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【挑む人】第26回 土岐幹男「冬の大空に舞う伝統の「アート」」

紀元前の中国に生まれ、1000年以上前に日本に伝わったといわれる凧。地方ごとに様々な特色のある手づくり凧の中で、「江戸角凧」と呼ばれる凧をつくり続けているのが凧職人の土岐幹男氏である。海外ではアート作品として評価されることもあるという和凧の歴史や制作工程を掘り下げ、凧の尽きせぬ魅力に迫る。

※本記事は2021年1月に掲載されたものです

現代に合ったものを生み出して伝統をつなぐ

土岐幹男(とき・みきお)プロフィール

1950年、東京都中野区生まれ。東京デザイナー学院にてグラフィックデザインとイラストレーションを学ぶ。江戸凧づくりを太田勝久氏に師事。1980年代から海外の凧揚げ大会や凧づくりワークショップに参加。千葉・長生村に「凧工房とき」を構える。日本凧の会会員。江戸凧保存会会員。米国凧の会会員。

河原や空き地で色とりどりの凧が寒風を受けて大空を舞う光景は、かつて日本の冬の風物詩だった。ビルが立ち並び、空き地が少なくなった都会で凧揚げの風景を見る機会は減ったが、現在も凧揚げの愛好者は全国に数多くいて、手作り凧の伝統も続いている。

凧の歴史は紀元前の中国に遡る。古代の凧は軍事用の道具で、敵地との距離を計測するために主に使われていたという。凧の文化はその後世界中に伝播し、現在でも欧米、アジア、中東と世界中で、時に遊戯として、時にスポーツとして多くの人々を熱中させている。

桃太郎をあしらった角凧。江戸凧の絵柄は物語やおとぎ話などから取られることが多い
桃太郎をあしらった角凧。江戸凧の絵柄は物語やおとぎ話などから取られることが多い

凧が日本に伝わったのは平安時代である。武士の世となって、凧はかつての中国と同様軍事用に使われるようになった。のろしのように遠隔地にいる味方との連絡に使われたとみられる。江戸期に入り世の中が安定した後、凧揚げは武士の家の子どもたちの遊興となり、それが徐々に庶民にも広がっていった。明暦年間(1655〜57年)には子どもたちの間で凧揚げの流行が過熱し、幕府から禁止令が出るほどだったという。さらに安永年間(1772〜81年)には大人たちも凧に興じるようになり、凧揚げは「旦那の遊び」となった。奴(武家の奉公人)をモデルにした奴凧(やっこだこ)が流行したのもこの頃である。

千葉県・九十九里浜に近い長生村に凧工房を構える土岐幹男氏が凧づくりに初めて魅了されたのは、デザイン学校でグラフィックデザインやイラストを学んでいた1970年代初頭だった。

現代に合ったものを生み出して伝統をつなぐ

「ある年配の凧づくり名人と出会いまして、江戸の角凧の魅力を知ったんです。その頃、すでに凧づくりの伝統は廃れてきていました。この技と文化を未来につないでいかなければならないと思いました」

凧には地域によって様々な種類がある。例えば、新潟では六角形の凧、長崎では江戸時代にオランダから伝わった菱形の凧(地元ではハタと呼ばれる)が現在もつくられている。和凧の骨には一般に竹が使われるが、唯一青森では凧づくりにヒバを使う。気温が低く丈夫な竹が育たないからだ。

江戸を代表するのは長方形の「角凧」で、多くは古い説話や伝記、歌舞伎の演目などを絵柄とするが、江戸文字(※)をあしらったものも少なくない。江戸時代の富裕な商人たちは、プロの絵師に絵を描かせ、空に舞う凧の見栄えを競い合ったという。「美術品で遊んでいるようなものです。ぜいたくな遊びですよね」と土岐氏は笑う。

