戊辰戦争において旧幕府軍の拠点となった会津若松城。会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が約5,000 名の会津藩士とその家族とともに1カ月にわたる籠城の末、降伏した歴史的な舞台である。新政府軍の猛攻をしのぎ、無数の砲弾を浴びながらも落城を免れた堅城だった。なぜ会津にこのように壮大で堅牢な城が築かれたのか。その背後に潜む武将たちの戦略をひもとく。
(2018.10.23 Update)
豊臣秀吉の軍師として知られる黒田官兵衛(くろだかんべえ)の子、長政(ながまさ)によって築かれた福岡城。関ヶ原の戦いで東軍につき、徳川家康の厚い信頼を得た黒田家が 52 万石の大名として筑前(福岡)に移封されたのが、そのはじまりである。大規模な天守台がありながら、天守は築かれなかったとされるが、真相はどうなのか。幻の天守に秘められた戦略を読み解く。
(2018.11.20 Update)
豊臣秀吉の盟友、前田利家が築いた加賀百万石の本拠地、金沢城。豊臣政権の重鎮であったがゆえに、秀吉の死後、前田家は徳川からつねに警戒されることになる。たびたび謀反の嫌疑をかけられながらも、最大の所領をもつ大名としての存在感を維持し、家の命脈を保ってきた前田家のサバイバル戦略を金沢城は見守ってきた。
(2018.12.18 Update)
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