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【挑む人】第24回 渡邊彰男「伝統の飴づくりの技法で「疫病退散」に挑む」

明治時代から庶民に愛され続けてきた金太郎飴®。その飴づくりの技法を「組み飴」と呼ぶ。現在も金太郎飴®をつくり続ける一方で、組み飴の技を駆使した「アマビエ飴」をつくって大きな話題を集めたのが、東京・台東区の金太郎飴本店である。組み飴の歴史や技法、金太郎飴®の出自、そして新型コロナウイルス退散の思いを込めたアマビエ飴について、同店6代目の渡邊彰男氏が語った。

※本記事は2020年11月に掲載されたものです

「強い子になってほしい」という思いを込めた飴

渡邊彰男(わたなべ・あきお)プロフィール

飴職人
1969年生まれ。大学の商学部を卒業後、コンピューター関連会社に就職。1993年に父であり現会長である渡邊鐵男氏が社長を務めていた株式会社金太郎飴本店に入社。2017年、代表取締役社長に就任し、6代目当主となる。一男一女の父。

新型コロナウイルスの被害が拡大する中で、インターネットを中心に話題を集めていた妖怪「アマビエ」。そのイラストを厚生労働省がTwitterに掲載したのは2020年4月9日のことである。そこからアマビエは、日本の新型コロナウイルス対策のいわば象徴的なキャラクターとしてさらに多くの人が知るところとなった。

江戸時代後期、肥後国、現在の熊本県の海に現れ、「今後疫病が流行するから、自分の姿を書き写して人々に見せよ」と予言をしたと伝えられるのがアマビエである。

上/棒タイプの金太郎飴(R)。こちらが元祖だ 下/「東京名所めぐり」も人気の商品。パンダや七福神などの模様をあしらっている
上/棒タイプの金太郎飴®。こちらが元祖だ
下/「東京名所めぐり」も人気の商品。パンダや七福神などの模様をあしらっている

「コロナウイルス退散を願って、アマビエの飴をつくろうと考えたのが4月半ばでした」と話すのは、東京・台東区の金太郎飴本店の渡邊彰男氏である。明治時代に露天商としてスタートした飴屋の6代目だ。誰もが知る「金太郎飴®」を同店がつくり始めたのは明治時代のこと。現在、金太郎飴®という商品名で飴を製造できるのは、同店と、のれん分けした巣鴨と根津の2商店の計3店舗だけである。

日本の飴づくりの歴史は古代まで遡るといわれている。『日本書紀』に飴に関する記述があることがその根拠で、さらに平安時代になって飴屋が商売として成立したことが、平安中期に編纂された『延喜式(えんぎしき)』から分かる。今日のような飴がつくられるようになったのは、砂糖が流通するようになった江戸時代になってからのようだ。江戸中期の元禄・宝永年間になって、千歳飴、べっ甲飴など私たちがよく知っている飴がつくられるようになった。

水飴と砂糖を鍋で煮詰めるところから飴づくりは始まる。窯の中の飴がいわゆる「飴色」になっていることが分かる。真空窯を使うことで、高温にせずに煮詰めることができる
水飴と砂糖を鍋で煮詰めるところから飴づくりは始まる。窯の中の飴がいわゆる「飴色」になっていることが分かる。真空窯を使うことで、高温にせずに煮詰めることができる

金太郎飴®は「組み飴」と呼ばれる独特な技法を用いてつくられる。色の違う複数の板状の飴を重ね、筒状に丸めて伸ばし、輪切りにすると切断面に絵柄が現れる。この技法がいつ頃誕生したか定かではないが、始まりは関西だったようだ。その組み飴の技法を取り入れ、人の顔をあしらった飴を初めてつくったのが、金太郎飴本店の2代目である。明治時代末のことだった。

「2代目の頃はまだ幼くして亡くなる子どもが多く、それに心を痛めた2代目が、“強い子になって長生きしてほしい”という思いを込めて、元気な子どもの象徴である金太郎の飴をつくったと聞いています」

金太郎は絵本などで当時からよく知られたキャラクターだった。「金太郎ならみんな買ってくれるだろう」という読みもあったのではないかと渡邊氏は言う。その「キャラクタービジネス」は大いに成功し、今日まで売れ続けるロングセラー商品となった。

売り出された頃の金太郎飴®は、千歳飴のような長い棒状の商品だった。それを、食べやすさを考えてある時期から切って売り出すようになったのが、私たちがよく知る現在の金太郎飴®である。長い間積み重ねられてきたその飴づくりの技法を用いてつくられたのが、アマビエ飴というわけだ。

金太郎の顔は職人の顔に似る

アマビエの原画。海の妖怪なのでテーマカラーは青。味はそれに合わせてソーダ味となっている
アマビエの原画。海の妖怪なのでテーマカラーは青。味はそれに合わせてソーダ味となっている

組み飴づくりの工程は、水飴と砂糖を鍋の中で煮つめるところから始まる。真空窯を使って低温で煮詰めることで、飴に焦げなどに由来する色がつきにくくなるという。

そうして煮詰まった飴を容器に移し、香料で味をつける。さらに下に水が流れた鉄板の上で適度な温度まで冷やし、食用着色料で色をつけていく。着色料は赤、青、黄色の3色が基本で、その濃淡の調整と混合によって様々な色をつくり出す。白色は製白機と呼ばれる機械を使って空気を含ませることで白色を出す。

そうしてできた複数の色の飴の塊を、伸ばして重ね、棒状に丸めていく。「組み飴」という名称は、このように色違いの飴を組み合わせるところから来ている。どのような色の飴をどう組み合わせるかが職人の腕の見せどころだ。「熟達した職人は、“こういう絵にするならこういう組み方”というイメージを頭の中でつくることができます」と渡邊氏は言う。

アマビエ飴づくりの工程。濃茶色と白色の飴の組み合わせで絵柄を表す
アマビエ飴づくりの工程。濃茶色と白色の飴の組み合わせで絵柄を表す

組み合わせた飴は、転がし、両側から引っ張ることで、徐々に細い棒になっていく。さらにバッチローラーという機械で2cmほどの太さに整え、それを切断機で輪切りにすれば飴の完成である。直径2cmの円の中に、見事に図柄が表現されている。

全工程に関わる職人の数は7人から8人ほど。1日最大で6万粒の飴をつくることができるという。

「金太郎飴®のような」という慣用句は決してポジティブな意味で使われる言葉ではない。どこを切っても同じ顔が出てくる、すなわち、代わり映えがしない。あるいは、個性がない。それが「金太郎飴®のような」という表現の一般的な意味だ。しかし、出来上がってきた飴を見ると、一つひとつの表情が微妙に異なっていることが分かる。飴を練り、伸ばし、組み合わせる作業はすべて手作業だから、全く同じ組み方はない。また、棒のどの位置で切られるかによっても、金太郎の顔は変わってくる。

「担当する職人による違いもあります。金太郎の顔はつくっている人に似るとよくいわれます。一般のイメージと違って、金太郎飴®には実は“個性”があるんですよ」

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