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房州うちわ職人

太田 美津江

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色とりどりの揺らぎが、やわらかな風を生み出す。竹の描く線は真っすぐに伸びて涼やかだ。生活用品として、装飾品として、人々に愛された江戸うちわの流儀を受け継ぐ房州うちわは、現代においても夏を彩る欠かせない小道具だ。房州の地に根づいた伝統技術の粋を、房州うちわ唯一の伝統工芸士である太田美津江氏にうかがった。

※本記事は2021年7月に掲載されたものです

消費地・江戸を離れ房州で花開く

太田美津江(おおた・みつえ)プロフィール

1952年、千葉県南房総市生まれ。創業を安政年間にさかのぼるといううちわの工房「太田屋」の4代目。房州うちわ唯一の伝統工芸士であり、千葉県指定伝統的工芸品製作者でもある。現在は後進の育成に尽力。障がい者への指導も行っている。夫は同じく千葉県指定伝統的工芸品製作者で木地玩具職人の太田衞氏。

うちわが主に涼を得るための道具として使われるようになったのは、近世に入ってからだそうだ。

『日本のうちわ 涼と美の歴史』(岐阜市歴史博物館編著)によると、古墳時代に中国から到来し、もっぱら威厳を示す品として、あるいは光やほこりを避けたり顔を隠したりする道具として用いられていたという。10世紀ごろになり、うちわのような形状の「翳(は)」で虫を打ち払っていたことから、「打つ翳」と呼び、「うちわ」になったと推測される。

生活用品として広く庶民に使われるようになったのは江戸時代、竹細工や紙の製造技術の発展を背景に、量産が可能になってからだ。木版刷りや浮世絵が盛んになると、多彩な版刷りのうちわ絵が登場し、ファッションアイテムとしての役割も負うようになった。

清風をもたらす精緻なる竹の技

「特に江戸で作られた『江戸うちわ』は、歌舞伎役者の似顔絵や美人画などが多く描かれていました」と、房州うちわの工房「太田屋」の4代目で、国家資格の伝統工芸士である太田美津江氏は話す。

「江戸時代、うちわ作りは武士の内職でした。ぜいたく禁止令が出され、浮世絵の制作が禁止された時も、武士が困窮しないよう、うちわ絵としての浮世絵だけは許されていました。このような背景から、鮮やかな絵うちわが、江戸っ子たちの間で流行したようです」

房州の地で花開く江戸の技

江戸うちわは、細い竹と紙でできている。その竹の産地が、房州すなわち房総半島の南端、千葉県館山市、南房総市周辺だ。当地の女竹(めだけ)が、柔軟性に富み節間が長く、うちわの柄や骨に適していたこと、また水運の便が良かったことから、江戸~明治期を通し、江戸・東京へ送り出された。

4、5本の竹を2つのタイヤに挟んでもむ作業。十分にもまないと、後の工程で糸が切れたり、とげが手にささったりと作業に支障が生じる
4、5本の竹を2つのタイヤに挟んでもむ作業。十分にもまないと、後の工程で糸が切れたり、とげが手にささったりと作業に支障が生じる

転機となったのが関東大震災だ。焼け出された江戸うちわの職人たちが房州に移り住み、江戸うちわの生産を開始。やがて太平洋戦争が始まると、さらに多くの職人や問屋がこの地に移住してきたため、ここが江戸うちわの生産拠点となった。

大正末期から昭和初期の最盛期はまだ扇風機が普及していなかったこともあり、日用品として、また贈答品として重宝され、年間生産量は700万~800万本に上った。約1000人が手内職として生産に携わっていたという。

改めて、房州産の江戸うちわ、すなわち房州うちわの特徴を見てみよう。

房州うちわと、京都府の「京うちわ」、香川県の「丸亀うちわ」を、「日本三大うちわ」と呼ぶ。このうち、房州うちわの特徴は女竹の形状を活かした丸柄で、「滑らかで手によくなじむ」という声がよく聞かれるそうだ。2層の細い竹が放射状に広がる「窓(骨が見える部分)」の美しさも房州うちわならではで、目を楽しませる。この魅力を生み出すのは、実に21にも及ぶ工程だ。

ごくごく大まかに説明すると、竹を切り出し、皮をむいて磨いたものを割いて編む。それを、柄に通した太めの竹と糸で結んで形を整え、紙を貼るという流れだ。美しく長持ちするうちわに仕上げるには、21工程以外にも作業が数多く発生する。これだけの工数を1人で行うのは効率が悪いので、職人が分業し、太田氏のような工房の親方が全体を調整するシステムを長年とってきた。