(※)江戸時代に使われていた書体。寄席文字、籠文字、芝居文字などがある

「骨」を見れば凧の良しあしが分かる

暗めの色から明るい色に順に彩色していく。鮮やかな赤は最後の段階で筆を入れる
暗めの色から明るい色に順に彩色していく。鮮やかな赤は最後の段階で筆を入れる

土岐氏が凧づくりに引かれたのは、絵を描き、骨を組み、完成させた凧を揚げて、下からの見映えによって絵を調整するというその一連の作業がとても面白かったからだ。

「昔は分業だったんですよ。絵を描くのは絵師だし、版画でつくる場合は、彫師がいて、摺師がいました。その絵を凧職人が凧に仕上げていくわけです。凧は冬場の遊びですから、秋口から暮れにかけてが職人の繁忙期です。それ以外の時期は、うちわやちょうちんをつくって商売としていたようです。際物(きわもの)商いというやつです」

凧に昔ほどの需要がない現代では、分業では商売は成立しない。凧職人は一人ですべての作業を行わなければならない。しかし、子どもの頃から絵を描くのが好きで、長じてデザインを学んだ土岐氏は、絵の題材や構図、色づかいを考え、その絵が実際に空に舞うところまでをすべて自分一人の腕で担えることが楽しいのだという。

左/絵柄の般若の下絵 右/濃い墨で絵の輪郭を描いた後、薄墨でコントラストを加えていく
左/絵柄の般若の下絵
右/濃い墨で絵の輪郭を描いた後、薄墨でコントラストを加えていく

和凧に使う素材は、ほぼ和紙と竹と麻糸のみである。作業は、和紙に墨と筆で絵を描くところから始まる。まず濃い墨で絵のアウトラインを描き、2日くらい乾かした後に薄墨でコントラストをつけていく。さらにそこに明るい色から順に彩色していく。絵具には染料と顔料を混ぜたものを使う。

絵の題材となるのは、前述のように古い説話や伝記、歌舞伎の演目などだが、客からの注文によっては、それ以外の題材を描くこともある。凧揚げの醍醐味は、絵を地上から見上げることにあるため、100メートルほどの上空に揚がった時に絵柄がどう見えるかを考えながら絵を描いていかなければならない。

絵が完成したら、次はそこに骨をつけていく作業だ。骨の材料となる竹は、竹の中に虫のいない9月から12月に伐採し、半年から1年ほど乾かし、さらに火で炙って完全に水分を抜く。その竹を角凧のサイズに合わせて切ったものを、鉈(なた)で半々、さらに半々と縦に割って徐々に細くしていき、最後に厚さを調整する。定規などは一切用いない。一本の鉈をもってすべて勘で割っていく。この作業を身につけるまでに、2年から3年はかかるという。

骨の「しなり」を調整する。これが均一でないと、凧は空中でバランスを失ってしまう
骨の「しなり」を調整する。これが均一でないと、凧は空中でバランスを失ってしまう

整えられた骨に細い和紙を巻いてのりで貼りつけていくのが次の作業である。「巻き骨」と呼ばれるこの工程によって、絵を描いた和紙に骨がつきやすくなる。もう一つ、凧を背後から見た時の見映えを良くするのも巻き骨の目的である。「羽織の裏のようなもの」と土岐氏は言う。見えにくいところにも趣向を凝らすまさに和の文化である。

凧づくりにおいて最も重要なのは骨だ。骨の強さや反りが均等でないと、歪みが生じ、空中で凧はバランスを失ってしまう。骨を見れば凧の良しあしは分かると土岐氏は話す。

骨を貼りつけた凧の本体に伸びにくく切れにくい麻糸をつければ基本形はおおむね完成だが、これにさらに「うなり」が取りつけられる。「うなり」とは、籐を割いてテープ状にしたものを長い棒につけた弓のような形のパーツである。これが空中で風を受けて振動し、その音が凧の本体に反響してブーンブーンという「唸り声」を地上まで伝える。この音を楽しむのも凧揚げの醍醐味の一つで、凧揚げとは視覚と聴覚の両感覚を刺激する奥の深い遊びなのである。

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