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日本と日本企業がサステナブルであるために進むべき道

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私たちは今、コロナ禍のまっただ中にいて先が見えない生活を送っています。しかし、いずれは収束してアフターコロナの時代がやってくるでしょう。これまでとはすっかり姿を変えているであろうアフターコロナの世界において、日本はどのようにして持続的な成長を遂げることができるのでしょうか。

※本記事は2022年4月に掲載されたものです

渋澤 健(しぶさわ・けん)
渋澤 健(しぶさわ・けん)
シブサワ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
講師プロフィール
1961年生まれ。渋沢栄一の5代目の子孫。83年テキサス大学化学工学部卒業。財団法人日本国際交流センターを経て、87年UCLA大学MBA経営大学院卒業。米系投資銀行、ヘッジファンドを経て、2001年にシブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業。07年コモンズ株式会社を創業(08年コモンズ投信株式会社に改名し、会長に就任)。2021年にブランズウィック・グループのシニアアドバイザーに就任。経済同友会幹事、岸田内閣「新しい資本主義実現会議」有識者メンバー、UNDP(国連開発計画)SDGs Impact 運営委員会委員などを務める。
著書『渋沢栄一100の訓言』、他多数。

人類は感染症の危機を乗り越えてきた

2020年初頭はコロナ禍の時代となりました。まだ確実な出口は見えておらず、果たして世界はどうなるのかと心配になるのも無理はありません。しかし、よく考えてみると、いつの時代にも感染症の問題はありました。

渋沢栄一の時代にはペストもコレラもありました。栄一の最初の妻であり、私の高祖母にあたる千代もコレラで亡くなっています。当時はワクチンもなく、危機感は今よりもはるかに強かったことでしょう。

決して感染症を軽視するわけにはいきませんが、それでも人類は何度もの感染症を乗り越えて世界は継続しています。いずれこのコロナ禍も収束し、何年も経つと「2020年代初頭に新型コロナが流行した」という歴史上の出来事になるに違いありません。

コロナ禍を通じて得た「果実」

これは知人から聞いた言葉ですが、コロナ"禍"は、考えようによってはコロナ"果"でもあるというのです。つまり、コロナは「わざわい」ではあったけれども、同時に果実ももたらしたという考えです。不幸にして亡くなった方や後遺症を患っている方には申し訳ない言い方かもしれませんが、なかなか味わい深い発想ではありませんか。

確かに、コロナによって私たちが得ることも多くありました。業界や職種によっては、会社に行かなくても仕事ができると気づいたのも、その一つです。一方で、人とリアルに会えることが、いかに大切かということにも気づきました。

もちろんコロナによるマイナス面も数多くありましたが、ある意味で、私たちが当たり前だと思っていた社会や経済のシステムが、けっして当たり前ではなかったと気づいたことは大きな収穫といえます。ほんの少し歯車がずれただけで、こんな事態に陥ってしまうという気づきを私たちは得ました。

逆に、私たちの考え方が少し変わるだけで、世の中が大きく変わるということも知りました。環境やサステナビリティに対する考え方も同じで、私たちが少し考え方や行動を変えることで世界は意外と大きく変わります。それが、コロナを通じて得た果実だと思うのです。

「失われた時代」の30年をかけて気づいたこと

では、やがて訪れるアフターコロナの時代に、日本はどのような道を進むべきなのでしょうか。そのキーワードが、「メイド・ウィズ・ジャパン」だと私は考えています。

昭和の時代、特に1980年代の日本は、先進国の大量消費を満たすために、電化製品をはじめとする「メイド・イン・ジャパン」の製品の大量生産で大成功を収めました。それによって国民の生活が豊かになり、自信がときに傲慢にもなった時代でもあります。

ところが、それに恐れを抱いたアメリカからのバッシングがはじまりました。そこで、貿易摩擦を解消するため、海外に日本企業の工場を建てて製品をつくるので勘弁してください、という流れになったのです。これが、平成の1990年代からはじまる「メイド・バイ・ジャパン」のモデルです。

合理的なモデルチェンジだったように見えましたが、これが「失われた時代」のはじまりでした。当初、失われた時代は10年ほどで終わるだろうと、誰もが考えていました。「今は調子が悪いけれど、しばらくすれば以前のような栄光を取り戻せるはずだ」と期待していたのです。

ところが、その失われた時代は20年、30年と続き、「これは思っていたのとは違う」と感じるようになります。単なる一時的な停滞ではなく、それまでの在り方が根本から破壊されてしまったのです。言い換えれば、過去の成功体験の再現はもう無理だと気づくのに、30年もの年月が必要だったのです。

日本が進むべき道は「メイド・ウィズ・ジャパン」

昭和のメイド・イン・ジャパンの成功体験の背景には、人口動態のピラミッドの存在がありました。当時は、大量の若者世代が、少ないシニア世代を支えるという社会構図があったのです。

平成に入ると、人口が多い団塊の世代と、その子ども世代の団塊ジュニアを中心に、人口動態はひょうたん形に変わり、それが徐々に上の方にスライドしていきました。そして令和に入ると、少数派の若者世代の上に大量のシニア世代がいる逆ピラミッド型に移行します。

そんな2020年代は、日本の在り方を大きく変える好機だと私は感じています。今までの日本では見たことがない規模とスピード感で、世代交代が既に始まっているのです。過去の成功体験を築いてきた世代から、未来の成功体験をつくる世代へのバトンタッチです。

具体的に、どうやって新しい成功体験が展開するのかまでは分かりませんが、少なくとも、これだけはいえます。それは、過去のピラミッド型社会による成功体験の延長線上には、未来の成功体験は存在しないということです。これは間違いありません。

そう考えて世界を見わたすと、ピラミッド型の人口動態の国が数多くあることに気づきます。インドや特にアフリカの国々は、今後30年たってもまだピラミッド型であると予想される国が少なくありません。そうした国の若者たちが第一に求めているのは、仕事に就いてお金を稼いで家族を養いたいということです。日本では当たり前のことですが、新興国では必ずしも当たり前ではありません。そこに日本の成長の可能性があるように思います。

ミレニアル世代やZ世代は、日本では人口が少ないマイノリティで、シニア世代に押しつぶされそうな状態にしか見えません。しかし、もしデジタルネイティブである彼らが、「自分は日本で暮らしているけれど、世界とつながって、こんなことができるんじゃないか、あんなことができるかもしれない」とスイッチが入ると、何か新しいことが起きる予感がします。

もっと働いてお金を稼ぎたいという新興国の若者とつながることで、新興国の持続可能な成長を支えるお手伝いができるかもしれません。日本には、明治維新から築いてきた体験やノウハウがあります。それをベースにして、現地のニーズに合ったものをつくっていくことができれば、まさにそれがメイド・ウィズ・ジャパンではないでしょうか。

新興国の人たちの間に、「自分たちの生活が成り立ってるのは、日本が一緒に伴走してくれているからだ」という意識が広まるようになれば、そこに新しい日本の成功体験が生まれると信じています。

前回、渋沢栄一の『論語と算盤』を取り上げて、「と」はandであると説明しましたが、withもまた「と」です。メイド・ウィズ・ジャパンによって、「日本"と"新興国」がともに持続的な成長を遂げることができれば、渋沢栄一も大いに喜んでくれることでしょう。

次回は、もし現代に渋沢栄一が生きていたらと仮定して、現在の日本や世界の状況を見つめ直していきたいと思います。

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