今は職人の数が減って、工程の多くを太田氏自身が担っているが、手間をはしょることはしない。

房州うちわの特徴の一つは、柄の部分の丸さ。良い竹を選定できるかが後工程にも響く
房州うちわの特徴の一つは、柄の部分の丸さ。良い竹を選定できるかが後工程にも響く

「どれか一つでもおろそかにすると、後で必ず苦労するし、人前に出せるものにはなりません。どの仕事もそうでしょうが、見えないところこそ丁寧にしなくてはいけませんね」

この惜しみない手間が作り上げる構造美と使い勝手の良さに、昭和40年代になって新たな特色が加わった。紙の代わりに浴衣地を使ったうちわが誕生したのだ。その立役者が、太田氏の亡き父で、太田屋3代目の一男氏だった。

太田屋が、東京・谷中から房総に移ってきたのは1949年。2代目である祖母の代だった。

「谷中で生まれ育った父は江戸っ子の新しもの好き。創意工夫の人でした。昭和40年代に入り、うちわの需要が減少する中で、浴衣と共切れのうちわを作ったら人気が出るのではと考えたわけです」

狙いは当たった。周囲の工房も生産するようになり、浴衣うちわは看板商品の一つになった。

そんな父の下で太田氏がうちわ作りを始めたのは、20代の半ば。この時は跡を継ぐ気持ちは全くなかったのだという。

太田美津江氏

「子育て中だったので、父の手伝いくらいならできると思ったのです。父も私が跡継ぎになることを期待してはいなかったのでしょう。叱られたことも、厳しく指導されたこともありません。時々『こうするといいよ』と言われるくらい。でも折にふれ、『職人の手は空かせちゃいけない』などと親方としての心得を伝えてくれていたのだと今になって思います。『割竹(さきだけ)』の作業はやっておいたほうがいいとも言われましたね。21工程のうち、本来、親方が手を動かすのは『窓作り』だけで、『割竹』は職人さんの仕事です。でもこの工程を知らなければ美しい窓は作れない、と。すべての工程が大切だということは、父から学んだと思います」

後継者になることを意識したのは、手伝い始めて10年がたち、千葉県から県指定伝統的工芸品製作者の看板をもらった時だそうだ。

「父はかねがね問屋を通さず直接お客さんにうちわを販売したいと話していました。その夢を娘に引き継ぎたいという気持ちもあったのかもしれません」

自ら進んでうちわ職人の道を選んできたわけではない。そう繰り返す太田氏だが、「美しい紙や布を見たら、つい『貼れないかな?』と考えてしまう」とほほ笑みながら話す。

今、太田屋の店先には染め物の型紙を用いたうちわも並ぶ。これは太田氏のアイデアで生まれた人気商品だ。柄が黒くシックな雰囲気に仕上がっている。江戸うちわは、その時々の技術や嗜好を取り入れ、おしゃれ小物としての役割を担ってきた。新たなうちわの顔を生み出した太田氏も、やはり江戸うちわ=房州うちわの継承者といえる。

時代に柔軟に対応し未来へ続く

和紙のほかに浴衣柄の布を貼るなど、創意工夫を凝らしてきた房州うちわ
和紙のほかに浴衣柄の布を貼るなど、創意工夫を凝らしてきた房州うちわ

2003年に房州うちわは経済産業大臣から伝統的工芸品に指定された。しかし生産者の高齢化や生活様式の変化などから、産業としては先細りしている。房州うちわ振興協議会によると、工房は非公認のものも含めて4つ、生産者は10人にも満たず、年間総生産量は約2万~3万本だ。

一方でうれしいニュースもある。協議会が、2013年から後継者育成の目的で、「房州うちわ従事者入門講座」を開催したところ、続々と参加者が集まったのだ。これまでの通算受講者数は約60人。しかも、修了者の中からもっと学びたいという人が現れ、自分たちで勉強会を開催するようになった。直接、太田屋の門をたたいた人も2人いる。修了者のうち4人は、うちわの生産販売に携わっている。

「最近は、障がい者施設でも2人が手伝ってくれています。みなさん、房州うちわを廃れさせたくないという思いを持っていて、熱心だし優秀です。そんな人たちを指導できることは幸せですね。うちに通う2人と施設の2人の計4人が県指定伝統的工芸品製作者になるまで応援し続けようと思います」

太田氏は指導の際に、全工程を教えることを心がけている。

「これからの時代、職人さんがずっといてくれるとは限りません。どこか1工程の職人さんが抜けただけで生産が止まってしまっては困るのです。伝統を未来に残すには必要なことですし、結果、応用もできるはずです」

彩りや素材を変え、時代の流れに合わせながら夏の暮らしに寄り添ってきた房州うちわ。これからも時流にしなやかに応じながら、若手たちによって作られ続けていきそうだ。

太田美津江氏
〈取材後記〉

太田美津江さんは、うちわ作りを習いに来た方々から、褒め上手だといわれるそうです。取材時も、こちらの質問や感想をいったん肯定してから答えてくださるので、気持ちよく話すことができました。そんな太田さんの下で技術が継承されるのは間違いなさそうです。ところが材料調達に話題が及ぶと表情に曇りが。近年、山の荒廃が進み、良質な竹を入手し続けられる見通しは明るくないといいます。楽しくも考えさせられる取材でした。

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