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【挑む人】第10回 長谷川裕也「世界の足元に革命を起こす」

路上での靴磨きからスタートし、当時世界でも珍しかった靴磨き専門店を2008年に立ち上げた長谷川裕也氏。「世界靴磨き大会」で優勝して、名実ともに世界一の靴磨き職人となった長谷川氏に、靴磨きの奥深さや新たな市場を開拓する視点について聞いた。

※本記事は2020年2月に掲載されたものです

「ピカピカにすること」が靴磨きのゴールではない

長谷川裕也(はせがわ・ゆうや)プロフィール

長谷川裕也
1984年千葉県木更津市生まれ。製鉄所勤務、英語教材の営業を経て、2004年、20歳の時に路上で靴磨きを始める。2008年、東京・南青山に靴磨き専門店「Brift H(ブリフトアッシュ)」を開店。17年には世界靴磨き大会で世界一となった。著書に『自分が変わる 靴磨きの習慣』などがある。

※黒字= 長谷川裕也 氏

──東京・青山で店を始めて11年とのことです。開店のきっかけは何だったのですか。

以前は、靴磨きといえば路上でサービスを提供するもので、それ以外に靴を磨いてもらえる場所は老舗高級ホテルか空港くらいのものでした。そこで、これまでになかった靴磨き専門店をつくって日本に靴磨きの文化を広げていこうと考えたのがこの店のオープンのきっかけでした。

店名の「Brift」は、輝かせるという意味の「Bright」と「Footwear」を組み合わせた造語です。「H」には、僕の名前の頭文字のほか、お客様の幸福を意味する「Happy」、お客様にくつろいでいただける「Home」、靴を健康にする「Hospital」、手作業の「Hand」など様々な意味が込められています。

長谷川祐也 氏

──サービスのスタイルと料金についてもお聞かせいただけますか。

サービスは大きく2種類に分かれます。カウンターで職人と対面して靴磨きの工程をご覧になりたいというお客様には、ご予約をいただき、バーカウンターでお酒を飲むような雰囲気でサービスをご提供します。それ以外の場合は、靴をお預かりして磨きが完了したらお渡しする形になります。

料金は、ご予約の場合は4000円、お預かりの場合は2900円から3300円です。加えて、職人を指名される場合は指名料としてプラス2000円をいただいています(2019年7月現在)。

──客層はどういった方々なのでしょうか。

一番多いのは30代から65歳くらいまでのビジネスパーソンですね。そのうち3割か4割は経営者の方々です。近頃は20代のお客様も増えています。男性がほとんどですが、女性のお客様もいらっしゃいます。

マッサージや美容室などと比べても決して高い価格ではないので、ぜひ遊びに来る感覚で立ち寄っていただきたいというのが僕の思いです。最近では、会合の前に「ゼロ次会」としてこの店に上司や取引先の方をお連れになるお客様もいらっしゃいます。靴磨きを見ながら1時間程度くつろいで、互いの交流を深めることもできるので、重宝いただいています。「ハッピーアワー」を「靴磨きアワー」としてご活用いただく。そんな感じですね(笑)。

──磨きの工程を簡単に教えていただけますか。

工程は大きく3つで、「汚れ落とし」「栄養補給」「艶出し」です。女性のお化粧に例えれば、洗顔して、化粧水や乳液を塗って、メイクアップするという流れです。その工程をさらに細分化していくと、全部で15工程くらいに分けられます。

──革靴は1足ごとに形やコンディションが異なりますよね。均一のクオリティーで仕上げるのは難しくはないですか。

靴磨きの正解は、「すべての靴をピカピカにすること」ではなく、「お客様の好みに合った仕上がりにすること」です。磨く前にご要望を聞いて、光沢を出した方がいいのか、あまり光らせない方がいいのかといったイメージをお客様と共有します。そのイメージを実現させて、お客様に感動していただく。それが靴磨きのゴールだと考えています。

