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【三国志から学ぶ人財戦略】第3回 知力を武器とせよ -参謀たちの叡智[後編]-

三国志は今から1800年以上も前の中国を舞台に繰り広げられた物語である。
これまで幾度となく小説、映画、漫画、ゲームの題材となり、ビジネスでも教材に取り上げられてきた不滅のコンテンツともいえる。
なぜ、いま三国志なのか。それはこの物語で展開される人材活用の妙にある。
人材不足が問題となる一方で、多くの仕事がAIに代用されていく現代。
いかなる「人"財"戦略」が必要なのか。三国志を通して考えていきたい。

参謀役の層の厚さが組織を強くする

参謀役の層の厚さが組織を強くする

前編では魏・呉・蜀を代表する参謀役に焦点を当てた。魏は荀掾iじゅんいく)、呉は周瑜(しゅうゆ)、蜀は諸葛亮(しょかつりょう)と、傑出した能力をもつ英才たちはトップの絶大な信頼を得て、補佐役として重要な意思決定をサポートした。三国志には他にも多くの参謀役が登場するが、特に曹操のもとには多くの知恵者が集まってきた。
組織が成長するにつれ、トップと側近だけではスピードのある意思決定ができなくなってくる。事業をより大きく発展させるためには、組織の分業が必要不可欠となり、トップと同等の判断ができる多くのブレーンが求められる。

現代のビジネス社会において、参謀役というとご意見番のような役割と思われがちだが、それでは真の参謀は務まらない。トップと同じ経営者視点を持ち、組織全体のマネジメントに目配りの効く人材でなくてはならない。さらに言えば、万一のトラブルでトップが業務を執行できない場合、業務を代行できる見識と能力が必要とされる。それには優秀な頭脳だけでなく、現場のスタッフと的確なコミュニケーションができて、彼らと信頼関係を構築できる人間力も必要になるだろう。大規模な組織にはこうした人材をできる限り多く揃えておくことが望ましい。

袁紹肖像
沮授肖像
上:「絵本通俗三国志 2の3編 曹操官渡戦袁紹」より袁紹肖像(国立国会図書館蔵)
下:沮授肖像

どんなに優秀な参謀役を得ても、トップが助言を聞き入れる耳をもっていないと、組織の力にならない。三国志の場合は袁紹(えんしょう)が反面教師としてよく引き合いに出される。名門の家に生まれ、もっとも覇者に近いポジションにいながら曹操に敗れ去ってしまった。その原因のひとつとして人材活用のスキルの低さがあげられる。
たとえば、彼の第一の参謀役だった沮授(そじゅ)という人物は天下に聞こえた英才で、袁紹に優れた献策をしてきたが、案を受け入れなかったり、判断を留保したり、せっかくのインテリジェンスを無駄にしてしまった。曹操との天下分け目の決戦となった「官渡の戦い」では、袁紹軍の兵力が曹操軍をはるかに上回ることを活かし、長期の持久戦を前提にした戦略を提案したが、勝ちを急ぐ袁紹は短期戦を選択し、結果として大敗を喫することになった。そんな袁紹を見限り、ライバルの曹操に仕え、活路を見出した者も少なくない。

時代の変化に対応できない保守的な組織からは人材が流出する一方、変化を恐れないチャレンジ精神に富んだ組織には優秀な人材が集まる。このことは三国志の時代も現代のビジネス社会もそう変わらないといえる。あなたの組織は参謀役が存分に力を発揮できる場所だろうか。

軍事に神がかり的な才能を見せた、郭嘉

郭嘉
郭嘉肖像

前編に登場した魏の荀掾iじゅんいく)は、行政から軍事に至るすべてにおいて有能な人物だったが、優れたヘッドハンターでもあり、多くの逸材を曹操に推薦している。彼の推薦でひときわ大きく開花したのが郭嘉(かくか)だ。彼は袁紹に仕官しようとしたが、袁紹に会うなり「仕えるに値しない人物」と判断し、仕官をやめてしまったという。
それとは対象的に曹操に会ったときは「これぞ求めていた君主だ」とたちまち魅了され、曹操も「自分の大業を成し遂げてくれるのはこの男だ」と感じ、意気投合したという。やがて郭嘉は軍師祭酒(ぐんしさいしゅ)をまかせられる。軍師祭酒とは曹操が創設したポストで参謀本部長のような役割をもつ。彼は荀揩謔閧7歳も若く破天荒なところもあったが、何よりも才能を重視する曹操に重く用いられた。郭嘉の凄みは、その読みの深さである。常人では思いつかない、鋭い予見力、洞察力、分析力で、しばしば曹操の重要な意思決定をサポートしている。

