消費者を振り向かせるには「流儀」こそが大事になる
北村 森 1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。「日経トレンディ」編集長を経て独立。商品ジャーナリストとして、製品やサービスの評価、消費トレンドの分析を続けるほか、経済産業省やJETROなどと連携した地域おこし事業に数々参画。現在は「中日新聞」など8媒体でコラムを執筆、NHKラジオ第1「Nらじ」などのテレビ・ラジオ番組でコメンテーターを務める。サイバー大学IT総合学部教授(地域マーケティング論)。 |
宿
<湯宿さか本>
この宿のWEBサイトを訪れると真っ先にこう綴(つづ)られています。「大いに好き嫌いを問う宿」「いたらない、つくせない宿」。確かに人を選ぶ一軒なのは間違いないでしょう。
まず、接客は全く手厚くありません。部屋もごくごく質素です。朝夕の食事は時刻が決まっていて、しかも原則として他の客と一緒の卓を囲むように指示されます。緑礬泉(りょくばんせん)のお風呂は肌に優しく、芯から温まりますが、小さな湯船ですから、他の客が浸(つ)かっていたら順番を待つしかありません。ついでに言いますと、林の中の宿なだけに夏は羽虫が結構やってくる。
なのに……。この「湯宿さか本」にはひいきの客がずいぶんとついていて、このコロナ禍にあっても稼働率をさほど落としていないと聞きます。東京や大阪といった大都市圏からの常連客も多いそう。ちょっと品のない話ですが、かなりいい輸入車を宿の玄関先でしばしば見かけます。1泊2万円前後というそれほど値の張らない宿としては珍しくも感じられます。なぜなのか。
![]() 夕食の一皿から、初夏の炊き合わせ。心にしみる料理が続く
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クセのある宿であるのは間違いないので、確かに人は選ぶとは表現できます。ただし「いたらない、つくせない宿」かというと、そうとも言えません。ある意味で、振り切れるだけ振り切っている一軒であるとも思えるからです。この宿の料理、そしてしつらいを、「つくしきっている」と受け止めた人が何度も来訪を重ねているのでしょう。
例えば、夕ごはんに運ばれてくる料理は、春の時季ならば大鉢いっぱいのタケノコであり、また初冬のころは滋味深いブリ大根であったりします。また、締めとなる、いしる(魚醤)の焼きおにぎりが素晴らしい。そのどれもが記憶に深く留(とど)まります。
ここで思うわけです。宿にせよ、他の領域の商品にせよ、中庸というのが最も人の気持ちをくすぐらない。では何が心を捉えるのか。「流儀」であると私は思います。この宿にはそれがある。
言い換えますと、万人に受けることがヒットに必須という話ではないのです。とがった流儀がそこにあればこそ一定の消費者が着実に振り向くわけです。小さな宿に、万人の賛同は必要ありません。
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能登半島の先に佇む
わずか4室の小宿
能登空港からクルマで1時間弱、林の中にぽつりとある一軒宿。わずか4室、接客は最小限。それでも人気なのはまず、朝夕の奥深い料理が再訪を誘うこと。そして、能登に根づく建築手法を活かしたしつらいに得難いものがあること。好きな書籍などを携えて、池に臨むゲストハウスでのんびりと過ごすのも格別。
- 1泊2食1万8000円〜
- 石川県珠洲市上戸町寺社
- 0768-82-0584
1月と2月は厳寒期のため休業
https://www.yuyado-sakamoto.com/
![]() 奥の林から届く風が心地よい居間。滞在する客は原則、ここで朝夕の食事をともにする。 晩秋からは囲炉裏(いろり)と薪ストーブが居間を暖める |