお会いして、その手のぬくもりを直接感じ、家族の皆さんからいろいろなエピソードをじかに聞けたことは、私にとって本当に貴重なことでした。あの経験によって、『作曲家の思いをくみ取る』ということが、それまでよりも上手になった気がしています」

2003年には、英国の名門レーベル、デッカと契約し、海外での活動がいよいよ本格化する。突然のアクシデントは、そんな順風満帆な活動のさなかに起きた。

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