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【ヒロインの視点】 第5回 春日局〜徳川の乳母から政権の重鎮に〜

ジェンダー格差がなかなか解消されない日本。日本の歴史上、大きな役割を果たした
女性を取り上げ、あらためて日本という国の成り立ちや本質を考えます。
持統天皇、北条政子、日野富子、淀殿、春日局。旧来の日本史観にとらわれない
女性を主役にした新しい視点から歴史上の人物を見つめることで、
ジェンダー格差解消のヒントを探りたいと思います。

徳川政権の基盤を固めた女性リーダー

環境や社会課題、企業統治への配慮を評価する「ESG投資」がますます世界のスタンダードになっています。ひところは環境への対応が注目されていましたが、最近ではジェンダー格差が解消されているかどうかにも投資家の厳しい目が向けられているようです。外資系の投資家たちは「女性の取締役ゼロ」の企業に対しては、指名委員会や経営トップ選任に反対票を投じるようになりました。そうした動きを受けて、女性を登用していない企業では、競って女性取締役を採用する動きに出ています。ここ数年で女性取締役は倍増していますが、ほとんどが社外取締役であり、社内から選抜するケースはまだまだ少ないようです。「外圧」によって変わったように見えても、本質的なところでは積極的に女性を登用するマインドになっていないのが現状のように思われます。
女性登用を阻む要因としては、優秀な女性によって男性側の「重要な仕事やポストを奪われる」、「自分の存在価値がなくなる」という無意識の警戒も大きいといわれます。そうした目に見えないバリアを一気に突き崩す、思い切った転換がすぐにでも必要といえるでしょう。

安達吟光画「古今名婦鏡 春日局」
徳川家光像(金山寺蔵)
上:安達吟光画「古今名婦鏡 春日局」
下:徳川家光像(金山寺蔵)

日本の歴史を振り返ると、男性優位の社会に大きな風穴をあけた女性たちが少なからずいました。なかでも春日局は特異な存在です。春日局とは51歳のときに天皇から授かった称号で、その本名を福といいます。
福は徳川三代将軍、家光の乳母であり、本来は黒子の存在でした。しかし、家光を将軍に育て上げたのち、自らは御台所(みだいどころ)に相当する要職につき、老中を上回る権力を手にします。鎌倉時代の北条政子、室町時代の日野富子も大きな影響力をもった存在でしたが、彼女らはいずれも将軍の妻であり、政治に参画しやすい立場にありました。
春日局の場合は、将軍の乳母という直接は権力をもたない立場から、自らの才覚と行動力でステップアップし、着実にキャリアを重ねてきた点でユニークといえます。
江戸時代以降の男性優位社会の価値観では、北条政子、日野富子、淀殿のような男性を脅かすような力をもった女性は悪女のレッテルを貼られることが多いのですが、春日局の場合、一部の「乳母が国家の大事に口を出すとはいかがなものか」というような見方をする人以外は、悪女のようなイメージはあまりないようです。

よしながふみ著『大奥』(白泉社)
よしながふみ著『大奥』
(白泉社)

男女が逆転した大奥の世界を描いた、よしながふみ氏の漫画『大奥』が2021年2月に完結しましたが、そのパラレルワールド的な世界は第一級のエンタテイメントでありながら、日本の男女格差についてさまざまな問題を投げかける作品でした。ここに登場する春日局はちょっと怖い存在でしたが、実際にはどんな人物だったのでしょう。まずは春日局の人生をたどってみたいと思います。

本能寺で信長を討った謀反人の娘

落合芳幾画「太平記英勇伝五十四:齋藤内蔵助利三」
落合芳幾画
「太平記英勇伝五十四:齋藤内蔵助利三」

日本の歴史では、政争によって滅ぼされた武将の子孫がのちに名を残す例が稀にあります。織田信長の妹、お市の方の娘である淀殿をはじめとした浅井三姉妹(あざいさんしまい)はその代表ともいえるケースです。
春日局もそうした悲劇に遭遇しながらも、しぶとく生きながらえた女性のひとりです。フルネームは斎藤福といい、明智光秀の重臣だった斎藤利三(さいとうとしみつ)の娘です。斎藤利三は織田信長を死に追いやった本能寺の変で主導的な役割を果たした武将で、山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、磔(はりつけ)にして処刑されます。その武勇は広く知られ、秀吉をして「殺すには惜しい人物」と言わしめたと伝えられます。

稲葉正成肖像(神奈川県立歴史博物館蔵)
稲葉正成肖像
(神奈川県立歴史博物館蔵)

父の悲劇的な死の後、福は母方の実家である美濃の稲葉家に身を寄せ、伯父の稲葉重道(いなばしげみち)の養子として引き取られます。そして、20歳のとき小早川秀秋の家臣であった稲葉正成(いなばまさなり)の妻となります。小早川秀秋といえば、関ヶ原の戦いで豊臣恩顧の武将でありながら徳川に寝返った人です。稲葉正成は徳川家康と内通し、主君の秀秋を徳川につくように説得した功労者でした。本能寺の変、関ケ原の戦いという、日本を大きく変えた歴史のターニングポイントで重大な役割を果たしたキーパーソンの子であり妻であった福。そこには何か運命的なものを感じざるを得ません。その後、福は稲葉正成と離縁したのちに、竹千代すなわち徳川家光の乳母となります。
乳母となった経緯としては諸説ありますが、17世紀後半に出版された『明良洪庵』という書物では、家光が誕生した際に京都で乳母の募集があり応募したとされています。ほぼ同時期に出版された『春日局譜略』では福を乳母に採用したのは民部卿局(みんぶきょうのつぼね)だったといいます。民部卿局とは江についた奥女中の最高位だった老女で、選考にあたっては徳川将軍家の意向が強く働いたと考えられます。福の家柄や教養、夫だった稲葉正成の功績が高く評価されたという説がありますが定かではありません。

福は徳川家光の乳母ではなく生母だったという説を唱える人もいます。歴史学者の福田千鶴氏もそのひとりで、一次資料をひもときながら緻密な検証を加えています。徳川秀忠と江の間には11人の子がいて、すべての子を江が産んだとは考えにくい、秀忠と江は家光の弟の国松(のちの徳川忠長)を世継ぎに考えていたなど、その論拠はいくつかあり、徳川将軍家の蔵書を保管する紅葉山文庫の『松のさかえ』にはこう記されています。

秀忠公御嫡男 竹千代君 御腹 春日局
三世将軍家光公也、左大臣

同御二男 国松君 御腹 御台所 
駿河大納言忠長公也、従二位

映画「女帝 春日局」DVD発売中 3,080円(税込)販売:東映 発売:東映ビデオ
映画「女帝 春日局」DVD発売中 3,080円(税込)
販売:東映 発売:東映ビデオ

家光の生母が春日局に対して、弟の忠長が御台所、すなわち江であることが明記されています。「春日局生母説」の真偽を探ることが目的ではないので深追いはしませんが、江戸時代から家光の生母は春日局とする記録があったことがわかります。ただ、意外なことに徳川の正室から生まれた子が将軍になったのは家光だけであり、以後の歴代将軍はすべて側室の子か養子でした。もし家光が江の子でなかったとしても、当時の人たちにとってはさほど驚くことではなかったのかもしれません。
さらに、家光は家康と春日局の子であると唱える人もいて、1990年の映画『女帝 春日局』ではその説を題材にした物語が展開されています。

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