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【現代に活きるチームの力学 戦国家臣団に学ぶ強い組織づくり】第5回 「上杉家臣団」〜個人主義のプロ集団〜

ライバル武田信玄との戦いで強さを証明

上杉謙信は70回の合戦に出向き、決定的な敗北を喫したのはわずか2回だけだという。引き分けも半分以上あり、連戦連勝というわけではないが、その圧倒的な強さの秘密は謙信自身の軍才にあったことは間違いない。14歳で初陣を飾って以来、その非凡な才能は軍事のプロである古参の家臣たちの注目を集めた。家督をめぐって家臣の間で争いが起きたのも、謙信の才能を見込んで当主に推す家臣の声が強かったからだとも考えられる。

謙信の戦を支えた主な武将は「上杉四天王」と呼ばれる。宇佐美定満、柿崎景家、直江景綱、甘粕景持である。この4人は上杉家臣団を描いた絵画『上杉九将図』にも描かれている。彼らのプロフィールについては諸説あり、いろいろ不明な点が多い。
宇佐美定満は謙信の軍師のような役割を果たしたといわれる人物である。謙信に仕えるのは50歳を過ぎてからで、宇佐美流軍学の創始者といわれている。軍記物では定満ではなく定行と表記されている。
柿崎景家は上杉家臣団を代表する猛将だ。武田信玄と覇権を争った川中島の戦いで、もっとも激戦となった第四次合戦で先鋒となり、武田信玄のいる本陣まで迫る。戦闘だけでなく、内政や外交にも手腕を発揮した。鎌倉の鶴岡八幡宮で行われた謙信の関東管領の就任式では太刀持ちを務めている。

紀州本川中島合戦図屏風より 信玄と謙信の一騎討ち(和歌山県立博物館蔵)
紀州本川中島合戦図屏風より
信玄と謙信の一騎討ち
(和歌山県立博物館蔵)

甘粕景持は謙信秘蔵の侍大将のひとりだ。川中島の第四次合戦では殿(しんがり)を務めたが、あまりの強さに謙信と間違われたという逸話も残されている。四天王のなかではもっとも若く、謙信と景勝の二代にわたって仕えた。
直江景綱は謙信の信頼の厚い宿老である。政務や外交でも活躍した人で、川中島の第四次合戦では、「小荷駄奉行(こにだぶぎょう)」として出陣している。現代でいうところのロジスティックス担当で戦局を左右する重要な役割を担う。直江兼続は彼の息子ではなく、娘の船の再婚相手である。跡継ぎが亡くなった直江家を存続させるために上杉景勝の側近だった樋口兼続が養子となった。

上杉九将図より上杉四天王肖像(米沢市上杉博物館蔵)
上杉九将図より上杉四天王肖像(米沢市上杉博物館蔵)
長尾政景夫妻画像より 長尾政景肖像部分(東京大学史料編纂所 所蔵模写)
長尾政景夫妻画像より
長尾政景肖像部分
(東京大学史料編纂所
所蔵模写)

さらに四天王のほかに欠かせない人物がいる。家臣団の要ともいえる長尾政景である。かつては謙信と敵対していたが、のちに謙信の重臣となった。謙信が上洛の際には、留守居役として国を預かる存在だった。謙信が若い頃、反乱が絶えない越後の国情に嫌気がさして出奔したところ、復帰するよう説得に出向いたのはこの政景だった。彼の子である長尾顕景が謙信の養子となり、のちの上杉景勝となる。

戦略家、切り込み役、ベテラン、若手、補佐役。ビジネスの組織づくりにおいても機能的なユニットといえる。こうした多才な顔ぶれが、謙信を支えたのである。

謙信の戦術をカタチにした個のパワー

上杉家臣団を特徴づけるケイパビリティは自主独立。上杉謙信を戦国屈指の武将たらしめたのは、謙信個人の軍事の才能、統率力もあるが、家臣団それぞれのパフォーマンスの高さによるところも大きい。こんな逸話も残されている。川中島の合戦で「鬼小島」の異名をとる上杉の猛将・小島弥太郎が、武田の「赤備え」を率いる名将・山県昌景と一騎打ちしていたところ、昌景が休戦を申し出た。「主君の御曹司(武田義信)の窮地を救いたいので勝負を預けたい」というのである。弥太郎は快諾し、すぐに槍を納めた。のちに昌景が「花も実もある勇士」として弥太郎を賞賛したという。戦闘の最中に呑気な気もするが、これも義を美徳とする上杉家臣団の「社風」なのかもしれない。

上杉九将図より本庄繁長・北条高広肖像(米沢市上杉博物館蔵)
上杉九将図より本庄繁長・北条高広肖像
(米沢市上杉博物館蔵)

義という目に見えない抽象的な価値で結ばれた上杉家臣団は、やはり基盤が弱かった。本庄繁長、北条高広(きたじょうたかひろ)といった『上杉九将図』に描かれているような重臣たちも謀反を起こしている。本庄繁長は武田信玄と組んで上杉からの独立を試みる。また北条高広は武田信玄や北条氏康と通じ、反乱を起こしている。しかし、謙信はそうした家臣を赦している。彼らが反乱を起こした理由のひとつとしては、謙信の家臣に対する信賞必罰が充分ではなかったことが考えられる。

軍事の才能は傑出していた謙信だが、人事政策においては詰めの甘いところがあった。人はいかなる動機で動くかという行動経済学的な配慮に欠けていたと見る向きもある。実子のなかった謙信の死後は、甥の景勝と北条家から養子に迎えた景虎の間で家督争いが起きる。あらかじめ後継者を決めておけば家臣団の分裂は起こらなかったはずで、事業承継において十全な備えを行ったとは言いがたい。

Charisma

カリスマ経営者のトップ営業によって、短期的には大きな成果を上げるが、しばらくすると各事業部が独善的な事業を展開したり、勝手に子会社をつくったり、競合他社と業務提携を結んだりする。ビジネスの世界に置き換えると、上杉家臣団はそんな組織に似ている。社員の自由裁量や副業を認めながら、より収益力の高い組織をめざすことが求められるいま、上杉家臣団はそのケーススタディとして、さまざまな検討材料を与えてくれる。

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