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【ヒロインの視点】 第2回 北条政子〜武家社会を統率した尼将軍〜

源頼朝亡き後の鎌倉幕府を支える

十三人の合議制

頼朝の死後は長子の頼家が家督を継ぎ、政子は出家して尼になり尼御台(あまみだい)と呼ばれるようになります。1199年のことです。頼家はまだ18歳で経験が浅く、気まぐれで専制的な政治が目立ち、御家人たちの反発を買います。そこで北条時政、北条義時、比企能員(ひきよしかず)、三浦義澄、和田義盛、八田知家、梶原景時、安達盛長、足立遠元(あだちとおもと)、大江広元、三善康信、中原親能(なかはらちかよし)、二階堂行政ら13人による合議制が導入されます。これがいわゆる『鎌倉殿の13人』で、2022年のNHK大河ドラマの題材になっています。頼家は御家人を軽んじ、民の生活を省みず、酒食に溺れ、蹴鞠にうつつを抜かすなど征夷大将軍、治世者としての適性に欠け、さまざまな問題を起こします。鎌倉幕府は早くも2代目にして存亡の危機に陥ります。その窮地をたびたび救ったのが政子でした。

源頼家像(建仁寺所蔵)
源頼家像(建仁寺所蔵)

頼家の目に余る暴走に対して、将軍就任から1年も経たぬうちに、北条時政や宿老たちが対抗策を講じはじめます。まず頼家を支持していた梶原景時とその一族が鎌倉から追われ、討ち取られます。1203年には不摂生がたたった頼家は病に伏せ、鎌倉から朝廷に、実朝への征夷大将軍の任命が申請されます。
さらに頼家の乳母父として後ろ盾となり、急速に勢力を伸ばしていた比企一族が、北条時政の軍勢によって攻め滅ぼされます。このとき頼家と比企の娘との間に生まれた一幡(いちまん)も焼死します。これを知った頼家は激怒しますが、政子によって修善寺に幽閉され、1204年にこの世を去ります。
結果として、政子は頼家を死に追いやったわけですが、帝王学の教科書とされる貞観政要(じょうがんせいよう)を学んでいたとされる政子にとってはそうせざるをえないほど、頼家の横暴ぶりは忍耐の限度を超えていたと伝えられます。たとえ非情であっても頼朝が多大な犠牲を払って築いた鎌倉幕府を守るためには苦渋の決断を下さなければならない。そんな覚悟も伺えます。

源実朝像(出典:國文學名家肖像集)
源実朝像
(出典:國文學名家肖像集)

1205年、政子の父、北条時政を執権として実朝が第3代将軍となりますが、時政は実朝を殺して別の将軍を立てようとしたことが発覚し鎌倉から追放。その14年後の1219年、頼家の遺児で政子の孫にあたる公暁(くぎょう/こうきょう)によって実朝は暗殺され、公暁もすぐに命を奪われます。次々と肉親を失っていく政子の人生は耐えがたい悲しみに満ちたものでしたが、それを克服する強さを彼女は備えていました。
鎌倉幕府は実朝の後、京都の摂関家から2歳の三寅(みとら/のちの藤原頼経)を迎え、将軍とします。政子が尼将軍として三寅の後見となって空白となっていた鎌倉殿の地位を代行し、さらに政子の弟である北条義時がこれを補佐する体制となります。ここに北条氏が実権を握る執権政治が確立します。

決して政子が自ら望んで得た地位ではなく、さまざまな政争を経て事態を収拾するべく奔走した結果、尼将軍となった。そんな事情が垣間見えます。1221年、朝廷の権力の復活をめざす後鳥羽上皇と争った承久の乱では、御家人に檄をとばして幕府軍を勝利に導くなど強力なリーダーシップを発揮します。そして1225年、政子は病に伏し、69年の生涯の幕を閉じます。

ガラスの天井を突き破った尼将軍

鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』では、1219年の実朝死去から1225年の政子死去まで、北条政子を鎌倉殿と扱い、その功績を称賛しています。また鎌倉時代に僧の慈円が著した歴史書『愚管抄』では、政子の業績に対して「女人入眼(にょにんじゅがん)の日本国」と評価しています。女人入眼とは女性がいきいきと活躍するさまのことで、室町時代にも政子を評価する声は高かったとされます。
悪女と評価されるようになったのは江戸時代からで、当時流行していた儒教的な価値観によって、嫁ぎ先の源氏の系統が絶えて実家の北条氏が栄えたことや政子の嫉妬深さに批判を加える書物が流布します。それらは政子のせいではなく、男性中心の女性を軽んじる価値観や容赦ない権力闘争に対して、政子がなした行動の結果といえます。

ちょっとひといきタイム

北条政子 永井路子[著] 文春文庫

北条政子を語る上でよく引き合いに出されるのが、永井路子の小説『北条政子』です。さまざまな苦難を乗り越えてきた政子の心情が細かく描かれています。ここに登場する北条政子の姿は、悪女という評価を一変させるものがあり、1969年に刊行された本ですが、新たなジェンダー論が交わされる現代においても考えさせられるところの多い作品です。

北条政子 永井路子[著]
文春文庫

人間社会は古くから「競争」と「ケア」の両輪で回ってきたといわれます。政子が果たしてきた役割は主に「ケア」の部分で、権力の暴走にブレーキをかけることでした。冷徹な政争に明け暮れる武家社会においても、人間としての心を失わない判断力で、混乱や衝突を収めてきたところにあります。もちろん「競争」の部分においても承久の乱で政子は御家人たちに檄を飛ばし、将軍としての役割を見事に果たしています。男女の格差を超えて政子が力を発揮できたのは、政子の強い精神力や高い知性も大きいですが、何よりも政局に影響力を与える権限をもっていたことです。

『いまこそ、女性の力を解き放つ』(メリンダ・ゲイツ著)
『いまこそ、女性の力を解き放つ』
(メリンダ・ゲイツ著)

ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の共同会長であるメリンダ・ゲイツ氏は『ハーバード・ビジネス・レビュー』の2020年4月号に『いまこそ、女性の力を解き放つ』という論文を寄稿し「社会における女性の権限と影響力の拡大」を目標にすべきと説いています。そのためには、効果が高い3つの戦略を用いるべきと提案しています。

(1)
職場における最も一般的な障壁を取り除く。
(2)
社会に極めて大きな影響をもたらす分野で女性を早急に昇進させる。
(3)
現状を変革できそうな組織に対して外部からの圧力を高めるために、
新たな投資とエネルギーを振り向ける。
イメージ
※イメージ

もはや男女平等を唱えるだけでは無意味で、具体的な戦略が必要なことをメリンダ氏は説いています。なかなかジェンダー・ギャップが解消されない日本において、ブレークスルーとなるヒントがありそうです。鎌倉時代と現代のアメリカ社会を比べることにはやや無理がありますが、北条政子はこうした戦略を無意識に実行していた先駆的な女性だったのではないかとも考えさせられる場面が少なくありません。ジェンダーの壁に突き当たったとき、日本には北条政子というロールモデルがいたことを、あらためて忘れずにいたいと思います。

北条政子から学ぶこと

まちがった常識や慣習には安易に従わない。

たとえ身内でも不正に対して厳しく接する。

どんなときも人を思いやる心を忘れない。

熱意と誠意のある言葉には人を動かす力がある。

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