曹操肖像
曹操肖像
(Pen 2019年8月1日号 CCCメディアハウス イラスト:阿部伸二)

曹操と袁紹の決戦が繰り広げられた「官渡の戦い」では、魏の防御が手薄になることを見越して呉の孫策が本拠地である許都を急襲する動きを見せた。これに対して袁紹との戦いをやめ、防御を固めるべきではないかという声が臣下からあがった。郭嘉の見立てはこうだった。

郭嘉
郭嘉の献策 其の壱

「孫策は江東における勢力を一気に拡大しようと急ぎすぎである。激しい粛清を行うなど、すでに人々の反感を買っている。復讐のために孫策の命を狙う者もいるが、孫策は気づいていない。彼は近いうちに暗殺されるだろう」

実際その通りになり、孫策は刺客によって命を奪われた。曹操は背後を気にすることなく袁紹との戦いに専念することができたのである。
官渡の戦いで敗れた袁紹が病没した後、その子である袁譚(えんたん)と袁尚(えんしょう)が袁家の後継をめぐり争いをはじめる。曹操はこの内紛を利用して一気に袁家を滅ぼそうとしたが、郭嘉はこう諭した。

郭嘉
郭嘉の献策 其の弐

「袁紹は、袁譚と袁尚のどちらが後継者か指名しないまま死んだので、放っておけば勝手に後継者争いをはじめる。ここはいったん兵を引いて油断させ、変化が起こるのを待つのがよろしい」

烏丸、冀州、荊州

曹操がこの助言を採用して撤兵し、その兵力を荊州の劉表に向けると、袁譚と袁尚は曹操が攻めてこないと思い再び争いをはじめる。この混乱に乗じて曹操は袁家の兄弟を攻め、袁紹の支配していた冀州(きしゅう)を手に入れるのである。
曹操に敗れた袁尚らは北方の烏丸(うがん)へ落ち延びた。曹操が烏丸を攻めようとしたとき、臣下の多くは劉表が客分として荊州に滞在する劉備を使って、魏を攻めるのではないかと危惧した。しかし郭嘉はその心配はないと分析する。

郭嘉
郭嘉の献策 其の参

「劉表は自分が劉備を使いこなせる器ではないことを自覚している。劉備が活躍すると自分の地位が奪われると考えているので劉備を出兵させることはない。安心して遠征してよろしい。いま討つべきは袁尚らと烏丸である。兵貴神速(兵は神速を貴ぶ)。千里先の敵を襲撃するには軍の装備を軽くし、進軍を速めることが重要である。敵に準備をさせず、不意を突くべし」

曹操はこの策を受け入れて、烏丸を一気に攻め、勝利を収める。しかし、この遠征で郭嘉は体調を崩し、命を落としてしまう。曹操の悲嘆ぶりは相当のものだった。

郭嘉は謹厳実直な組織人ではなく、アウトサイダー的な生き方を好んだ人だった。平時はあまり仕事をせず、たまに曹操に献策をするという勤務状況だったらしい。うるさ型の臣下からは不真面目と見られ、しばしば曹操のもとに苦情が届いた。規律に厳しい曹操だが郭嘉を常識やルールで縛ってしまうと、持ち前の能力が発揮されないと考え、放任していたといわれる。
現代のビジネス社会でも、自己の裁量で自由に仕事ができるプロジェクトチームを組織し、イノベーションを創発しようという試みがあり、多くの成功例を生み出している。郭嘉に提供されたポジションはそれに近い。束縛のないのびのびとした環境がクリエイティブな発想を生み出すことを、第一級の文学者でもあった曹操は理解していたのかもしれない。

三国志クイズ

  • 袁紹の最盛期に第一の参謀役といわれた人の名前は?
  • 曹操が新設された役職に任命された郭嘉。その役職名は?
  • 魯粛と比較された春秋戦国時代の縦横家の2人は誰と誰?
  • 臥竜(がりょう)の諸葛亮に対し、鳳雛(ほうすう)と呼ばれたのは誰?
  • 劉備が法正を軍師とし、魏の夏侯淵(かこうえん)を破った戦いのことを何という?

気になる解答は次ページの最後に!ぜひご覧ください。

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