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【「戦う城」に学ぶ経営戦略 城のストラテジー】第3回 琵琶湖の水利を生かした美城 国宝 彦根城

なぜ、そこに城があるのか。なぜ、このような構造なのか。軍事要塞である城には、城主の知恵や思惑が潜んでいる。その戦略の立て方は現代のビジネスにも通底することが多い。主要な建造物が現存する名城を中心に「戦う城」の実力に迫る。

◎所在地:滋賀県彦根市金亀 ◎主な築城:慶長9年(1604年)井伊直継・直孝

大坂包囲網の要となる徳川のフラッグシップ

彦根城(彦根観光協会 提供)の画像
彦根城(彦根観光協会 提供)
井伊直政(彦根観光協会 提供)の画像
井伊直政(彦根観光協会 提供)

琵琶湖を臨む金亀山(こんきやま)にそびえる彦根城。国宝五城のひとつであり、保存状態がよいことから世界遺産の候補にも挙げられてきた美しい城である。
彦根城が築城されたのは関ヶ原の合戦のあとのことだ。徳川家康が石田三成の率いる西軍を破り、三成の居城だった佐和山城(現在の彦根市)が徳川のものとなる。佐和山城のある琵琶湖の東岸は、中山道と北陸道が合流する交通の要衝である。家康は大坂の豊臣秀頼を封じる「大坂包囲網」の要とすべく、このエリアの整備を特に重視した。ここを治めるには武勇にすぐれたものでなければ務まらない。そう考えた家康が城主に任命したのは「井伊の赤鬼」と恐れられた猛将、徳川家臣団の筆頭、井伊直政であった。直政の軍が甲斐の武田氏由来の赤い甲冑「赤備え」を身につけていたことからその異名がついた。真田の赤備えもよく知られているが、大坂の陣ではこれら赤備え同士が相対することになる。井伊直政といえば「徳川四天王」のひとりであり、家康に対する忠義を重んじた男である。秀吉主催の茶会で徳川を出奔して秀吉についた石川数正がいるのを見て、その場で数正を叱責し、同席を固辞したという。大坂城にプレッシャーをかけるにはまたとない人物だったといえるだろう。

井伊直政は佐和山城が、宿敵の石田三成の居城だったことを嫌い、別の場所に新たな城を築きたいと考えていた。関ヶ原の合戦で受けた傷がもとで築城前に直政は逝去するが、嫡子の直継(なおつぐ)が遺志を継承、琵琶湖岸により近い金亀山に彦根城を築く工事を開始する。病弱だった直継は家督を弟の直孝に譲り、二代目城主となった直孝が城を完成させる。徳川にとってはフラッグシップともいうべき重要な城であった。
築城に際しては「できる限り早く。できる限り安く」という条件が徳川より課せられていた。たとえば、同じ3層3階の天守である伊予の宇和島城をみてみる。築城の名手、藤堂高虎が既存の城を大幅に改修したもので、着工から完成までに約6年を要している。彦根城の天守は着工から完成まで3年。条件が異なるため単純に比較はできないが、通常よりはかなり早いスピードといえる。いかなる方法で課題を解決したのか。そのソリューションを知るとき、彦根城はいっそう興味深い対象となる。

厳しい条件をクリアした「リサイクルの城」

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彦根城の築城に着手したのは、江戸幕府がはじまった翌年の慶長9年(1604年)である。徳川の統治を強固にするためにも、いち早く新しい城を築きたいが予算に限りがあった。工期短縮とコスト節約でクオリティの高い城を築くのはいささかハードルが高いが、それが彦根城に課せられたミッションだったのである。
徳川家康は彦根城の築城を幕府管理のもと行う天下普請とし、彦根周辺の7国の12大名をサポートに加えた。そして「工期短縮とコスト節約」を実現するために採択された方法が、既存の城のパーツの移築である。「リサイクルの城」- それが彦根城の設計コンセプトだったのだ。
別の城の一部を移築する工法は当時では珍しくなかった。だが、彦根城ほど移築の多い城は稀有である。大津城の天守、小谷城の三重櫓、長浜城の天秤櫓、佐和山城にあったとされる太鼓門櫓など、近江国内のさまざまな城のパーツが移築されたといわれている。特に注目すべきは大津城から移築した天守である。もとは5層だったものを移築の際に3層に造り直したといわれている。パーツを拝借した城は取り壊しとなった。

徳川秀忠(松平西福寺 蔵)の画像
徳川秀忠(松平西福寺 蔵)

徳川家康は無数にある各地の城の数を減らして、要所にのみ城を置くという構想を抱いていた。現代風にいうと「選択と集中」である。乱立した支社や支店を整理・統合して、よりスリムで筋肉質のネットワークを構築しようと考えたのである。二代将軍、徳川秀忠が発した武家諸法度にある「一国一城令」はその構想を具現化したものだ。この法律により大名は城をひとつしか持てないようになる。彦根城はそうした新しい統治のシステムを具現化するモデルケースでもあったといえる。

再利用パーツを多くすることで、工期は飛躍的に短縮できた。コストも大幅に節約できたことだろう。問題は外観のクオリティだ。いかにも寄せ集めのような見栄えでは徳川の威厳に関わる。大坂に睨みをきかせる城にはなりえない。彦根城は小ぶりながら繊細な意匠が美しく調和した風雅な佇まいの城として完成し、この難題を見事にクリアした。優美な装飾を施した超然とした姿には、複数の城のパーツを組み合わせた痕跡は微塵も感じさせない。事情を知らない人に、この城がリサイクルで成り立っていることを伝えても信じてくれないに違いない。
リユースやリサイクルという言葉も概念もない時代であるが、現代の環境マネジメントの視点からみても有用な技術と知恵がすでに確立されていたのである。建造物そのものの歴史的価値はもとより、彦根城を組み上げたプロセスやテクノロジーにも知的資産を宿しているといえるだろう。

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