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東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻クリニカルシークエンス分野教授

松田 浩一

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私たちの体の設計図であるヒトゲノム。その解析によって一人ひとりに最適な医療を行う「精密医療」の実現をめざしているのが、東京大学大学院教授の松田浩一氏だ。27万人のゲノム情報を集積したバイオバンク・ジャパンを拠点とするゲノム研究は、医療を、そして私たちと病気との関係をどう変えていくのだろうか。

※本記事は2020年5月に掲載されたものです

27万人のゲノム情報をストックする巨大バンク

松田浩一(まつだ・こういち)プロフィール

東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻クリニカルシークエンス分野教授
1969年生まれ。1994年、東京大学医学部医学科卒業。5年間の整形外科医勤務を経て、1999年に東京大学大学院医学系研究科外科学専攻に入学。2003年に米国ベイラー医科大学研究員となり博士号を取得する。2004年、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター助手に就任。2009年に准教授、2015年に教授となる。

──バイオバンク・ジャパンの設立の経緯と役割について教えてください。

私たち一人ひとりの身体的な特徴や個性の多くの部分はDNAに書き込まれた遺伝子によって決まります。そのDNAの連なりがゲノムと呼ばれます。人間のゲノムであるヒトゲノムは、約30億の遺伝コードがつながったものです。

私たちの顔かたちの違いはゲノムの違いによるのですが、ゲノムが全く同じ人もいます。それが一卵性双生児です。一卵性双生児は顔かたちが非常に近いだけでなく、病気になる傾向も共通しています。ということは、ゲノムを調べることによって、どのような病気になりやすいかが分かるということです。もちろん、病気の要因には環境的、後天的なものも少なくありませんが、先天的傾向についてはゲノムから説明できると考えられます。

しかし、ゲノムと病気の関係を明らかにするには、膨大な量のサンプルが必要になります。病気になった人のゲノムのサンプル、さらにその病状と途中経過に関する情報を大量に集め、関連付けることによって初めてどの遺伝子がどの病気の発症に作用しているかが分かるわけです。そのサンプル収集と解析を目的に東京大学医科学研究所内に設立されたのがバイオバンク・ジャパンです。

27万人のゲノム情報をストックする巨大バンク

──2003年の設立以降、現在までに、どのくらいのゲノム情報が集まっているのでしょうか。

約27万人分で、これは世界でもトップクラスです。全国60~70の病院に協力いただき、最初の10年で20万人分を、その後にさらに7万人分を収集しました。ゲノム情報は究極のプライバシーなので、情報を集める際は提供者に収集の目的や研究の意義などをしっかり説明しなければなりません。そこで、まずは患者さんへの説明を行うメディカルコーディネーターを育成した上で、一人ひとりの患者さんと30分~1時間かけてお話をし、同意いただいた方から血液とカルテ情報を提供していただくという方法を取りました。幸い、皆さんとても協力的で、話をした方のうち9割くらいに同意をいただいています。

──ゲノム解析によって、具体的にどのようなことが分かるのでしょうか。

主に2つ挙げられます。1つは病気になるリスクです。例えば、これまでの解析で、ある遺伝子型を持っている人は飲酒と喫煙の習慣によって食道がんになるリスクが格段に高まることが明らかになっています。このようなことが分かれば、予防医療に役立てることができます。飲酒、喫煙を控え、かつ健康診断を定期的に受けることによって、がん発生の確率を下げることができるわけです。

もう1つは、病気になった場合の薬とのマッチングです。どのような薬が最も効果が高く、かつ最も副作用が少ないかがゲノム情報によって明らかになります。

──ゲノム解析を医療に役立てる研究は海外でも進んでいるのですか。

進んでいますし、その知見をある程度応用することは可能です。しかし、海外の研究を日本の医療に役立てるには、日本人のゲノムを独自に解析する必要があります。人種によって遺伝子のタイプは異なるからです。日本人は、大きく2つのゲノムグループに分けられます。私たちはそれを「本土タイプ」と「琉球タイプ」と呼んでいます。もともと日本列島に住んでいた人たちは、大陸から来た人たちから逃れるようにして南北に移動していったと考えられています。その人たちの遺伝子が南では現在の九州や沖縄の人たちに、北ではアイヌ民族の人たちに受け継がれています。ゲノムを調べると、本土タイプと琉球タイプはきれいに分かれます。その人がどちらのグループに属しているかを考慮することによって、病気のリスク予測や投薬のマッチングの精度を上げることができるのです。

劇的に下がったゲノム解析のコスト

劇的に下がったゲノム解析のコスト1

──ヒトゲノムの研究を始める前は整形外科医だったそうですね。

大学を卒業して5年間は臨床現場で働いていました。大学時代にアメリカンフットボールをやっていて、よくケガをして整形外科の先生にお世話になっていたんです。それで自分も整形外科医になろうと考えました。

一般に、整形外科医は患者さんの命に関わる病気に携わることは少ないのですが、私が関心を持ったのは、骨軟部腫瘍という骨や筋肉などにできるがんの治療でした。その理解を深めるために、大学院に進んで研究を始めたわけです。1999年でした。