靴磨きサービスの頂点に位置するブランドを

靴磨きサービスの頂点に位置するブランドを

──靴磨きとの出合いについてお聞かせください。

高校卒業後に就職した会社を8カ月くらいで辞めて、英会話の教材を販売する会社に転職しました。フルコミッションの仕事でやりがいはあったのですが、忙し過ぎて体を壊して、そこも辞めました。もともとファッションが好きだったので、洋服屋の求人を探しながら、日々の生活費を稼ぐために日雇いのアルバイトを始めたのですが、ある時期仕事が全くなくなって、全財産が2000円になってしまいました。何とかしなければいけないと思って、元手がなくてもできる仕事ということで路上での靴磨きに目をつけたわけです。100円ショップで靴磨きセットとお風呂の椅子を買って、東京駅の丸の内口で靴磨きを始めました。

──お金は稼げましたか。

料金は一律500円にしたのですが、初日の売り上げは朝9時から夜10時までやって7000円でした。元手が数百円で引っ越しバイトと同じくらいの稼ぎが出たので、「これはいける」と思いましたね。就職が決まってからも、オフの日には路上に出続けました。

──路上での靴磨きはどのくらい続けたのですか。

足かけ4年弱です。2年間は二足のわらじを履いていたのですが、「靴磨きドットコム」というポータルサイトを立ち上げたのをきっかけに洋服屋を辞め、靴磨き一本で2年弱続けました。

──その後、青山に店を構えるに至ったわけですね。

貯金が少しあったのと、若者起業家支援制度でお金を借りることができたので、開店資金にはそれほど困りませんでした。悩んだのは、サービス料金をいくらに設定するかでした。当時は、ホテルオークラで靴磨きをされていた方の1200円が最高値で、それより安くしようと思ったのですが、ある起業家に「価格は高めにした方がいい」とアドバイスをされて、1500円、3500円、6000円と3つのコースを設定しました。

──なぜ「高めにした方がいい」のでしょうか。

「料金を1万円にするとしたら、どんなサービスにする?」とその起業家に聞かれて、「うーん、どうするだろう」と考えてしまいました。実は、その「考える」という行為が大事ということなんです。価格を安めにすると、特別なことをしなくてもいいので、特にサービスの内容について考えたりしませんよね。でも、高く設定すれば、それに見合った満足度を提供しなければいけないので、工夫するようになります。

ブラシ

──なるほど。それによってサービスの質もおのずと上がるというわけですね。開店当初から来客はあったのですか。

お客様や関係者からは「絶対失敗する」と言われましたが、オープン初日からお客様が来てくださいました。路上時代から雑誌の取材を受けたり、ラジオに出たりしていたので、少々知名度があったことと、「靴磨きドットコム」で開店を知られた方が多かったこと。その2つが集客につながったようです。ありがたいことにその後もお客様は増えて、開店前から店の前に行列ができることもありました。

──靴磨きに対する潜在的なニーズがあったということなのでしょうね。

そういうことなのだと思います。1990年代の後半に高級靴ブームがあって、その後に修理店が数多くできたのですが、靴磨きの専門店はほぼ皆無でした。そこに隠れたマーケットがあったということなのではないでしょうか。

──価格を思い切って下げて、大衆路線で集客を増やすという選択肢はなかったのですか。

靴磨きを始めた頃から僕が掲げていたのは、「日本の足元に革命を」という目標でした。靴磨きの文化を根づかせ、「靴磨きはかっこいい」という価値観を広め、「こだわっている人は皆、靴磨き店に通っている」という世界をつくる。そのためには、靴磨きサービスの頂点に位置するブランドをつくらなければならないと考えました。

──2017年には、ロンドンで開催された「第1回世界靴磨き大会」で優勝されました。

最初の大会で優勝できたことはうれしかったですね。技術のバランス、所作、仕上がりなどが評価されたようです。僕個人というよりも、日本の靴磨きのレベルが非常に高いということなのだと思います。

──「Brift H」のような靴磨き専門店は、世界的に見ても珍しいのでしょうか。

最近は増えてきているようですが、まだ少数だと思います。この店が世界の靴磨きビジネスをリードしているという自負があります。目標を「世界の足元に革命を」に変えたのも、世界視野でビジネスを見ていきたいという思いがあるからです。

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