──その頃、ゲノム研究はどのような段階にあったのですか。

ヒトゲノム配列が全て解読されたのが2000年のことです。それによって、いわば「人の設計図」の全貌が明らかになりました。これは非常に大きな出来事で、ゲノム解読プロジェクトのリーダーだった遺伝学者のフランシス・コリンズ氏が、当時、米大統領だったクリントン氏と英首相だったブレア氏と一緒に記者会見を行ったくらいです。

──研究生活に入ってすぐに、ゲノム研究が大きく前進したわけですね。

私自身はがんを治す研究を志していたわけですが、ゲノム研究はもちろんがんの研究にも大いに関係するので、とても良いタイミングだったと思います。

劇的に下がったゲノム解析のコスト2

──ゲノムが解読されてほぼ20年がたつことになります。その間、研究はどのように進んできたのでしょうか。

最大の進歩は、ゲノム解析のコストが劇的に下がったことです。2000年に成功した解析は人1人分だけのゲノムでしたが、それでも期間にして13年間、費用にして約3000億円が費やされています。

しかし、その後、DNA配列を読み解く技術が大きく発達し、情報解析のシステムの性能も格段に向上しました。その結果、最近では数万円程度で1人のゲノム解析をすることが可能になっています。解析に要する時間も1日か2日程度です。

アメリカでは、WEBから申し込んで、唾液をチューブに入れて送ると、ひと月くらいでゲノム解析結果が届くというサービスをすでに多くの人が利用しています。日本でも同様のサービスがいくつか出てきていて、2万円くらいの費用で自分のゲノム情報を知ることができるようになっています。

ゲノム情報が医療のインフラになる

ゲノム情報が医療のインフラになる

──今後、ゲノム研究はどのような方向に進んでいくとお考えですか。

精密医療、あるいはオーダーメイド医療と呼ばれる新しい医療を実現することが大きな目標となります。個々人に最も適した予防医療や投薬の方法を実現する医療です。そのためには、ゲノム解析に医療保険が適用されるかどうかが大きなハードルになると考えています。アメリカは国民皆保険ではないので、それぞれの人が契約している民間保険会社の判断によって保険適用が決まります。一方、日本では保険適用は一律なので、社会的な仕組みが整備されなければなりません。

──もし医療保険適用となれば、現在の血液検査と同じような感覚でゲノム検査ができるようになるのでしょうか。

そう考えていいと思います。重要なのは、検査によって明らかになったゲノム情報を、医療機関ではなく個人が保管することです。それによって、かかりつけの病院が変わっても、その都度ゲノム情報に基づいた治療を受けることが可能になります。

──ゲノム情報を基にした精密医療が実現すれば、今後、高齢化によって増大していくとみられている医療費を抑制することもできそうですね。

予防医療によって病気になる人を減らすことができるし、無駄な投薬を減らすこともできますからね。精密医療の仕組みは、人々の健康を支え、社会課題を解決する重要なインフラになると思います。

しかし、残念ながらゲノム研究の予算が足りないのが現状で、現在は新しいサンプル収集と解析ができない状況になっています。サンプルを提供してくださった方の追跡調査ができないと研究が滞ってしまうので、情報を随時更新していける仕組みの再構築を医療機関と相談しながら模索しているところです。

──基礎研究の予算は全般に削減傾向にあるようですね。

社会に役に立つ応用研究の方が重視されるようになっています。しかし、私たちの研究は応用からそれほど遠いわけではありません。法律などの仕組みが整えば、すぐにでも臨床現場で使えるものです。研究の成果を社会実装につなげるために民間企業と連携するという方法も視野に入っています。

──これだけのサンプルと解析の蓄積があるわけですから、多くの企業が関心を示すのではないでしょうか。最後に、これからの目標をお聞かせいただけますか。

1つは、ゲノムから個人の特徴を描き出す方法をさらに突き詰めていきたいと考えています。もう1つはやはり、研究成果を広く医療に応用していくことです。もともと私は医者ですから、多くの患者さんの役に立ちたいというモチベーションが常にあります。そのために医療現場との連携を深めていくことが必要ですし、サンプルを提供してくださった患者さんに研究の成果を還元する仕組みづくりにも取り組んでいきたいと考えています。将来的には、ゲノム情報が個人のヘルスログとなり、それがすべての人の健康や治療を支える社会になることが理想ですね。

東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻クリニカルシークエンス分野教授 松田浩一「ゲノム解析が日本の医療を変える」
〈取材後記〉

27万人のDNAサンプルが集まるバイオバンク・ジャパンは、東京・白金台の東京大学医科学研究所の中にあります。サンプルが集積された施設は、広さにすれば20人くらいが入れる一般的な会議室くらいで、そこに小さなサンプルケースがぎっしりと収容されてました。部屋の温度は4℃に保たれていて、必要なサンプルはすべてオートメーションで取り出すことが可能だそうです。松田先生は、ゲノムや遺伝子に関する専門的な知識を門外漢の私たちに懇切丁寧に説明してくださいました。この研究所からぜひ精密医療を実現させていただきたいと思います。

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